補陀洛山寺:熊野古道 その9
海岸沿いの道を車を走らせて那智勝浦町の補陀洛山寺に行きました。補陀落渡海でよく知られた寺です。

本堂に向かって左に渡海船が展示されています。



補陀洛山寺
これは那智参詣曼荼羅をもとに復元した補陀落渡海船です。補陀洛山寺の住職たちはこのような船で補陀落渡海に臨みました。補陀落渡海は慈悲の仏である観音菩薩が住まう南方の浄土「補陀落」にたどり着くことを祈願して行われた一種の殉教でした。
補陀落渡海は中世から近世にかけて日本各地の沿岸部で試みられましたが、この寺は補陀落への出発の地として特に有名でした。補陀洛山寺の中庭にある石碑には、868年から1722年までの間に行われた20回以上の補陀落渡海が列記されています。ただし、最後の数回については僧侶が亡くなってから遺体を船に乗せる形で行われました。補陀落渡海船
この船で最も目を引く特徴は、密閉された船室です。外側から釘でふさがれた窓も扉もない船室には、わずかな食料と水、灯りの燃料が入れられ、僧侶が死の直前まで経を唱え、観音菩薩に祈り続けられるようになっていました。
船室は、四十九本の板でつくられた鮮やかな朱塗の柵で囲まれていました。柵には四方に一基ずつ、合わせて四基の鳥居が設置されていました。これは仏教建築というよりは神道の神社を想起させるもので、熊野信仰の習合的な性質を反映しています。また、この船のつくりは修験道の葬送儀礼とも通じる部分があります。行者自身と世の中の両方に大きな功徳をもたらそうとしたことにおいて、補陀落渡海は修験道の苦行に近いものと見なされていたのかもしれません。那智勝浦町
渡海船には、四つの鳥居に囲まれた人一人が納まる屋形が付いています。僧が入ると外から板を釘で打ち付けてしまうのだそうです。信仰心ゆえの死出の旅ですが、自然と無口になります。



外に出るとやけに陽射しが眩しく感じました。




那智の浜に出ます。空も海も青い。これだけ穏やかな海の先には、きっと極楽浄土があったに違いありません。

近くの喫茶店で遅めのモーニングを取りました。しんみりした気分が吹き飛ぶおいしさでした。


その後、古座川の一枚岩を観光。

次いで、橋杭岩を見に行きます。

話が前後しますが、白崎海洋公園にも行きました。南紀白浜の元です。

紀伊半島のジオパークはどこも雄大です。










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