中国書画精華―日本人のまなざし―(後期)@東京国立博物館 東洋館
夕暮れ時、東京国立博物館の東洋館で開催中の「中国書画精華」展へ。
展示替えの後も何度か東博に行ったにも関わらず、東洋館に足を向けることなく行きそびれていました。展示終了間際なのに気がついて慌てて駆けつける始末。
東洋館 8室 中国書画精華―日本人のまなざし―
朝一番だろうが、夕暮れ時だろうが、閑散としていることには変わりのない東洋館8室です。
以下に、気になったものをメモとして残します(◎は重要文化財、◯は重要美術品)。
《琴棋書画図軸 4幅 伝任仁発筆 中国 元時代・14世紀》
右から、琴・棋・書・画を楽しむ高士が描かれ、季節も春・夏・秋・冬が表されています。緻密で多様な器物表現が見所です。狩野常信の外題があり、筆者不明ながら江戸時代の模写も伝わります。日本では元代・任仁発筆とされましたが、実際には明代初期の作品でしょう。
琴棋書画を楽しみながら、茶を飲み、手を洗い身を整えています。日本画と比べると、四季の描写が控えめに感じました。
《売貨郎図軸 1幅 中国 明時代・15~16世紀》
倍貨郎とはおもちゃ売りのことです。売子の男の手には小鳥がとまり、子どもたちがそれを見ています。お面や果物を積んだ車には鳥や猿が描かれ、手前の子どもはカエルを捕まえて得意げです。初期宮廷画院の手になると思われる、繊細な描写を持つ名品です。
穏やかな雰囲気。物品の細やかな描写が見事で、売子を囲む子どもたちだけでなく、眺めている私までも楽しくなります。
(部分)
車の下に猿の姿を見つけて驚く。
《◯売玩郎図軸 1幅 呂文英筆 中国 明時代・15~16世紀》
桃花の咲く頃、操り人形、お菓子や仮面など子どもが喜びそうなものを売りに来た人物。右下にはウサギの姿まで見える。すでに人形を手にして得意げに遊ぶ子ども。このような画題はただの風俗画ではなく、子どもがすくすく育つことを祈る吉祥の意味もあった。
こちらは色が鮮やかに残っていて見やすい。前の作品と比べて、きらびやかな雰囲気です。
《文会図軸 2幅 伝盛懋筆 中国 明時代・16~17世紀 個人蔵》
狩野派は元代・盛懋筆としましたが、実際には明代後期に南栄宮廷画を模して作られた作品でしょう。豪奢な庭園で、高士たちが様々な趣味・文芸活動に勤しんでいます。人物や器物の描写は非常に細かく、一部金泥線も使われます。江戸時代に高く評価されたのも頷けます。
左軸は画を鑑賞する高士を描いたもの。何枚も重ねた掛け軸の裏に隠れるように人がいたり、その手前で従者に足を拭かせている人物がいたりするので、遠近感のなさから錯視のような見づらさがあり、却ってまじまじと見てしまいました。奇岩の表現が面白い。右軸は高士の上にある平らな岩が目立つ。
北宋末の文人米芾に始りその子米友仁に継承されたといわれる山水画を米法山水といいます。墨点を重ねて雲のような潤いのある画面をつくることが特色です。本図は二幅の図様がつながるところから離合山水図といわれ、明初の米法山水の優品として知られています。
輪郭線を用いず、墨のぼかしで湿潤な空気が描いている。筆を横に寝かせ墨点を打って山や樹石を描く。この点描を米点と呼ぶ。
《◯杜陵詩意図軸 1幅 伝倪瓚筆 中国 明時代・16~17世紀》
元末の文人画家・倪瓚は、戦乱を避けて家族を捨てて放浪し、その生活と詩画は多くの文人の共感を呼び、愛されてきました。これは志賀直哉が愛蔵した作品で、自身が編纂した豪華美術図録である『座右宝』にも所載されています。賛は同じく杜甫のもの。国が乱れて街には人影もまばらで、橋には板なく、倒れた柳からは新枝が芽吹いている、という杜甫の詩と、画の内容が見事に一致したことが志賀直哉の共感を得たのでしょう。このような元末文人画の精神は白樺派の文士に愛好されます。長尾雨山の箱書があります。
人気のない荒涼とした風景が描かれています。倪瓚は潔癖だったそうで、洗い桶を離さず、来客の座ったところを掃除して回ったとか逸話が残されています。
《宮女図巻 1巻 伝仇英筆 中国 明時代・16世紀 東京・大倉集古館蔵》
模範とされた女性を描く画巻です。孤独に耐えながら刺繍を続けた無双、琵琶の名手である羅惜惜、献身的に夫に仕えた聶勝瓊、遠く離れた夫に自分の肖像と詩を届けさせた薛姫などが、それぞれの物語を象徴する器物とともに描かれています。
仇英筆と伝わるだけあって皆美しく、なで肩のたよやかな稀代の美人が描かれています。
《西園雅集図巻 1巻 伝仇英筆 中国 土井林吉(晩翠)旧蔵 明時代・16~17世紀 個人蔵》
西園雅集とは北栄時代に蘇軾や米芾が集ったとされる伝説の雅会で、文人雅会の典型として、多く絵画化されてきました。本図は宋時代に描かれた作品を模して明時代に描かれたもので、文人の机の上には瀟洒な文房具が並び、雅会の清雅を象徴しています。
『西園雅集』は、円通大師の呼びかけで、当時の高名な文人十六人が西園に集まった出来事が、同じく参会者であった李伯時の画と米元章の書によって後世に伝わった。鳥帽の蘇東坡(蘇軾)が筆を持ち、それを王晋卿ら4人が取り囲む。石に書をするのが米元章、円通大師が「無生論」を説くのに向き合っているのが劉巨済である。
康熙21年(1682)、陳敬廷が城南山荘に友人の王士禎、王又旦、王懋麟、徐乾学らを招き、その肖像を禹之鼎に描かせたもので、当時の文人雅集の様子がわかります。書画のコレクターとして有名であった廉泉が来日時に山本二峯に譲り、のち高島菊次郎へと伝来しました。
(部分)
ピースしていないのが不思議な程に記念写真的な画。
《山水図冊 1帖(12図) 李世倬筆 中国 清時代・18世紀》
李世倬は字を天章、または漢章、天涛、号を谷斎、菉園、星厓、十石居士、太平拙吏、伊祁山人、清在居士などといい、奉天(遼寧省瀋陽)の人。母方のおじにあたる高其佩に画を学ぶとともに、王翬の文人画風にも影響を受け、焦墨と淡彩を用いた独特の山水画を描きました。
相当高い視点から描かれた構図が面白かった。
中国絵画は絵師の名前も覚え難いし、見所のわからないものが多いのですが、今回は日本でもよく描かれた琴棋書画、倍貨郎図、雅会の図が多くてわかりやすく、楽しめました。写真がないのが残念ですが、宮女図巻がとても印象に残りました。
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