伊勢神宮 別宮 倭姫宮:お伊勢詣 その5
内宮と外宮を結ぶ御幸道路の中ほどにある倉田山の山頂、倭姫宮交差点から少し下ると大鳥居が立っている。
鋼鉄製の伊勢鳥居。ずっと下れば内宮に至ります。
東側には黒門(旧福島御塩焼大夫邸門)がある。
西を向くと倭姫宮の社号標と一之鳥居がある。
伊勢鳥居の柱には玉串が付き、右脇に木灯籠が一本立っている。
美しく掃き清められた参道を進むと、石階段が現れる。
ここも段丘の上に社があるらしい。
新御敷地に接して倭姫宮の社殿がある。
玉串のある伊勢鳥居が立ち、内宮正殿に準じて内削ぎの千木に6本の鰹木を持つ神明造、切妻の縦拝殿がついている。御祭神はその名のとおり倭姫命。天照大御神の御杖代となって皇大神宮を創建し、祭礼や摂末社など神宮の基礎を定められました。倉田山に隣接する間の山(あいのやま)に、倭姫命の陵墓とされる古墳尾上御陵(おべごりょう)があり、宮内庁の管理となっている。
鳥居の笠木にひし形の埋木を見つけました。
きっと内宮の古材が使われている のでしょう。
倭姫命は第11代垂仁天皇の第4皇女として生まれた。第10代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の跡を継いで天照大神の御杖代となり、大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮を創建した。
倭姫命の巡幸譚は鎌倉時代に成立した『倭姫命世記』に詳しい。
倭姫命が神宮を定める直前に遷幸した元伊勢第二十六の奈尾之根宮(なおしねのみや)では、猿田彦命の子孫である大田命が参上し「五十鈴川の川上に優れた霊地があり、光り輝くことは太陽や月のようです」と述べたとされる。倭姫命がその地へ赴くと、昔に大神が美しい宮殿ありと見定めて天上から投げ下ろされた天の逆太刀、逆鉾、金鈴などがそこにあったという。
ここでいう五十鈴川は、現在の島路川のこと。
皇大神宮の地を定めるにあたり関係した猿田彦命は、内宮正殿御垣内に興玉神(内宮所管社第2位)として、猿田彦命の妻である宮比神(天鈿女命)と共に鎮座している。なお、内宮所管社第1位の瀧祭神は御垣御門だけの造りであるが、ここに天の逆太刀が埋まっているいう伝承がある。
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