地獄絵ワンダーランド@三井記念美術館
先週ベルギーの煉獄巡りをしたばかりですが、今回は日本の地獄を巡りに、三井記念美術館へ行きました。
「地獄絵ワンダーランド」展です。
仏教の世界観である地獄と極楽は、平安時代に源信が著した『往生要集』により具体的なイメージが与えられ、絵画・彫刻などの多彩な作品が生まれました。この展覧会では地獄と極楽の美術を通じて、日本人が抱いてきた死生観・来世観をたどります。なかでも近世以降、民間で描かれた「たのしい地獄絵」や、水木しげる「のんのんばあ地獄めぐり」などにも焦点をあて、「地獄絵ワンダーランド」を楽しんでいただきます。
三井記念美術館は初めてだったので、入り口と自転車置き場がわからずに彷徨って、ぐるり建物を一周してしまいました。気温30度以上の中を自転車漕いで来た上に、そんなことをやっていたので、地獄絵を見る前から灼熱地獄に陥ったような気分でしたが、建物に入るとエアコンが聞いていて、生き返りました。
美術館は日本橋の三井本館7階にあります。7階に行くためのエレベーターは、扉の上に半円形の文字盤で階数を表す表示がありクラシックで重厚なものですが、見た目の印象を裏切って快適に高速で上がります。
展覧室に入る前に、映像ギャラリーで映像プログラム「ようこそ地獄ツアー」を観て、軽く地獄巡りについて予習。
迫力あって面白かった。お見逃しないように。
いつものように、以下に気になったものをメモとして残します(◎は重要文化財)。
第 1 章 ようこそ地獄の世界へ
入口はのんのんばあと地獄めぐり
水木しげるは郷里の鳥取県境港で少年期を過ごしました。ここでしげる少年に絶大な影響を与えたのが、実家のお守り役に来ていた「のんのんばあ」でした。その妖怪や地獄の話は、「水木しげる」の原体験であったことは、名著『のんのんばあとオレ』のなかで語っています。2013年に絵本『水木少年とのんのんばあの地獄めぐり』が発行されましたが、ここではその原画を展示し、のんのんばあと一緒に八大地獄をめぐります。
《92-1 奪衣婆 水木しげる 1枚 紙本着色 現代 水木プロダクション》
奪衣婆は、冥府の三途の川のほとりに立っていて、亡者の衣類をはぎ取り、懸衣翁がその衣を衣領樹に掛け、その枝の高低によって生きている時の罪の重さを計る。
《92-5 衆合地獄 水木しげる 1枚 紙本着色 現代 水木プロダクション》
八大地獄の三番目、殺生・偸盗・邪淫を犯した者の落ちる所で、山や大岩が両側から迫ってきて押しつぶされる。邪淫の罪を犯した男が、美女の声に誘われて刀葉林を登る。
《92-7 表紙(釜茹で地獄) 水木しげる 1枚 紙本着色 現代 水木プロダクション》
炎燃え盛る中、二匹の鬼が地獄の釜で罪人を似ている。巨大な銅釜は「かなえ」。
《92-11 阿鼻叫喚地獄 水木しげる 1枚 紙本着色 現代 水木プロダクション》
五逆罪、四重禁を犯した者が堕ちる地獄。落下すること2000年、焼けた玉を飲み込まされ、舌を抜き出されて釘を打たれ、鳥についばまれる。
《92-13 浄土 水木しげる 1枚 紙本着色 現代 水木プロダクション》
光が満ち、華が咲き乱れる世界。豪華な建物の中央に仏様、その左に阿弥陀如来、右に奏楽、舞踏菩薩らがいる。少年ものんのんばあも空を飛んで見物している。
往生要集の世界
平安時代(10世紀)に比叡山で修行した恵心僧都源信は、多くの経論の中から往生の要文を編集して『往生要集』を著しました。この中で地獄をはじめ六道のありさまを説いた描写は、その後の日本の文学や美術に多大な影響を与えたことはよく知られています。
《1 往生要集 源信著 6冊 紙本墨摺 鎌倉時代・建長5年(1253)龍谷大学図書館》
日本の浄土信仰の画期をなした源信による念仏解説書。寛和元年(985)に完成した。地獄や極楽の様相、阿弥陀仏の極楽浄土を讃え、念仏の方法を細かに解説した。
