春日大社 千年の至宝展(前期)@東京国立博物館 平成館
1月の末、東京国立博物館に行きました。その後の忙しさにかまけて、ずっと放置してしまいましたが、記事として残しておかないと忘れるだけなので、遅ればせながら投稿。
行き先は平成館なのですが、この日は荷物が重かったので本館のロッカーを使ってから連絡通路を抜けて平成館に向かいました。
平成館で開催されているのは、春日大社 千年の至宝展です。
本展に入場する前に、平成館一階のガイダンスルームで春日大社展のビデオを鑑賞。
私は春日大社に行ったことがないので、展示物を見る前にあの辺の自然環境を空からの映像で一望できたのがよかったです。今回は、予習もしていないし、予備知識もなにもなし。久しぶりにまっさらな状態で挑みました。
以下に気になった展示物をずらずらとメモ代わりに残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品、所蔵先なしは東博所蔵)。
第一章 神鹿の杜
春日大社の草創は、武甕槌命が鹿に乗り、常陸国鹿島から春日の地に降り立ったことに始まります。本章では、春日大社の創祀を物語る歴史資料や絵画作品、そして神々しくも親しみにあふれる「神鹿」に関わる美術を展示します。
1《鹿島立神影図 一幅 南北朝~室町時代 14~15世紀 春日大社》
春日連山に月、その手前に御蓋山。華やかな姿の武甕槌命(たけみかづちのみこと)が巨大な鹿に乗って、春日の地に降臨した様子を描いています。神木の榊は地面に根を張って弓形に幹を伸ばしている。枝先から藤の花が下がり、結ばれた垂(しで)が風になびく。樹上の円相の中に本地仏が描かれている。衣冠姿の中臣時風(なかとみのときふう)と中臣秀行(ひでつら)を伴う(左の笏を持っているのが時風)。
いきなり御神体です。これは、博物館だから見られるのであって、春日大社に行っても見せてもらえないものだということは、私にでもわかります。
5《◎春日鹿曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 京都・陽明文庫》
現存最古の鹿曼陀羅。かなり色が褪せてしまっているが、5本の垂がよく見える。
8《春日鹿曼荼羅 一幅 室町時代 15世紀》
春日講の御本尊 。春日講は奈良を代表する信仰行事で、町々に春日講(しゅんにちこう、かすがこう)と呼ばれる春日信仰の講社がある。
10《神鹿鞍 一具 江戸時代 19世紀 春日大社》
神様が乗られた鹿用の鞍。馬用と細工は同じで鐙もついているがそれと比べると二回りも三回りも小さい。これを実際に鹿に乗せたら重そうだと思った。
16《◉ 延喜式 巻一 一巻 平安時代 11世紀》
平安時代中期に編纂された格式。春日大社の縁起の資料として展示されていた。
18《◎ 春日神鹿御正体 一軀 南北朝時代 14世紀 京都・細見美術館》
独立してガラスケースに展示されていた。春日大社の使いである鹿を象ったもの。白雲の上に立ち、鞍に立てた榊に円相があり、その中に春日の本地5体が線刻されている。
19《春日厨子 一基 室町時代 15世紀 大阪・藤田美術館》
木彫りの神鹿を収める厨子の中に春日山。扉に鹿を誘導する4人の神官が描かれている。榊には藤花が絡んでいる。神鹿といえど綱をつけて誘導しなくてはいけなかったのか。
20《金銅鹿像 一軀 江戸時代 17~18世紀 愛知・徳川美術館》
鞍をつけていない神鹿の像。口に茎葉を咥えている。
21《白鹿 森川杜園作 一軀 江戸時代 慶応2年(1866) 春日大社》
座り込んだ穏やかな顔の鹿。シカの横広の瞳孔が鮮明に表現されていて虹彩が金色のためヤギの顔のようにも見える。背中の模様がハート型なのが愛らしい。体内に卵形の生玉を持っていて、長寿を願う祈りが込められているそうです。
22《鹿図屛風 六曲一双 江戸時代 17世紀 春日大社》
