寛永の雅 江戸の宮廷文化と遠州・仁清・探幽@サントリー美術館
春分の日、東京は一日冷たい雨でした。雨の休日は濡れずに行ける六本木へ向かうのが我が家の定番コースなので、サントリー美術館に行くことにしました。
江戸時代の寛永年間(1624~44)は、「きれい」という言葉に象徴される寛永文化を育み、当時の古典復興の気運の高まりを受けて、京都を中心に「雅」な世界が出現しました。本展では、近世初期の宮廷文化と、その時代に生じた新しい美意識を、小堀遠州、野々村仁清、狩野探幽らの作品を通して観ることができます。
以下、いつものように気になった作品についてメモを残します。なお、所蔵先のないものは全てサントリー美術館です。
第一章 寛永のサロン ― 新時代への胎動
2《蓮下絵百人一首和歌巻断簡 一幅 本阿弥光悦筆 俵屋宗達画 江戸時代 17世紀》
百人一首を散らし書きた長巻を分割したもの。下絵は蓮の一生で、本作は蕾が大きく描かれて今盛りを迎えようとしているところ。西行の「嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな」寂蓮法師「村雨の露もまだひぬ 槇の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ」が書かれている。
3《蔦下絵新古今集和歌色紙 一幅 本阿弥光悦筆 俵屋宗達画 慶長11年(1606)》
金泥の蔦の絵に沿うように光悦が、新古今和歌集の前大僧正慈円「更ゆかば煙もあらじしほがまのうらみなはてそ秋のよの月」を書いている。
5《赤楽茶碗 銘 熟柿 一口 本阿弥光悦 江戸時代 17世紀》
丈の低い手捏ねのでっぷりとしたフォルムの楽焼。胴に沈み込んだ低い高台。裏に回ると黒い火変りがあり、下から見上げるとまさに熟し柿。
14《東福門院入内図屛風 六曲一双 江戸時代 17世紀 徳川美術館》
徳川秀忠の五女和子が、1620年に後水尾天皇のもとに向かう嫁入り行列を描いたもの。右隻に内裏、左隻に二条城があって行列がそれらを繋ぎ、公武融合を表す。見物する庶民や民家、商店など当時の生活の様子が描かれていて面白い。東福門院の牛車には三つ葉葵紋が入っていて警護の黒い上下をつけた武士らが頭を下げている。人物は岩佐又兵衛風の豊頬長頤で描かれ、衣装も細やかに描かれている。家紋も細やかに書き分けられ、行列をつくる名家がわかる。
第二章 古典復興 ― 後水尾院と宮廷文化
18《後水尾天皇宸翰「忍」 一幅 後水尾天皇 江戸時代 17世紀 京都・聖護院門跡》
円窓に大きく「忍」。能筆家で知られた後水尾天皇の力強い字。
28《源氏物語画帖 一帖 園基福詞、住吉如慶画 江戸時代 17世紀》
桐壺、帚木、空蝉、夕顔が展示されていた。台紙には金銀が散りばめられ、大変豪華な造り。
30-2《源氏物語絵巻 五巻のうち三巻 霊元天皇ほか詞、住吉具慶画 江戸時代 17世紀 MIHO MUSEUM》
展示は初音と藤裏葉。
31《近江八景歌書箪笥 一基 源氏物語:東園基賢筆 江戸時代 17世紀》
正方形の源氏物語の歌書を治める箪笥で、蒔絵で近江八景が描かれている。
37《徒然草絵巻 二十巻のうち第一巻 海北友雪 江戸時代 17世紀》
海北友雪は友松の子。淡色で乾いた空気感のある繊細な筆使い。展示場面は、貴族の邸宅。門の近くに大勢が集まり、その前に一人の僧。屋内では貴族らが琴、酒、書を楽しんでいる。
41《百人一首御講釈聞書 一冊 後水尾天皇講、霊元天皇筆 元禄12年写(1699) 国立歴史民俗博物館》
後水尾院の百人一首御講釈を、霊元天皇自らが院の口述そのままを書き残したもの。
46《小袖屛風 鬱金絖地菊水仙模様絞縫小袖 二曲一隻 江戸時代 17世紀 国立歴史民俗博物館》
実際の小袖裂を押絵貼りとした二曲一隻の屏風。本品に使われたのは、後水尾天皇の第3皇女昭子内親王のものとされる。うこん色地に帯状の文様で藍の絞り染め。その回りに菊と水仙。五七桐文唐草模様。
57《御切形茶碗 一口 修学院焼 江戸時代 17世紀 滴翠美術館》
御切形という指示書を元に作られた単色釉の茶碗。胴の中央に箆痕、腰に箆目、高台に畳付き目跡がある。