平安時代の僧侶、恵心僧都源信(942~1017)は奈良で生まれ、比叡山で修行を積んだ。源信は死後阿弥陀如来の来迎を受けて、極楽浄土へ生まれることを願う、浄土信仰を広めた僧として知られる。
写真画像展示
仏教の宇宙観である須弥山図で、地獄の位置を確認します。
《バナー 世界大相図(須弥山図)存統筆 バナー 1幅 紙本墨摺着色 原本:江戸時代 龍谷大学図書館》
須彌山を中心とする宇宙模型図の垂れ幕。この種のものは、中国・チベット・東南アジアの各地で描かれ、我国でも盛んに作られた。龍谷大学所蔵のものは、文政4年(1821)の作で存統の筆による木版画に手彩色がなされたもの。中央の青と赤に塗られた山岳が須彌山で、その右下に海に囲まれた南閻浮洲が描かれ、その下は八熱地獄層をなしている。
六道・地獄の光景
地獄は六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天)の一つで、地獄絵も多くは六道絵のなかの一つとして描かれます。ここでは、中国南宋時代に描かれた六道絵、中山寺所蔵の六道絵、聖衆来迎寺に伝わった国宝六道絵の江戸時代の模本(前期展示)、また、国宝の地獄草紙の模本などでリアルな地獄を紹介します。
《8 六道絵 6幅のうち3幅 紙本着色 江戸時代 兵庫・中山寺》
入道図では、阿修羅道を武士の行進で描き、その右に生老病死葬祭、左に九相図を描いている。
《13 六道絵(文政本) 15幅のうち5幅 絹本着色 江戸時代・文政6年(1823)滋賀・聖衆来迎寺》
亡者は中陰で十王の裁きを受ける。閻魔庁図は、閻魔様の裁きの様子を描いたもの。中央に閻魔王。業鏡に生前の姿が写されると、人頭幢(人の顔が付いた杖)の上の頭が、善なら光を悪なら火を吐く。
阿鼻地獄図では、一面に業火が燃えさかり、そこには舌を引っ張られ、釘で打ち付けられる死者の姿。門外には冥官、火車、獄卒の姿がある。
《24 十王図 4幅 絹本着色 室町時代 龍谷大学 龍谷ミュージアム》
画面左上の円相内には本地仏。宋帝王図は文殊菩薩、五王図は普賢菩薩である。五王図には、亡者の他、普賢菩薩と獄卒の戦いが描かれている。
第 2 章 地獄の構成メンバー
閻魔王・十王・地蔵菩薩
冥界の主とされる閻魔大王をはじめ、その眷属である司命・司録、閻魔王を含む冥界の裁判官である十王、獄卒や奪衣婆、六道の救済者地蔵菩薩など、地獄の構成メンバーは多彩です。
《14 重要文化財 閻魔天曼荼羅 1幅 絹本着色 鎌倉時代 滋賀・園城寺》
閻魔王は水牛に乗った憤怒顔の官人姿で描かれ、左手に人頭幢を持っている。周囲に太山府君など、外縁に四天王、帝釈天、梵天が描かれている。
《21 地蔵十王図 11幅 絹本着色 中国・南宋時代 京都・誓願寺》
地蔵菩薩の頭光から光が放たれ、頭上に六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道)が描かれている。両脇に天女、画面下に数々の仏と獅子が描かれている。
第 3 章 ひろがる地獄のイメージ
山のなかの地獄
地獄のイメージが定着すると、その様相は他の様々なジャンルの説話画に飛び火して行きました。日本では修験道に代表される山岳宗教が発達するとともに、山中に極楽や地獄が説かれるようになりました。立山曼荼羅はその代表的なものです。
《45 立山曼荼羅 松平乗全筆 4幅 紙本着色 江戸時代・安政5年(1858)個人
平安時代末期から江戸時代にかけて、山岳信仰の一つとして立山信仰が注目を集めた。上部には立山の山岳景観、阿弥陀三尊来迎、中央には閻魔大王や鬼などを描いた立山地獄、下部には立山山麓芦峅寺で行われた女人救済儀礼や布橋灌頂会の様子が描かれている。立山山麓の衆徒は、江戸時代から昭和初期まで、こういった立山曼荼羅を携えて全国を回り、人々に立山開山の由来や、立山地獄などの絵解きを行って立山信仰を広めたという。
