琳派−光悦と光琳@MOA美術館
箱根のお宿を出て、箱根登山鉄道で山を下りました。
出山信号場でのスイッチバック後、出山の鉄橋を通過しました。
塔ノ沢駅で数分の電車待ち。
ホーム前の深沢銭洗弁天様にお参りする人が多かった。この後、箱根湯本、小田原を経由して、東海道本線で熱海へ向かいました。
熱海駅からはバスで移動し、到着したのはMOA美術館です。
一年ぶり二度目のエスカレーターです。
エスカレーターを登っていく間の期待感もこの美術館の醍醐味のひとつ。
展示室までは7つのエスカレータがあるのですが、景色を楽しみたいので離脱して屋外へ。
天気もよく、相模湾がよく見渡せました。
特別展「琳派−光悦と光琳」展を観ました。
以下、気になったもののメモを残します(◉は国宝、◎は重要文化財)。
1室
《1 月下紅白梅図屏風 杉本博 平成26年 (2014)》
展示室に入ってすぐ、300年忌を記念した特別展で制作された作品がありました。薄暗い中で照明に浮かび上がる様はとても美しくて、琳派波の禍々しい迫力が印象に残りました。
尾形光琳の水墨画が並んでいます。
《6 虎図屏風 尾形光琳 江戸時代 18世紀》
屏風の大画面からはみ出すほどの大虎ですが、なんだか可愛らしく感じてしまう表情です。
《12 銹絵染付梅花文散蓋物 尾形乾山 江戸時代 18世紀》
丸みのある蓋物で、意匠化された同じサイズの梅の花がまんべんなく散らされている。扱うと重そうですが、実にかわいらしい。
2室
《17 波蛇籠蒔絵螺細印籠 伝尾形光琳 江戸時代 18世紀》
鉛と貝で蛇籠を表し、水の流れに涼しさを感じさせる印籠。鉛を貼った大波には毛彫が施されていて、大変凝った作り。紐通しは三方に面がありました。
《19 銹絵染付梅文茶碗 尾形乾山 江戸時代 18世紀》
太く角ばった器にまるで綿の実のような、まあるい梅。錆色の落ち着いた色合いなのが、甘すぎなくて好みです。
《29 ◉ 色絵藤花文茶壺 野々村仁清 江戸時代 17世紀》
仁清の壺のために作られた特別な鑑賞室です。どこから撮っても映り込みがないのがすごい。
肩に四つの耳がついたベーシュ色の釉がかかった大壺で、赤、紫、銀で花色を表した藤が壺に巻き付くように描かれている。
壺の曲面に描かれているので、藤花がゆるやかな弧を描のが素晴らしい。実際の藤もこうして花柄を立てて弧を描いて垂れ下がるので、それがよく表されています。紫の藤花の背景に茶色の隈があるのに気が付きました。これがないと色が際立ちすぎるのでしょうか。色価に特別な感覚を持つ仁清なので、きっとそうなのでしょう。
尾形光琳の物語絵が並んでいます。
《30 草紙洗小町図 尾形光琳 江戸時代 18世紀》
能『草紙洗小町』を画題にしたもので、黒主の陰謀を見破り万葉集の冊子を水で洗って身の潔白を示す場面を描いている。
小町の着物の広がりと柄の美しさが印象に残ります。
《31 秋好中宮図 尾形光琳 江戸時代 18世紀》
『源氏物語』の「少女」を画題にしたもので、秋好中宮(斎宮女御)が秋の花や紅葉を箱の蓋ふたに入れて紫上に贈ろうとしている場面。青い几帳の前に秋色の十二単を着けた中宮が細やかで丁寧な筆致で描かれている。
《32 佐野渡図 尾形光琳 江戸時代 18世紀》
『新古今和歌集』にある藤原定家の「駒とめて 袖うちはらふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕暮」を画題にしたもの。黒駒に乗る貴人とその従者が袖を掲げて雪を避けながら進む姿が描かれている。
《33 伊勢物語図 武蔵野・河内越 尾形光琳 江戸時代 18世紀》
元は六曲一双の屏風だったのを軸装したニ幅で、それぞれ「武蔵野は けふはな焼きそ 若草の つまもこもれり 我もこもれり」と「風吹けば おきつ白波 たつた山 夜半にや君が ひとりこゆらん」の場面。
いわゆる琳派的な意匠化は少なく、大和絵の伝統に則った描き方をしている。
3室
《34 花卉摺絵新古今集和歌巻 本阿弥光悦 桃山~江戸時代 17世紀》
花々や竹などが描かれた料紙に『新古今和歌集』の恋歌21首を書写したもの。木版雲母摺の雲母を金銀泥に置き換えて刷られた料紙に、光悦の肥痩のある運筆がさらに華やかさを加えている。
《36 忍草摺絵古今集序書巻 本阿弥光悦 江戸時代 17世紀》
シノブが刷られた料紙に紀貫之『古今和歌集仮名序』を書写したもの。
