那智山 青岸渡寺:熊野古道 その5
那智の大滝から裏参道を登って青岸渡寺の本堂裏に着きました。
梵鐘は鎌倉時代(元亨4年、1324年)の鋳造品で鐘楼は方1間入母屋造銅板葺で柱間は吹放ち、波千鳥の彫刻が施されていた。青岸渡寺の御詠歌は「補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬」です。
西国一番札所の碑がありました。2府5県にまたがる西国三十三所のスタート地点です。ちなみにニ番札所は紀伊半島を横断して紀三井寺です。


振り返ると、三重塔の側に那智の大滝が見える絶景でした。

裏手から青岸渡寺本堂(如意輪堂)に回ります。本堂は、織田信長の兵火によって焼失したものを、豊臣秀吉の命を受けて、弟の秀長が再建したもの。天正18年(1590年)の建立。杮葺の入母屋造で向拝が付く。
本堂裏にある宝篋印塔(ほうきょういんとう)は鎌倉時代、元亨2年(1322年)の造立で日本最古のものです。



青岸渡寺


当山は仁德帝の頃(三十三‐三九九)印度より裸形上人が熊野の浦に漂着、現在の堂の地に庵を結んだのに始まると伝られている。その後、推古帝(五九三‐六二八)の時大和より生仏上人が来山し、玉椿の大木をもって、現在の本尊(御大約四米)を彫り、裸形上人感得の観世音菩薩を胸仏として納め安置す。のち推古帝の勅願寺となり、那智霊場の中心として熊野信仰を育んできた。從て御本尊如意輪観世音菩薩の霊験を受けんとして日夜礼拝修業する者その数を知らず、又天皇上皇の尊崇も深く、殊に平安時代、人皇六十五代花山上皇が滝の上の山中に庵を造り、三ヶ年御修業の後、当山より西国三十三ヶ所観音礼場巡拝の旅に出られた。当時より長きに亘り巡拝の寺として親しまれている。当山は古くより那智山如意輪堂と称していたが明治の神仏分離によってその形態が変わり以来青岸渡寺と称するようになた。現在の建物は天正十八年、豊臣秀吉公が、発願債権されたもので桃山時代様式の建物として南紀唯一の重要文化財である。
山門(仁王門)は木造重層銅葺で昭和に再建したものです。

山門の中に納められている仁王尊は湛慶(1213)作の執金剛力士像。




境内を向いて、仁王像に対応するようにそれぞれ狛犬が置かれています。どちらも胸を張った上向きの阿形。木製彩色で胸元に飾りがあり、巻き毛の様子も大変豪華です。







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