「心」と地獄
中世から近世にかけて熊野比丘尼が絵解きをして持ち歩いたとされる熊野観心十界曼荼羅は、画面の中央の「心」の字を中心に上部に老いの坂道図を置き、その下に仏・菩薩・縁覚・声聞(以上が四聖)と、天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道、合わせて十界の図が描かれています。すなわち、人間の生老病死と地獄・極楽が1画面に描かれていますが、地獄に行くか極楽に行くかは、その人の心次第であることが説かれ、庶民の間に広く信仰されました。
《52 熊野観心十界曼荼羅 1幅 紙本着色 江戸時代 個人》
金と銀で表された日輪と月輪。その下に半円で描かれた山には、季節の移ろいと人の成長と衰え、つまり生老病死としての人道が描かれている。その下には阿弥陀如来と諸菩薩、中心の円相には「心」と書かれ、それから八本の赤い糸がそれぞれ八つの鳥居に向かって伸びている。円相の下には施餓鬼棚。画面下には地獄が描かれている。特徴的なこととして、画面右下の中央に「往生要集」には記されていない女の地獄が描かれている。蛇の体をした女二人が、男をとぐろ巻きにした両婦地獄であり、夫の愛人に嫉妬を抱いた妻が落ちる地獄とのこと。
こうした熊野歓心十界曼荼羅を折りたたんで携帯し、熊野比丘尼と呼ばれる尼僧が諸国をめぐりながら絵解きしたとされる。
地獄めぐりの物語
北野天神縁起などのように、実際に地獄を見聞して蘇生したという話が流布し、これが各地の寺社縁起絵や高僧伝絵などに取り入れられました。
《39 北野天神縁起巻第四 芝観深筆 6巻のうち1巻 紙本着色 室町時代・文安3(1446)大阪・佐太天神宮》
展示は、修行に励む日蔵が執金剛神と六道巡りする場面。この続きに、日蔵と醍醐天皇の会合が描かれる。
「ひろがる地獄のイメージ」から「地獄絵ワンダーランド」へ
地獄のイメージの広がりは、中世から近世に至り、世の中が安泰になるにつれ、どこか愛嬌のある地獄絵や、地獄をパロディ化した読本などが生み出され、民衆に受け入れられるようになります。その背景には、江戸時代に文楽や歌舞伎、落語や演芸など、庶民の娯楽が盛んになったことや、博物学など西洋科学の影響、また国学の影響などが考えられます。
《43 長寶寺縁起 詞:勘解由隆典筆 絵:倉橋泰貞筆 1巻 紙本着色 江戸時代・元文2年(1737)大阪・長寶寺》
比丘尼慶心の蘇生譚の舞台となる長宝寺は、中世から現在に至るまで広く信仰を集める閻魔信仰の拠点となっている。絵巻は、亡くなった比丘尼慶心が中尊不動明王の導きにより地獄を訪れ、閻魔大王に地獄を見た証として手のひらに印を押され、死後三日後に蘇って、閻魔大王の言葉通り、生前に死後の冥福を祈る逆修の大切さを説いたという内容。
《44 閻魔王大実判 1顆 江戸時代 大阪・長寶寺》
慶心の手のひらに押された判をもとに作られたという閻魔王の実判。王の字に天冠の三角形が彫られ、この印を授かった者は地獄落ちを免れると信仰されている。長寶寺では、毎年5月18日に行われる閻魔王の縁日に、参拝者の額にこの実判を押す。さらに、閻魔王の奇瑞で出現した青蜘蛛の舎利を公開し、結縁することが行われている。
《54 熊野観心十界曼荼羅 1巻 紙本着色 江戸時代 早稲田大学図書館》
一枚の図を切って絵巻にしたもの。
《75 小野篁地獄往来(地獄一面照子浄頗梨)山東京伝作、北尾政演画 1冊 紙本墨摺 江戸時代・寛政元年(1789)刊 早稲田大学図書館》
小野篁は小倉百人一首にも名を連ねる歌人だが、「朝には朝に務め、夕べには冥府に仕える」と噂された。展示された頁は、地獄でのんきに過ごす小野篁の姿が描かれている。
漫画へうげものの古田織部似で笑えた。
