アジアギャラリー@東京国立博物館 東洋館
先日、出光美術館で山水画を見て、中国の山水画にも興味が出てきました。そもそも山水画が好きなのですから、雪舟らが影響を受けた中国山水画に目が向くのは時間の問題だったわけですが。
というわけで、この日は東洋館へ。
1階1室の奥にあるエレベーターで4階へ。東洋館は階層構造が複雑なので、エレベーターによって止まらないフロアがあります。このエレベータを覚えるまで何度迷ったことか。
8室 中国の絵画 宮廷山水画風の広がり
南宋(1127~1279)の画家である馬遠・夏珪らによって大成された宮廷山水画の様式は、ひとつの典範として、元(1271~1368)以降も大きな影響を持ち続けました。モチーフを画面片側に寄せる対角線構図や、山石に切り込むような筆線を入れてその質感を表現する斧劈皴(ふへきしゅん)が、その特徴です。特に明(1368~1644)の宮廷では、馬遠や夏珪の画風のリバイバルが盛んに行われます。宮中で好まれた大画面の絵画にあわせ、筆墨の粗放化が進みました。この様式は、江南諸都市で活躍した在野の職業画家の間でも流行します。筆勢を誇示する彼らの画風は「浙派(せっぱ)」と総称されました。画論書には浙派を、正統な画法を用いない「狂態邪学(きょうたいじゃがく)」であると非難する、一部の文人の文章が残っています。これは、職業画家と文人画家の対立が尖鋭になった明後期、非常に技巧的な浙派の筆墨法に、文人が脅威を感じていたとも解釈できる現象です。当時の画壇において、浙派の勢いがいかに盛んであったかがわかるでしょう。南宋宮廷に始まる山水画様式の、13世紀から18世紀にかけての展開・変容をお楽しみ下さい。
以下、気になったものをメモとして残します(◎は重要文化財)。
《山水図軸 1幅 伝夏珪筆 中国 元時代・13世紀》
画面左上に流れ落ちる細い滝。流れは前景に木々に一旦隠されて、手前で勢いよく迸る水流となる。
夏珪は馬遠と並ぶ南宋中期を代表する宮廷画家。この作品はそれより時代が下がるものと思われる。夏珪は、滋潤な墨色の美しさ、対角線構図法を特色とする。
《◎高士観眺図軸 1幅 伝孫君沢筆 中国 元時代・13世紀》
近景には黒々とした岩と木々。画面左には流れ落ちる滝がある。それにかかる橋は、高台の人家に続く。庭先に座り遠くの景色を眺める文人、その傍らに従者が控えている。高台の下には静かな水面。立ち上がる濃霧で遠景は霞んでいる。
文人は俗塵をはなれ、山中に隠棲しすることを理想とした。この高士観眺図は南宋の馬遠、夏珪の院体山水画様式を継承している。大徳寺塔頭養徳院旧蔵品で、馬夏様式の継承者、孫君沢筆として伝わった。
《山水図軸 1幅 王諤筆 中国 明時代・15~16世紀 》
風になびく木の下、橋の手前に馬に乗って旅をする文人と従者の列。遠景には壮大な風景が広がり、柱状の山々が霧に霞む。
王諤は宮廷画家で、出身地は当時流行した派(せっぱ)が栄えた浙江地方の奏化である。時の皇帝に「今の馬遠」と称賛された。明代は、宮廷画家・職業画家を中心とした浙派と、文徴明らの文人を中心とする呉派が隆盛したが、明時代中期以降は浙派が衰え、呉派が優勢となった。
出光美術館で見た王諤の《雪嶺風高図》がとても良かったので、東博でもっと王諤の作品を見たいと思っていました。まさか、こんなに早くに出会えるとは。こちらも、王諤に最初抱いた印象どおり、筆に迷いがなくてかっこいい。
《山水図軸 1幅 王世昌筆 中国 明時代・15~16世紀》
切り立った崖の下に文人と従者。強い風に木の葉が舞う。
王世昌は山東出身。弘治年間の宮廷画家である鍾禮、王諤らと画風が近く、そのころに活躍したと考えられる。秋風に楓葉の舞う典型的な浙派画風で、16世紀朝鮮画壇に同構図の作品がある。