金地に様々な姿の鹿の群れが描かれている。鹿だらけ。ロバっぽくも見える。人間の目のように白目が描かれているので、それぞれ何か思惑のある表情をしているかのよう。どうも日本画では馬にしても鹿にしても白目を描くのが一般的らしい。
第二章 平安の正倉院
神々の調度品として奉納された古神宝。春日大社には平安時代に奉納された本宮御料と若宮御料伝わり、「平安の正倉院」とも呼ばれています。本章では、王朝時代の雅と美を今に伝える国宝の品々をご紹介します。
58《◉ 金地螺鈿毛抜形太刀 一口 平安時代 12世紀 春日大社》
柄や鍔は金無垢に想像上の植物、宝相華(ほうそうげ)が彫金されている。細やかな文様を打ち出して描いている。握りやすいように柄に透かしがあり、その形が古代の毛抜き(鑷子)に似ていることから毛抜形と呼ばれている。柄の部分を単眼鏡で覗くと無数の点(魚子)が見える。鞘は螺鈿で竹林で雀を追う猫が描かれている。雀や猫の目は琥珀。
今回は、まさにこれを見に来たわけです。竹雀は珍しいモチーフではありませんが、雀を捕らえる猫はかなり特殊な絵柄なので、実物を見れば何か意味がわかるかと思いましたが、やはり、奉納者がよほどの猫好きだったんだろうなあとしか。
64《◎ 藤花松喰鶴鏡 一面 平安時代 12世紀 春日大社》
松喰鶴。鶴の描写がしなやか。松鶴の組み合わせは多いが藤花は珍しい。
第三章 春日信仰をめぐる美的世界
草創以降、貴族をはじめとする多くの人々が春日の地に参詣し、祈りを捧げてきました。また、神と仏が一体であるとする神仏習合の思想を背景に、仏法を守護する春日の神々への信仰も広がりをみせていきます。本章では、春日の神々への祈りを表わした選りすぐりの名品を展示します。
83《春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀》
春日大社の社殿を中心に、画面上部に御蓋山、春日山、若草山を配す。聖地・春日野かすがのを一望にする礼拝画の大作
86《春日宮曼荼羅 一幅 室町時代 14~15世紀 奈良国立博物館》
色紙に成唯識論(じょうゆいしきろん)と春日講の伽陀(経文)が書かれている。
88《◎ 春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 奈良・南市町自治会》
春日曼荼羅の様式を踏まえ、社殿と山並みの間に浮かぶ円相に、一宮(釈迦如来)、二宮(薬師如来)、三宮(地蔵菩薩)、四宮(十一面観音)、若宮(文殊菩薩)が描かれている。さらに若宮社の神楽殿に童子姿の若宮神が姿を現し(影向:ようごう)、烏帽子をかぶる男性貴族と対面する場面が描かれている。
91《春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉~南北朝時代 14世紀 春日大社》
参堂廻廊は通常金泥で描かれるが、これは雲母で描かれているため白く光っている。春日山の上に五社の神々に対応する本地仏が円相に描かれているが、これも雲母が使われているようで光っている。
95《春日宮曼荼羅 一幅 鎌倉時代 14世紀 愛知・徳川美術館》
一宮の本地仏を釈迦如来にする例が多いが、この曼荼羅では三目八臂の不空羂索観音として描いているのが珍しい。藤原摂関家を中心とする興福寺南円堂本尊(藤原氏の氏寺)への崇敬を背景として、春日社一宮本地仏を不空羂索観音とする説は古く摂関家を中心に一定の流布があった。
100《春日社寺曼荼羅 一幅 鎌倉時代 14世紀 奈良国立博物館》
春日社と興福寺を俯瞰的に描いている。本地仏は立像で、左に本社四神の本地仏、右に若宮の本地仏が、それぞれの殿社から立ち上る雲に乗って現れている。空の部分に下書きの円相が見え、途中で変更した様子がわかる。
107《◎ 春日浄土曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 奈良・能満院》
画面中心に円相の本地仏五尊が大きく描かれて、画面下方に春日山や春日大社が配置される構図。