《81 死絵「四代目中村歌右衛門・八代目市川團十郎・初代坂東しうか」 3枚続 紙本多色摺 江戸時代 国立劇場》
絶世の容貌と32才での自死のため、團十郎に関する死絵は100種類以上発行された。中央に團十郎、左に観音菩薩に扮する坂東しうか、右に石川五右衛門に扮する中村歌右衛門を描いた。位牌には、それぞれの定紋である杏葉牡丹、花勝見、裏梅が描かれている。
「心」字の展開
ここでは、熊野観心十界曼荼羅の影響のもとに描かれた心字絵馬や心字曼荼羅、また双六など、小さな閻魔像とともに展示します。
《55 心字絵解図絵馬 林文吾筆 1面 板地着色 明治14年(1881) 和歌山・二沢観音堂》
上に心の文字がついた自在鉤の絵を見せながら、餅のようにぐにゃぐにゃ曲がったものを心の形にしようと指示している。「よきに似よあしきに似なよなべて世の. 人の心は自在鉤なり」という松平定信の狂歌を絵解きしたもの。
第 4 章 地獄絵ワンダーランド
ここでは恐怖や畏れを超越した、魅力的で諧謔味あふれる地獄絵を紹介します。漫画チックとしか言いようのない十王図、おおらかで素朴な画風ではあるが、派手さと迫力をあわせ持った特異な十王図、禅僧白隠の有名な地獄極楽変相図、木喰の十王像など、まさに地獄絵ワンダーランドです。
《63 葛飾区指定有形文化財 地蔵・十王図 13幅のうち10幅 紙本着色 江戸時代 東京・東覚寺》
強烈な造形と色で描かれ、まるで漫画のよう。大きな目、おどけた表情が印象に残る。
《89 閻魔・奪衣婆図 河鍋暁斎筆 2幅 絹本着色 明治時代 林原美術館》
右幅は閻魔大王を踏み台にして、木に短冊を吊るす美女。着物には羅漢図。河鍋暁斎が得意にしていた地獄太夫を彷彿とさせる。左幅は美しい若者に白髪を抜かせる奪衣婆。
他の展示物と違って説教めいたところが一切ない。
第 5 章 あこがれの極楽
厭離穢土・欣求浄土
人々は極楽浄土を求めて祈り、また阿弥陀如来を念じました。最後に人々の憧れ、極楽浄土と極楽往生の様を描いた浄土図や来迎図の優品をご紹介します。
《93 二河白道図 1幅 絹本着色 室町時代 富山・光照寺》
この世と阿弥陀如来の浄土とを隔てて、水の河と火の河があり、両者の間を幅四五寸の白い道が伸びている。白い道を進む人を送り出すのは、多くは釈迦如来であるが、この画では僧侶である。下には龍や蛇、左には虎や象や獅子の姿。
《96 当麻曼荼羅 1幅 絹本着色 南北朝時代 個人》
当麻曼荼羅とは、奈良の当麻寺に伝わる中将姫伝説のある蓮糸曼荼羅と言われる根本曼荼羅の図像に基づいて作られた浄土曼荼羅の総称。展示されているのは、16文の1に縮小された模写である。
《99 山越阿弥陀図 1幅 絹本着色 室町時代 京都・清浄華院》
阿弥陀如来来迎図の一種で阿弥陀如来が山の向こうから半身を現し、極楽に救いとろうとする様相を描写したもの。恵心僧都源信が比叡山で会得したと伝わる。
《101 阿弥陀二十五菩薩来迎図 1幅 絹本着色 南北朝〜室町時代 京都・知恩院》
左上から阿弥陀如来が奏楽舞踏菩薩としての二十五菩薩を連れて来迎るす様子を描いたもの。
一周するのに2時間半。やけに足が疲れ、最後の方はやや集中力が切れてしまいました。民間で描かれた様々な地獄極楽図といった様相なので、美術品としての楽しみは少なめ。元から好きな河鍋暁斎、山東京伝のは別格として、世界大相図の仏教における宇宙観、熊野観心十界曼荼羅、閻魔大王の実判、山越阿弥陀図が特に印象に残りました。
この後、余力を振り絞って隣のビルの日本橋三越に移動し、MITSUKOSHI ART CUBEに出展されていた奈良美智氏や田島亨央己氏の作品を眺めました。帰るだけのエネルギーが切れたので、宮越屋珈琲でフランボワーズのケーキ。
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