《◎寒江独釣図軸 1幅 朱端筆 中国 明時代・16世紀》
木々に湿った雪が積もる寒さの中、舟の上には釣り糸を垂れる人の姿がある。大河の水は凍っているかのように穏やか。遠景のなだらかな山々が雪で輝いている。
朱端は海塩(浙江省)の出身。山水画をよくし、明の正徳年間(1506-21)に画院画家となり「欽賜一樵図書」印を賜った。粗放な筆墨法を特色とする浙派後期を代表する画家で、本図は厳寒の江水上に釣人一人を描いた雪景山水の名品として知られる朱端の代表作の一つ。曼殊院旧蔵品。
《◎漁夫図軸 1幅 張路筆 中国 明時代・16世紀 東京・護国寺蔵》
画面右に大きく切り立った岩壁を大胆に配置。岩陰から姿を見せた船の舳先には、今まさに網を投げようとしている漁夫がいる。その背後には長い竿で舟の揺れを抑える若者。漁夫は文人の隠逸への憧れを示す画題。荒々しい筆の動きと大胆な構図が印象に残る、張路の代表作。
張路は河南省開封の出身。日本では、号の「平山」で知られ、後期浙派を代表する画家。
《風雨帰漁図軸 1幅 張路筆 中国 明時代・16世紀》
強い風雨で木々の枝が折れんばかりにしなっている。崖下の道に、笠と蓑で身を覆った漁夫が釣竿を担ぎ身を屈めて歩く姿が描かれている。蓑から出た細長い手足、長い指、しかめた顔もデフォルメされていて、やけにひょうきんに見える。
《◎寒江独釣図軸 1幅 伝馬遠筆 中国 南宋時代・13世紀》
ゆるやかな流れの寒江、小舟に乗る釣人を描いたもの。余白のもつ効果を最大限に生かした馬遠派の傑作といわれる。しかし、舟のやや上方のあたりで絹つぎがあり本来はもっと大画面の作品であったのを日本で切り詰めた可能性がある。
馬遠は南栄の光宗・寧宗朝の宮廷画家。南宋の寧宗妃恭聖皇后の所居である坤寧殿に由来する「辛未坤寧秘玩」印がある。
《◎山水図(唐絵手鑑「筆耕園」の内) 1枚 伝夏珪筆 中国 南宋時代・13世紀》
画面右下に一人の旅人。茂った木々に隠されるように人家がある。静かな水面から立ちあがる霧で遠くの山々が霞む。
「筆耕園」は室町時代以降舶載された中国画を集成して手鑑としたもの。収録された作品数は60図を数え、その主題、画法、様式は多岐にわたる。本図は、滋潤で茫々とした水墨表現が夏珪の水墨画法に最も近いとされている。黒田家旧蔵品。
《山水図扇面 1枚 藍瑛筆 中国 清時代・順治8年(1651)》
金箋の扇面に細やかに山水と漁夫が描かれている。
藍瑛は杭州の出身。明時代の後期を代表する画家で、杭州の伝統的な画派である浙派の雄大な構図法に、当時の江南の地で流行していた清雅な文人画法を取り入れ、新しい画風を確立し、後に武林派(ぶりんは)と呼ばれるようになる。藍瑛は弟子を多く育て、作品は江戸時代から日本に多くもたらされ、谷文晁など江戸の文人画家たちに影響を与えた。
扇子は日本が発祥で、平安時代に大陸に伝わり明の時代に多くの扇面図が描かれた。
《風雨渡航図扇面 1本 唐岱筆 中国 清時代・17世紀 個人蔵》
黒い骨の扇子。扇面に描かれたのは、馬遠の画作を倣したもので、宮廷画家ならではの堅牢な構図が魅力である。
唐岱は満州正藍旗の出身。王原祁の門下で、康熙帝から「画状元」を賜わった。南宗画の官学化を推進した画家の一人。
中国美術史どころか、中国史がそもそも曖昧なので、どういった美術の流れがあるのか、説明文だけではさっぱり。そもそも正当な宮廷絵画の様式が頭に入っていないので、どの辺が異端なのかもわかりません。しかし、目の記憶が積み重なれば、そのうちぼんやりと何か見えてくるものがあるでしょう。これからは、東洋館も小まめにチェックしようと思います。
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