佐太神社:出雲詣 その6

2022年4月19日

美保神社から出雲市に向かう途中、せっかくなので出雲国二宮 佐太神社に寄りました。

 


id="一之鳥居">一之鳥居

佐陀川に架かる佐太橋を渡って少し進むと石鳥居がある。
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石製の明神鳥居で、右脇の社号標に「佐蛇大社」とあった。参道が南西に続いている。参道脇のぜんざい屋さんが店じまいをしていた。

御由緒

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御神徳・沿革

当社は出雲国風土記に佐太大神社或いは佐太御子社とあり三笠山を背に広壮な大社造りの本殿が相並んで御鎮座になっているので佐太三神とも称され、延喜式には佐陀大社と記され出雲二宮と仰がれてきた神社である。 主祭神佐太大神(猿田毘古大神)は日本海に面する加賀の潜戸に御誕生になり出雲四大神の一柱として崇められ古くから導きの神・道開きの神・福の神・長寿の神・陸海交通の守護神・鎮守の神として信仰されてきた 御本殿は三殿並立で中央が正中殿 向かって右が北殿 左が南殿 いずれも大社造りでこの様な豪壮な三殿構えは平安時代末期に成立したようであり他にも類例を見ないもので神社建築史の上で特筆すべきものである 現在の御社殿は文化四年の造営であるがその様式は古く元亀年間の造営を踏襲してきたもののようである 国の重要文化財に指定されている

(中略)

神在祭

十月を一般には神無月というが出雲国だけは神在月と云っている 社伝によると正中殿の御祭神伊弉冉尊の神去りました旧暦十月に八百万の神々が当社に参集されるので幟も立てず神楽もあげぬ厳粛な物忌みを行うことからお忌祭りとも云う この祭りには神迎え神事・速注口神事・神去出神事・船出神事・止神送神事・柴刺神事・宿借神事等があるので、古来当社を「神在の社」とも云っている

境内図

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三笠山を背景に佐太神社が見えた。
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佐太神社は、元は朝日山の麓に鎮座していたと思われる。733年完成の『出雲風土記』に秋鹿郡内社寺の筆頭として「佐太御子の社」と記され、927年にまとめられた延喜式神名帳には出雲国秋鹿郡「佐陁神社」とあり、佐太御子から佐太大神と変遷がみられる。もしくは、『出雲国風土記』の朝日山の麓にあった「佐太御子社」と延喜式神名帳の「佐陁神社」は別社であるとも考えられる。

延喜式には祭神一座とされていたが、中世には佐太御子神とその父母神の三神を祀り、三社構造へ変化したと思われる。

御祭神の変化もある。明応4年(1495)の『佐陀大社縁起』に佐陀太明神とは、天地開闢の祖で陰・陽の最初の神である伊弉諾・伊弉冊の尊であると記され、少なくとも室町時代から江戸初期までは、主祭神が伊弉諾命・伊弉冉命であった。

現在、神社の見解では、佐太大神とは猿田彦神のこととしているが、猿田彦説が出たのは江戸時代に平田篤胤が『古史伝』を著して主張したことが基になっているようだ。 

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 葱台付きの木橋を渡った先には堂々とした狛犬が待っていた。
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円座で尾立の蹲踞型出雲狛犬。右が吽形で左が阿形なのが珍しい。それにしても巨大。

 

写真はないが、神門の前に堂々とした手水舎があった。銅板葺切妻屋根に梅鉢懸魚、丁字柱で四方転びの四方開け放ち。中央に自然石の手水鉢がある。

神門

銅板葺切妻屋根の三間一戸の八足門で中央が参詣者の通路になっている。

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追加された左右の間を板壁で覆って随神が安置されている。

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左右どちらの随神も左足を上げて半跏していた。右が吽形老随神、左が阿形壮年随神。

三社殿

三笠山を背景に檜皮葺の大社造が三殿並立する。中央の正中殿は左右の南殿・北殿よりひと回り大きく、大社造の遺構中、出雲大社本殿に次いで規模が大きい。南殿と北殿は構造が左右対象で、大社造で神座が右向きになるのは佐太神社の南殿以外で他にはない。f:id:Melonpankuma:20190929193623j:plain
正中殿、北殿、南殿それぞれに八脚門の拝殿があり、回廊で繋がっている。中殿拝所には扇地紙紋入りの拝殿幕が飾られている。佐太御子大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、事解男命、速玉男命をお祀りする。

北殿

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北殿の神紋は輪違紋である。天照大神、瓊々杵尊をお祀りしている。 

拝所を回り込んで、側面から玉垣越しに北殿を見る。
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高床で切妻屋根の大社造り。屋根には外削ぎの置千木に三本の鰹木で梅鉢懸魚。それにしても背後の山が近い。

南殿

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南殿の神紋は二重亀甲紋である。素盞嗚尊と秘説四柱をお祀りする。 

 

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一般的な大社造と左右対称になっているのが入り口の構造でわかる、

舞殿

銅板葺入母屋造で三方開け放ち。
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毎年9月24日と25日(旧暦8月24日と25日)に、御座替神事の中で佐陀神能が奉納される。佐陀神能は出雲神楽の源流として、古式をよく伝えていることから昭和 51 年に重要無形民俗文化財に指定されている。

藻汐祓

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家に悪穢があった時青竹で汐筒を作り海に行き汐を汲みジンバ草を採り身を清め当社にお詣りして祓をするのが古くからの風習であります

北末社

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三社殿の北側の四間社流造り。御祭神は、山王社、宇智社、玉御前社、竹生島社である。

南末社

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三社殿の南側の四間社流造。戸立社、振鉾社、垂水社、天神社、岡見八幡宮 橘稲荷社 客社 宇多紀社をお祭りしている。お社の前に狛狐と狛犬が置かれている。

南末社の狛狐。
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合祀される前の稲荷社にあったものだろう。何かを咥えていたよにも見える。

出雲構え獅子。右が阿形。
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サイズ感がよい。柴犬がプレイバウしているようで思わず笑顔になる。

南末社前の階段下に巨大な円座の蹲踞型出雲獅子。左が阿形。
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この大きさからいって、元は佐太神社の入り口に鎮座していたものだろう。役目を終えて、南末社でご隠居中といったところか。

 

南境内社の奥に長い階段があった。50メートルほど登ると母儀人基社がある。御祭神は伊弉冉尊とあった。社殿創建以前の御神座ではないかとの云われがある。

正中殿の前を通りかかったら、ちょうど拝所の門が閉じられたところだった。
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この写真のタイムスタンプは17時7分。門が開いている内になんとか参拝できてよかった。

こう写真でまじまじと見ると、正中殿の拝所が本殿出入り口に合わせて設置されているので、正中殿本殿と拝所の中心線が合わないのがやけに気持ち悪い。珍しいものだということはわかるけど。