二見興玉神社:お伊勢詣 その1
早朝に新幹線に乗りました。
お伊勢詣よりも先に旅行中に食べた物を記事にしてしまうあたり、どっちが旅のメインなんでしょうね。
https://isshokuta.kuruxkuma.com/2019-08-26-114425/
さて、名古屋駅から電車に揺られること2時間強、伊勢市の JR東海参宮線二見浦駅に到着。古来、伊勢神宮の禊場である立石浜に向かいます。
駅舎は夫婦岩モチーフでガラス張りの二つに分かれた建物。景勝地の二見浦は「ふたみがうら」、駅の読みは「ふたみのうら」なんだそうです。
駅前には神明鳥居があります。
神話の町ですねえ。
二見興玉神社に向かう途中、重要文化財 賓日館の前を通りました。
明治20年(1887年)、伊勢神宮に参拝する皇族や要人の宿泊施設として建設された旅館で、現在は資料館になっています。
立石崎の二見興玉神社に到着。
一の鳥居は石造の伊勢鳥居。貫に神紋である裏花菱紋が二つ付いています。武田家の家紋で有名な花菱に似ていますが、裏というように花托側を図案にしているため、花びらの中心の形が少し変わっています。
参道の脇にしょうわな狛犬がありました。
二見興玉神社の御由緒。
二見興玉神社由緒
祭神 猿田彦大神 宇迦御魂大神
仁天皇の御代皇女倭姫命天照大神の神霊を奉載して此の二見浦に御船を停め神縁深き猿田彦大神出現の神跡である海上の輿玉神石を敬拝し給う 即ち夫婦岩に注連縄を張り拝所を設けたが其後天平年間僧行基輿玉社を創建す 明治に至り宇迦魂大神を合祀して二見輿玉神社と称する 古来日の出の名所としてまた伊勢参宮の禊所として有名である
立石崎には古来から興玉神石の遥拝所があった。大江寺の興玉社が、明治に入ってから立石崎に移され、宇迦之御魂神を祀る三宮神社と合わさって二見興玉神社となったという。つまり、景勝地としての立石崎の歴史は古いが、神社の歴史はそれほど遡らないらしい。
寛政9年(1797年)発行の『伊勢参宮名所図会 巻四』に二見浦が描かれている。
見事なまでに砂浜の他は何もない。
参道の所々に蛙の石像がある。御神祭猿田彦命の神使とされる二見蛙(ふたみかえる)です。
天の岩屋。
洞窟の前には、朱塗りのプラ製の伊勢鳥居が立ち、朱塗りの板垣に囲まれて切妻造の縦拝殿が置かれている。
稲荷神の宇迦之御魂神を祀った三宮神社(別名 三狐神社)の遺跡とされている。
三狐神はサンコシンの音変化でサグジとも読まれる。かつて漁師が祀っていた岩屋神である石神(シャグジ)が、三狐神(シャグジ)と呼ばれてるようになり、狐を神使とする稲荷神が稲の神であることから食物神の宇迦之御魂神と同一視されるようになった。
手水舎も蛙だらけ。
社殿は平成にできた鉄筋コンクリート造の新しいもので、扁額、しめ縄がついた切妻造の縦拝殿が置かれている。緑色の屋根から長く伸びた軒が印象的です。板垣に囲まれた本殿は木製の神明造。内削ぎの千木に6本の鰹木がありました。
拝殿横の二見蛙越しに夫婦岩を眺める。
夫婦岩の案内板。
夫婦岩
夫婦岩は、沖合700mの海中に鎮まる興玉神石の皇居と見なされており、日の出の遥拝所として古くから知られています。
男岩と女岩を結ぶ大注連縄は「結界の縄」と称され大注連縄の向こうを常世神が太平洋の彼方から寄りつく聖なる場所、そして手前を俗世という桁立ちを持ち張られています。
この大注連縄は、およそ650年前(文保年間)、既に張られており、現在も氏子により大注連縄張替の神事が年3回、5月5日・9月5日・12月中旬の土・日曜日に行われています。
夫婦岩の大きさは、男岩 高さ9m、女岩 高さ4mで二つの岩を結ぶ大注連縄は長さ35m、男岩に16m、女岩に10mが巻かれ、その間9mあります。
夫婦岩の間からの日の出は、5月から7月頃が見ごろで、その絶景は深い感動を与えています。
拝殿脇を通り、夫婦岩のすぐ側まで遊歩道を進みます。
ここが神宮の禊場(垢離場)である立石浜。満潮で見えませんが、ここから境内の飛び地にある竜宮社あたりまで砂浜が続いています。
夫婦岩とよばれる立石(男岩)と根尻岩(女岩)に張られた注連縄は、本来、沖合にある興玉神石の鳥居代わりのもの。興玉神石は宝暦年間に起きた地震で海中に沈んで見ることはできない。
この後、 竜宮社を通り過ぎて伊勢シーパラダイスまで歩いたところで雨脚が強くなったので、二見浦駅まで引き返しました。
二見浦駅のホーム。
無人駅な上に人っ子一人いないホーム。やけに線路脇が広々としていると思ったら、鉄道柵がありません。実にのどかです。
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