第三章 新たなる美意識 Ⅰ 小堀遠州
62《蕣図 一幅 松花堂昭乗画、小堀遠州・江月宗玩・松花堂昭乗賛 江戸時代 17世紀 湯木美術館》
中央に松花堂昭乗の描いた朝顔。小堀遠州が「此花をたれはかなしというやらん色即是空々即是色」、江月宗玩が「寒松一色千年別 欠伸子」、松花堂昭乗が「かきりある松の千とせも何ならすしほるゝときをしらぬ蕣 惺々翁自画自賛」と、朝顔に諸行無常を記した。
68《高取面取茶碗 一口 江戸時代 17世紀 三井記念美術館》
高取焼は福岡県の「遠州七窯」のひとつ。薄造りの半筒形でほぼ全体を黄釉が覆う。端正で瀟洒な雰囲気がある。
78《瀬戸肩衝茶入 銘 飛鳥川 一口 江戸時代 17世紀 湯木美術館》
小堀遠州が生涯最も愛したとされる茶入。59才以降で70回以上茶会で使用した。最初はそれほどよいと思わなかのを、後に古色に感心して、古今和歌集にある春道列樹の「昨日といい今日と暮らして飛鳥川流れて早き月日なりけり」を引いて命名したという。三つの仕覆も展示。
第四章 新たなる美意識 Ⅱ 金森宗和と仁清
95《色絵蓬菖蒲文茶碗 一口 野々村仁清 江戸時代 17世紀 三井記念美術館》
胴の外に掛け切り、残った素地に上絵で蓬と菖蒲を描いたもの。金泥も使われていた。
103《黒釉金彩肩衝細茶入 一口 野々村仁清 江戸時代 17世紀 滴翠美術館》
とても細長く背の高い茶入。胴に二方から黒釉か掛けられ、残った部分に白釉を掛けて富士を表す。腰から下は素地。金雲が描かれている。あまりに細長くて、果たして底まで茶筅が届くのかとか心配してしまう。
109《信楽写兎耳付水指 一口 野々村仁清 江戸時代 17世紀 三井記念美術館》
東福門院の好みで作られたもの。胴は筒状で口の部分が広がり、それにドーム型の蓋がつく。耳はしゃがんだ兎の形をしていて、その長い耳が八の字を描くように大きく開いて水指の口まで届く。末広で箱書きは金森宗和。千宗旦が拝領したと伝わる。
116《白釉円孔透鉢 一口 野々村仁清 江戸時代 17世紀 MIHO MUSEUM》
本展のメインビジュアル。展示室に入ってすぐの独立ケースに展示してあった。高取焼でよくみられる白濁釉を御室焼きで再生したもの。大胆な無数の円孔。口縁部はゆるやかな八角形。
118《色絵鶴香合 一合 野々村仁清 江戸時代 17世紀》
首をもたげる丹頂鶴の形。細く長い首がゆるく拗じられている。よくぞ壊れずに今まで残ったと思わずにいられない。
第五章 新たなる美意識 Ⅲ 狩野探幽
128《竹林七賢・香山九老図屛風 六曲一双 狩野探幽 江戸時代 17世紀 静岡県立美術館》
魏晋時代の竹林七賢と、唐の詩人白楽天ら九老が香山に集った話を組み合わせを、まるで山水画の一場面のように描いた。広い余白は柔らかい筆使いが印象に残る。
133《桐鳳凰図屛風 六曲一双 狩野探幽 江戸時代 17世紀》
余白が多くモチーフが少ない。鳳凰は梧桐と共に描かれる。右隻は雉のような色合いの番。左隻には白い番が描かれる。右隻から左隻を貫く川の流れ。
134《釈迦・文殊・普賢図 三幅 狩野探幽画、隠元隆琦賛 江戸時代 17世紀 京都・萬福寺》
中幅に釈迦、左幅に文殊菩薩、右幅に普賢菩薩が描かれている。蓮座の釈迦は赤と緑の衣。文殊菩薩は白像の背に、普賢菩薩は青獅子の背に座る。共に長髪で中性的な顔立ちで描かれている。
139《富士三保清見寺図 三幅 狩野探幽 寛文8年(1668) 栃木県立博物館》
日本平方面から清水港ごしに望んだ富士山の三幅対で、左幅に紅葉の清見寺、右幅に満月の三保松原が描かれる。海の青が薄く刷かれ、優美な雰囲気がある。
一回り2時間強でした。途中で休憩を入れなかったので、くたくた。消耗した分を酢重ダイニング 六角のランチで補給しました。
檜町公園の桜が咲き始めていました。雨に白いのが混ざり、どうやらミゾレになった模様。寒いはずです。
ガレリア一階の中央ホールにあるツリーシャワーに、桜が生けてありました。
華やぐ季節はもうすぐです。
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