109《◎ 天狗草紙 興福寺巻 狩野晴川院(養信)筆 一巻 江戸時代 文化14年(1817)》
天狗草紙は鎌倉時代末ころの仏教諸大寺・諸宗派僧侶の慢心や行いの乱れを天狗にたとえて風刺し、その天狗らがついには発心成仏するという物語を描いたもの。山の中にいる三体の天狗に甘露を与えて手なずけている。
110《◎ 春日本迹曼荼羅 一幅 鎌倉時代 13世紀 奈良・宝山寺》
まるで本地仏図鑑。春日大社に祀られている10の御祭神とその本地仏をわかりやすく図示している。
123《春日千体地蔵図 一幅 鎌倉時代 14世紀 奈良国立博物館》
広々とした山水景観の中に、千体近くを数える地蔵菩薩が集まる様子を描いている。画面上方左寄りに御蓋山と春日山および春日大社の朱塗り社殿が点在していることから、地下に地獄があると信じられた春日野を表している。地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道をそれぞれ描き、春日野の地が六道輪廻の苦しみに満ちた穢土に見立てられている。六道の各々に一群をなして集まった地蔵たちが、今まさに衆生を救済するために影向した光景と考えられている。
びっしりと描かれた地蔵菩薩に、若冲の石峰寺図の五百羅漢を思い出しましたが、あのたらこみたいなのと違って、こちらの地蔵は非常に細やかに描写されている。
127《春日赤童子像 一幅 室町時代 16世紀》
岩座上に立ち、右手に棒を持ち左手で頬杖をつくポーズ。法相宗を護る春日明神の姿として興福寺僧を中心に盛んに礼拝された忿怒相垂髪赤肉身の童子像。制叱迦童子の姿に基づくと思われる。
130《◎ 地蔵菩薩立像 善円作 一軀 鎌倉時代 延応2年(1240) 奈良・薬師寺》
端正なお顔立ちが印象に残る。内衣を着けた法服地蔵。
136《◎ 文殊菩薩騎獅像および侍者立像 康円作 五軀 鎌倉時代 文永10年(1273)》
獅子に乗った文殊菩薩に4人の侍者が従う渡海文殊の作例。中国五台山で信仰された組み合わせで中世以降流行した。海を渡る表現は日本独自のもの。獅子に乗った文殊菩薩、手綱を引く于闐王(うてんのう)、振り返る善財童子、大聖老人、インド僧の姿をしているのが仏陀波利三蔵。それぞれ興味深い形をしています。
文殊菩薩は結跏趺坐で右手に宝剣、左手に蓮の花を持ち、髻を五つ結ってそれぞれの上に化仏の姿が見えます。舟形光背(実に細やかできれい)の左右に迦陵頻伽が彫られています。私は迦陵頻伽モチーフが好きなので、こういうところで目にするとうれしくなります。
143《古社記断簡 一巻 鎌倉~南北朝時代 14世紀 春日大社》
春日御正躰事として御祭神10体について俗形の詳細が記されている。一宮と二宮は老体、三宮は僧形、四宮は吉祥天女、若宮は童子形、率河は男体、水屋は毘沙門形、氷室は若者、一言主は吉祥天女、榎本は老体。
150《鹿座仏舎利および外容器 一具 江戸時代 慶安5年(1652) 春日大社》
御神体の円相舎利容器を背負う白鹿がとてもかわいらしい。外容器正面には月のかかる春日山と蓮が蒔絵で描かれている。天面に龍、裏面には霊鷲山(りょうじゅせん)と珠取龍が描かれている。
151《獅子座火焰宝珠形舎利容器 一基 南北朝時代 14世紀 奈良国立博物館》
通常鹿のところを獅子の背に火焔宝珠形舎利容器を乗せているのが珍しい。獅子は右前脚を踏み出して立ち、前を見据えて咆吼している。春日杜の舎利信仰と文殊菩薩信仰の融合とみられる。
154《春日権現験記絵 巻二十 [詞書]鷹司冬基筆[絵]高階隆兼筆 一巻 鎌倉時代 延慶2年(1309)頃 宮内庁三の丸尚蔵館》
春日の神々の霊験を描く全二十巻の絵巻。春日本は松平定信の指示で制作された。近年大掛かりな修復と調査が行われ、外装の修復に皇室で飼育されている古代種繭の小石丸が用いられた。この巻では嘉元神火事として火の玉を指差して驚く人々が描かれる。
157《春日権現験記絵(春日本) 巻一 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大社》
