小笠原ビジターセンター
父島に行ってきました。旅行最終日に、お昼ご飯の時間調整もあってビジターセンターへ。
本当は父島初日にも来たのですが、島内観光を控えていたので、ツアーで寄るかもしれないと思い、詳しく見るのを止めたのです。
後で気がついたのですが、建物の裏である海岸側にはザトウクジラのモニュメントがあって、大変見栄えのよい写真が撮れるようです。
展示室1
館内に入ると、正面にカヌー。
ハワイのカヌーをまねて作ったのが始まりといわれていて、ハスノハギリの大木をくりぬいて作るのだそう。山ツアーの時に見た、あの浮ぶ種をつける木です。
展示室2 歴史文化系展示
小笠原の先史時代から明治時代までの開拓の歴史の展示と、戦中・返還から現在までの様子を写真で紹介したコーナーがあります。
小笠原諸島が別名ボニン諸島(英語:Bonin Islands)と呼ばれているのは、江戸時代の無人島(ぶにんしま)という呼び方に由来するのですが、なんと先史時代の石器が発掘されていて、有人島だった時期もあったようです。石器のレプリカの他に、1991年、北硫黄島で遺跡が発見された際の新聞記事が展示されていました。
以下に簡単に父島入植の過程を記しておきます。
小笠原諸島の発見に関する展示としては、1543年スペインの探検船隊サン・ジャン号による発見、1593年(文禄2年)小笠原貞頼の上陸の話が伝えられていて、正式な記録としては、1670年(寛文10年)に阿波国の船が漂流して帰国し、下田奉行所に届け出たのが最初になる。その後、1674年(延宝2年)に幕府が調査船を出して地名を付けた。
19世紀、鯨漁が盛んになって、1830年(天保元年)欧米人を含む25人が父島に上陸し、やがて定住するようになった。1853年、ペリーが琉球訪問後に立ち寄り二見港に石油貯蔵用地を購入、その一ヵ月後に浦賀に入港した。
幕府は、日米修好通商条約批准使節の帰国報告でペリーが小笠原を訪問した事を知って小笠原に咸臨丸を派遣。その後、八丈島から移住者38名が来島し開拓をしたが、国内外の情勢が不安定になり、1863年官民全員引き揚げとなった。
明治新政府に対し、日本は小笠原を放棄したのかという各国からの問い合わせが相次ぎ、1876年(明治9年)に小笠原の日本統治を各国に通達。小花作助らを派遣して扇浦に内務省小笠原出張所を開設した。1878年(明治11年)には日本人移民約200名、1911年(明治44年)には人口4,686名の記録がある。
小笠原諸島の産業が最盛期を迎えたのは、戦中1939年(昭和14年)から1942年(昭和17年)にかけて。内地で冬野菜が高値で取引され農家一戸あたり平均年粗収入が7千円を越したという(当時総理大臣の年収が8千円)。しかし、その後内地への強制疎開で農民の生活は一気に悪化したという。
戦後、小笠原はアメリカ軍の占領下に置かれ、日本軍は内地に次々と還され、欧米系住民とその家族だけが小笠原への帰島を許された。
1947年(昭和22年)に旧島民によって小笠原・硫黄島帰島促進連盟が結成され、アメリカに対し86回におよぶ嘆願の結果、1968年(昭和43年)に返還され、小笠原村が設置された。
ビロウで出来た民家が再現されていました。
ビロウの葉はとても丈夫です。山ツアーでお弁当を食べる際に敷物にし、その使い勝手の良さを体感しました。現在も島で屋根を葺くのに使うことがあり、一枚が1円80銭で取引されているとガイドさんが言ってました。
民家の内部には石臼、甕、壺、竈が置かれています。
この他に、小笠原航路についての展示がありました。
展示室3 自然科学系展示
こちらには、小笠原列島の地理的解説、小笠原固有種の紹介、自然保護・エコツーリズムについての展示があります。
小笠原諸島の豊かで独特な自然の価値が認められ、2011年(平成23年)に「小笠原諸島」が世界自然遺産として登録されました。日本国内では、屋久島、白神山地、知床に次いで4番目の登録です。
世界自然遺産区域(全域)を示したもの。
父島と母島は有人島のため、集落地を自然遺産区域から外してあります。地図にはありませんが、父島のすぐ東に長島というのがあって、それも区域に含まれます。島の案内板をよく見ていると、なぜかいつも抜けていたり、区域に含まれていなかったりしていました。島民からも、かなり軽んじられているようです。
陸の生き物の代表としてマイマイの進化について、海洋島独自の植物の進化についての展示が続きます。
小笠原の植物相は海流や風、鳥などによってたどり着いた母種が、隔離された環境の中で次第に進化したことにより、多くの固有種からなっている。祖先は、東南アジア系、日本本土系、オセアニア系など様々。これらが進化を遂げた結果、胃観測植物では在来種に占める固有種の割合は36%と大変高い(同じ亜熱帯の大陸島琉球列島の固有種率は5%)。
動物標本。
オナガミズナギドリ、シロハラミズナギドリ、オガサワラノスリ、オガサワラオオコウモリ、アカカシラカラスバト、ハハジマメグロのものがありました。動物らに山で会うのはうれしいですが、あくまで一瞬の出会いでしかなく、その姿を観察することはなかなかできません。標本はいくらでも眺められるので、ありがたいですね。
こちらは、世界的に貴重な自然の保護活動の現状や問題点等についての展示です。
外来種の排除・駆除の取り組みとして、駆除動物としてノヤギ、クマネズミ、グリーンアノール、排除動物としてノネコ、駆除植物としてモクマオウ、アカギが紹介されていました。
私は犬猫保護のボランティアに関わっていたので、環境保護と野良猫問題については想像できるところが多く、大変だろうなと思いました。山ツアーの時、父島では猫は室内飼いですかとガイドさんに尋ねたところ、推奨されているけど完全ではないと教えてもらいました。実際、町の中心部で外を歩いている猫を見ました。自然保護への意識はやはり島民の間でもまちまちのようです。
父島では1999年に全国で初めて飼いネコ適正飼養条例を施行し、飼い主にネコの登録を義務づけ、小笠原で捕獲された猫は東京獣医師会の協力を経て、本土で里親探しが行われているようです。
この他に、海の生き物のコーナー、クジラとイルカのコーナーがありました。
ビジターセンターは、本来父島初日に来るべきところでしたが、三日間のツアーで得た知識を復習することができて、父島についてより理解が深まったような気がしました。また来ることがあるといいなあ。
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