私は古今和歌集の序がとても好きで、この文だけでも心が暖かくなるのですが、さらにこの美しさ。言葉になりません。
《37 鹿下絵新古今集和歌巻断簡 本阿弥光悦、(下絵)俵屋宗達 桃山~江戸時代 17世紀》
宗達が金銀泥で描いた鹿の絵に、光悦が『新古今和歌集』の和歌を書写した《鹿下絵和歌巻》の断簡。
《39 ◎ 樵夫蒔絵硯箱 伝 本阿弥光悦 桃山~江戸時代 17世紀》
大きく膨らんだ蓋が特徴の硯箱。蓋の表面に薪を背負って山を下る樵が描かれている。金の平蒔絵による土坡の大胆な表現、貝と鉛による樵の造形が見事。
俵屋宗達の絵が並んでいます。
《40 竜虎図 双幅 俵屋宗達 江戸時代 17世紀》
暗雲から顔を出した龍は、縦長の画面に頭部だけが描かれて、その大きさを想像させられる。あまりに龍を大きく描きすぎたのか、もう左幅の虎はというと、まるで猫のような愛らしさ。
《41 軍鶏図 俵屋宗達 江戸時代 17世紀》
尾羽根の部分のたらし込みが、まるでマスキングしたかのようになっていて、見事です。
《42 犬、兎、烏(三幅)の内 犬図 伝 俵屋宗達 江戸時代 17世紀》
宗達の描くゆるキャラの中で、最もひょうきんなのは犬だと思います。
《44 伊勢物語図 西の対 伝 俵屋宗達 江戸時代 17世紀》
ある男が想いを寄せた身分の高い女の元の屋敷を訪れ、会うことのできないところに行ってしまった女を想って詠んだ「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」を画題にしたもの。建物にかかる金雲の部分に和歌が記されている。引目鉤鼻に眉化粧の男が庇の間に身を横たえ、庭先の梅を眺めている。タータンチェックのような塀も印象深い。
《45 源氏物語 早蕨 俵屋宗達 江戸時代 17世紀》
元は団家所蔵の六曲一双の源氏物語図屏風の断簡。画題は『源氏物語』の「早蕨」で、新年の挨拶として山の阿闍梨から送られてきた蕨や土筆を受け取つ中の君が描かれている。画面の半分を覆う土坡に、山深い宇治の山荘の雰囲気が表されている。
酒井抱一の三幅対が並んでいました。
《47 藤・蓮・楓図 酒井抱一 江戸時代 19世紀》
光悦の孫にあたる本阿弥光甫の三幅対を参考にしたもの。つい先日、山種美術館で酒井抱一の養子である鶯蒲の忠実な写しを観たばかりですが、抱一のは写しではなく、抱一ならではの繊細なものに変わっています。
《48 雪月花図 酒井抱一 江戸時代 文政3年(1820)》
伝統的な画題の雪月花を三幅対に仕上げている。三幅対の縦長の構図をうまく使い、右下の桜から左上の雪に目線が自然と動くように雪月花を配している。
休憩に茶の庭を散策しました。
光琳が描いた図面を元に復元された数寄屋造りのお屋敷です。
尾形光琳が最晩年を過ごしたお屋敷は、京都の新町通り二条下ルにあったとされ、そこで《紅白梅図屏風》を描いたと考えられています。
光琳屋敷の続きにある花の茶屋で、乾山写の器を使った抹茶のババロアをいただきました。
ここでスマホのバッテリーが厳しくなってきたので充電器に接続しましたが、エラーが点灯して充電ならず。なんと充電器がエンプティです。コンセントは熱海駅のコインロッカー預けてしまったしで、非常に切ない気持ちになりました。インターネットに依存した生活なのでバッテリ切れにはとても注意しているというのに、こういうことが年に一度くらいは発生するんですが、よりによって、年に何度も来ない場所で。帰路に影響すると困るので、残りの撮影は極力控えることにしました。
《55 ◎ 愛染明王像 鎌倉時代 嘉暦2年(1327)》
赤い体躯で一面三目六臂の憤怒相。頭上に獅子冠、左手に金剛鈴、弓、宝珠を持ち、右手に五鈷杵、矢、蓮華を持つ。多くの愛染明王像では掲げられた左手は何でも掴めるという意味で拳を握るが、本画は宝珠を捧げていることから、増益祈願の本尊と見られている。
《64 鶏頭図屏風 桃山時代 16世紀》
金地の下半分に咲き乱れる鶏頭を配し、上部には色紙や短冊などが貼られている。真横から描かれた花叢が琳派の意匠化につながるようで面白い。
翌日のオヤツはミュージアムショップで買った塩クッキー。
見た目がとっても沢庵ですが、とても軽い食感でした。
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