承平託宣事
159《春日権現験記絵(春日本) 巻七 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大社》
知足院が春日社に参拝した時気高い姿の童子から神託を受ける。大勢の僧侶に見守られて童子が舞っている。弁髪帽らしい中国僧の姿もある。右に弊殿。松に藤の花が絡みつく。
161《春日権現験記絵(春日本) 巻十二 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大社》
鹿に囲まれる牛車には春日三宮が黄衣神人姿に化身した地蔵菩薩の姿が見える。右下の黒衣の僧は恵珍。入場すぐのビデオに鹿が出てきて、側対歩で歩いていたのを覚えていたので、つい鹿の足並みに目が行く。
164《春日権現験記絵(春日本) 巻十八 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大》
明恵上人が笹置寺の貞慶上人から仏舎利二粒を貰い受ける。同じ建物の左の部屋にはその前夜の対話の様子が異時同図法で描かれている。よく見ると着物や襖や畳の模様が同じであることがわかる。
165《春日権現験記絵(春日本) 巻十九 一巻 江戸時代 文化4年(1807) 春日大社》
成安3年、大和国の悪党(朝廷軍)に神鏡14個を奪われた。興福寺の衆徒が追討し、敵将池尻家政を討ち取って神鏡三面を取り返した宇治栗駒山の戦いの場面が描かれている。霧の途中から馬に乗った武士が唐突に現れるような描き方になっているのがドラマチック。捕まえた敵将池尻家政は足を切り落とされ、流血の中腕を足で踏みつけて押さえつけられている。胴丸をつけた兵士が取り返した三鏡を片手に持っている。当時の合戦の様子が詳細にわかる貴重な資料。
166《春日権現験記絵(春日一巻本) 伝冷泉為恭筆 一巻 江戸時代 19世紀 春日大社》
寛治御幸事。白河院が乗った牛車を鶴が迎えている。日本画で鶴は白く描かれることが多いのでてっきりタンチョウヅルだと思い込んでいたが、この場面の鶴は灰色で目の周りが赤いのでマナヅル。今後は鶴の書き分けにも注意してみてみよう。
167《春日権現験記絵(陽明文庫本) 巻一 [詞書]近衞家𠘑筆[絵]渡辺始興筆 一巻 江戸時代 享保20年(1735) 京都・陽明文庫》
竹林に貴女姿の四宮が現れて、子孫繁栄を約束する土地との神託を藤原光弘が受ける。
169《春日権現験記絵(徳川美術館本) 巻十 一巻 江戸時代 19世紀 愛知・徳川美術館》
南都教懐上人の夢。高野山にて教懐上人は腰の病になり立ち上がれなくなった。昔を思い出して回復を春日明神に祈ったところ、貴女が現れて西の空に飛び去る夢を見た。目が覚めると病が癒えていた。貴女(四宮)の顔が描かれていない。次の場面は、癒える或る人の夢。維範阿闍梨入滅時に、教懐が来迎聖衆の先頭で腕を広げ、維範を迎え入れる様子が描かれる。一般的な来迎図であるが、阿弥陀の姿がない。ジブリのかぐや姫の物語に描かれる来迎のシーンを思い出して胸が熱くなった。
170《春日権現験記絵(紀州本) 巻十一 [詞書]林康満筆[絵]冷泉為恭ほか筆 一巻 江戸時代 弘化2年(1845)》
地獄観光。興福寺の舞人であった狛行光が病死し、閻魔様の前で裁かれることになったのを春日明神が救った。地獄からの帰りに春日明神に案内されて地獄巡りをする。狛行光はダンサーにしては貧相な体つき。色地獄には緑色の着物の美女が描かれている。
173《春日権現験記絵(帝室博物館本) 巻十三 永井幾麻筆 一巻 昭和2年(1927)》
盛恩が居眠りしていたら四宮がやってきて学問所を見学にきたと語る。
第四章 奉納された武具
春日大社には多くの武具が奉納されています。こうした奉納品が伝わったのも、春日大社が公家・武家をはじめ多くの人々の深い祈りに支えられてきたことを物語っています。本章では、春日大社に伝わる国宝の甲冑や刀剣などを一堂にご覧いただきます。
