熊野那智大社:熊野古道 その6

続いて熊野那智大社にお詣りします。社号標「熊野那智大社」の横にあるのが一の鳥居で、朱色の鉄筋製明神鳥居で笠木の端が反り返り、屋根が付いています。しめ縄飾りがついていました。表参道は整備された石段が続きます。二の鳥居には「熊野那智大社」の神額がついていて、笠木の反りは控えめ。神額部分に屋根が伸びているのが特徴的でした。

熊野那智大社

御由緒

熊野という地名には諸説ありますが、紀伊続風土記には「熊野は隈にてコモル義にして」とあり、「奥まった処」「隠れたる処」との意が、また「クマ」と「カミ」とは同じ意があると考えられ、「クマノ」とは「カミの野」で神々が住まう地といえます。

往古、神武天皇御東征のみぎり、この地に上陸された神倭磐余彦命(神武天皇)が那智の大瀧を神として祀られたのが那智山信仰の始まりとされ、その後、命は熊野の神使である八咫烏の導きにより大和の地に赴かれ、橿原宮で初代天皇に即位されました。

当社は仁徳天皇五年(三一七年)、この那智山中腹に社殿が創建され、御瀧本より熊野の神々を遷座してお祀りしたと伝えられています。御祭神は熊野夫須美大神と申し上げる我が国の最初の女神「伊弉冉尊」を主神として十三所の神々をお祀りし、全国の熊野神社四千余社の御本社である熊野三山(本宮大社,速玉大社・那智大社)の一社であり、「日本第一大霊験所 根本飛野三所権現」として崇められています。主神の御名「夫須美」は「むすび」と同意であり、諸願成就の御神徳があり、かつては「結宮」とも称されました。

熊野信仰は、我が国に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、修験道の隆盛とも相俟って熊野権現として崇められ、平安中期頃より上皇(法皇)が指でる熊野御幸は百余回に及び、やがて武将や庶民に至るまで大勢の人々が詣でるようになり、「蟻の熊野詣」と称されました。

那智山信仰の根元である那智の御瀧は、当社の別宮「飛瀧神社」と申し上げ大己貴神をお祀りしています。

御祭神

   第一殿 瀧宮 大己貴神(おおなむちのか)
   第二殿 証誠殿 家都御子大神(素盞嗚尊)
   第三殿 中御前 御子速玉大神(伊弉諾尊)
主神 第四殿 西御前 熊野夫須美大神(伊弉冉尊)
   第五殿 若宮 天照大神
   第六殿 八社殿 天神地祇八神
   御縣彦社 賀茂建角身命(八咫烏)

主祭神は第四殿に祀る熊野夫須美大神(イザナミノミコト)。礼殿(拝殿)の奥に進むと、鈴門と瑞垣が取り囲む本殿があり、向かって右から滝宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)が並んでいる。

礼殿は向拝に唐破風のついた檜皮葺入母屋造り。本殿は熊野造で、第一殿から第五殿はいずれも同型で切妻造妻入り。

八咫烏は、神武東征で、熊野の神様のお使いとして熊野から大和まで道案内をしたといわれ、導きの神様とされています。

駐車場に戻る道にあった美滝荘で昼ご飯。山菜にとろろ昆布が入った那智うどんとめはり寿司です。