築地よりみち館
築地四丁目交差点にそびえる、あきらかに隈研吾デザインの建物が築地KYビルです。買い物ついでに入ったところ、2階に築地よりみち館という展示スペースがありました。
江戸から明治にかけての古地図や浮世絵の複製画が展示されていました。
《東京築地鉄砲洲景 歌川国輝(二代) 1869年 京橋図書館蔵》
鉄砲洲は現在の中央区明石町、聖路加国際病院付近にあった外国人居留地です。本図では右から、築地ホテル館、国旗が並んでいる辺りが外国人居留地、花屋敷、そして新島原遊廓が描かれています。満開の桜の下、様々な格好の人々が賑やかに描かれています。なまじ地名がわかるので大変見てて楽しい。
《東都築地保丁留館 海岸庭前之図 歌川国輝(二代) 1868年》
現在の築地市場立体駐車場のある辺りに、日本最初の本格的洋風ホテル「築地ホテル館」があったそうです(築地海軍操練所の跡地だったとか)。完成して4年で大火で消失したので幻のホテルと言われているそうです。
《春色浜庭の千代鶴 楊洲周延(橋本直義)》
将軍家の浜御殿「浜の御苑」での春の宴を描いたもの。
左《東都名所 築地御門跡 歌川広重》、右《鉄砲洲築地門跡 歌川広重 1858年》
築地御門跡とは現在の築地本願寺のこと。京都の西本願寺が準門跡寺院であることから、江戸時代より築地の御門跡様と敬われました(本願寺は西本願寺の別院)。
古地図にみる築地の変貌《安政2年 江戸図 1855年》
龍馬の時代の江戸。築地周辺は大名屋敷だった。
日本橋の魚河岸が関東大震災後に築地に移転。
《一目瞭然大江戸俯瞰図 弘化4年(1847)》
古地図の俯瞰図は初めて見ました。高台と海岸線が実にわかり分かりやすくて便利です。広重などの江戸の名所絵を見る時に、この俯瞰図があると当時を想像しやすくなりそう。
今は勝どきや晴海の埋め立て地に囲まれて、築地は海に接していません。この頃とは随分と地形が変わりましたね。
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