178《◉ 金装花押散兵庫鎖太刀 [刀身]伝長船兼光 一口 [刀装]南北朝時代 14世紀[刀身]南北朝時代 貞治4年(1365)春日大社》
柄、鞘ともに鑢地の鍍金銀板で包んだ兵庫鎖太刀。墨書の花押は足利一門のものとみられ、社伝では義満奉納とする。刀身も備前兼光一派の刀工の手になる優品である。切先大きめで腰高。
185《◉ 赤糸威大鎧(梅鶯飾) 一領 鎌倉時代 13世紀 春日大社》
梅や鶯などを透彫にした金物の華やかさが、兜や胴の力強さと見事に融合した日本甲冑の傑作。
192《◉ 籠手 一双 鎌倉時代 13世紀 春日大社》
源義経所用と伝えられる著名な籠手。もと興福寺勧修坊に伝わった。保存状態がよく華麗を極めたつくりは他に類がない。波に枝菊を高彫りし蝶の金物を据える。
第4章の後に記念撮影コーナーがありました。
春日大社では節分万灯篭として、節分の夜に境内3000基の灯篭が灯されるのだそうです。火が灯される前に舞楽が奉納されます。
第五章 神々に捧げる芸能
春日大社では数多くの神事、祭事が執り行われていますが、その中でも12月に行われる若宮おん祭は国の重要無形民俗文化財に指定されています。本章では、こうした祭礼の際に神前に奉納された舞楽や能など、芸能に関わる作品をご紹介します。
195《春日若宮祭宵宮詣図屛風 六曲一隻 江戸時代 18世紀 春日大社》
図中、石灯篭や太刀がやたらと大きく描かれている。
202《◎ 舞楽面 納曽利 一面 平安時代 12世紀 春日大社》
納曽利は龍が舞い遊ぶ様を表わしたとされる舞。舞楽面は平安時代にさかのぼる作で、大きく見開いた眼や顎を別材で作り、舞の動きに合わせて表情に変化が出る仕組み。
215《鼉太鼓(複製) 一基 昭和51年(1976) 春日大社》
展示室によく入れたなと思うほど巨大。
第六章 春日大社の式年造替
春日大社では社殿の建て替えや修繕が約20年に一度行われ、平成28年(2016)に迎える式年造替は60回目を数えます。本章では、式年造替に関わる記録とともに、今回の式年造替で撤下され注目を浴びた獅子・狛犬などをご覧いただきます。
243《御間塀 二枚 昭和50年(1975) 春日大社》
四つの本殿の間にある御間塀(おあいべい)に描かれた壁画で、絵馬の源流とも言われる。昭和50年、58回目の式年造替の際に新調されたもの。春日大社の参拝は幣殿の前、特別拝観を申し込んだ場合は中門の前なので、中門の内側にある御本殿は本来見ることができないものである。
244《瑠璃灯籠 一基 鎌倉時代 13世紀 春日大社》
春日大社に約一千基ある釣灯篭の中で最も古いとされる瑠璃釣灯篭。通常紙で張られる部分に青緑のガラス玉がすだれのように連なっている。展示品はくすんで黒くなっているが、明かりを灯すと青く光る。
247《獅子・狛犬(第一殿) 二軀 鎌倉時代 13世紀 春日大社》
本殿を護っていた獅子・狛犬で、今回の式年造替で撤下された。穏やかな顔をしている。
今回も東博は物量で仕掛けてきましたね。一巡りするのに途中、缶コーヒー分の休憩を入れて4時間半かかりました。つい先日、出光美術館で源氏物語に浸ったばかりだったので、春日権現験記絵がとても楽しめました。しかし展示替の後、再訪するかは微妙なところ。
本館18室で春日大社展に関連した作品をいくつか鑑賞しました。
《竹林猫 1幅 橋本雅邦筆 明治29年(1896)》
竹林と猫。
《神鹿 1基 竹内久一作 大正元年(1912)》
ちゃんと雲に乗ってる。
《牝牡鹿 1対 森川杜園作 明治25年(1892)》
動物好きの性としてお尻チェック。
トーハクからの帰り道、水でお絵かきされている方に遭遇。
畳んだ傘の中に水が入っていて、先端につけたスポンジから垂れる水でパンダを次々に描いています。お見事。
消耗したので、上野駅構内で家に帰るためのエネルギーを補給しました。
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