日本美術の流れ@東京国立博物館 本館
6月末に早々に梅雨明けし、猛烈な風で日傘もさせず、夏の日差しが照りつける不忍池。
まだ蓮が咲き始めの頃でした。
風、強すぎ。
強風のため、本館の正面の扉を閉鎖していました。
少し前の訪問で既に展示を終えてしまったものもありますが、記録として残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。
本館 2室 国宝 和歌体十種
《◉和歌体十種 1巻 平安時代・11世紀》
和歌体十種は三十六歌仙にも数えられる平安中期の歌人壬生忠岑が著したと伝えられる歌論書で、和歌を神妙体など十種に類別し、それぞれ5首ずつの例歌と短い漢文の説明文をつけたもの。本作はその現存最古の写本。藍と紫の飛雲をすき込んだ薄手の鳥の子紙を使っている。
本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸
《歴聖大儒像 孔子 1幅 狩野山雪筆、金世濂賛 江戸時代・寛永9年(1632)》
《歴聖大儒像 顔子 1幅 狩野山雪筆、金世濂賛 江戸時代・寛永9年(1632)》
個性の強い幾何学的な構図が特徴とされる山雪の人物画二幅。普通の肖像画のようですが、山雪と知ると孔子の衣の模様が何か暗号のように見えてきます。
枇杷、李、楊梅を描いた三幅対。狩野派が規範とした銭選(舜挙)などの中国画の影響がみられるが、青磁や堆朱の質感、果実の描写や彩色をみると、制作課程に写生を行ったことを想定しうる。探幽の斎書き時代、すなわち壮年期から60歳までの作例。
ヤマモモのつぶつぶ感が規則的で気持ち悪く、うまいなあと思いました。
《草花群虫図 2幅 狩野〈伊川院〉栄信筆 江戸時代・19世紀》
左は夏、右は秋の花々。諸所に描きこまれた昆虫を探してみていただきたい。いったい何種類だろう?中国・宋代以来の常州草蟲画に触発された制作と目される。草花はまるで生け花のように根元を束ねて整形され、色彩も鮮やかで明るく、和風に変容している。
図鑑を参考にしたかようなやけに人工的な描き方です。左幅は夏で、竹、朝顔、野萱草、秋海棠、撫子に蝶や蜻蛉が舞い、右幅は秋で、葡萄、芙蓉に蝶と捕食する蟷螂が描かれています。科博の昆虫展にならってトーハクでも虫探し。
雨と雪を対比。風雨は斜めに刷毛描き、雪は素地を残して表わす。呉春は四条派の祖で、最初学んだ与謝蕪村の没後、円山応挙と交流。雪景は応挙風だが、雨量の多さをしめす水流、枝にとまる烏、童画のような人家の描写に、蕪村ゆずりの情趣がこめられている。
雨の一隻だけ展示してありました。驟雨の激しさが描かれています。
《合歓木雀図 1幅 松村景文筆 江戸時代・19世紀》
夏の夕方、化粧刷毛に似た紅色の花を咲かせる合歓木。その幹に羽を休める可憐な雀。写生に基づく気品あふれる一幅だ。筆者景文は、四条派の祖の松村月渓こと呉春の歳の離れた弟で、都会センスを発揮した京の絵師として、たいへん人気があった。
《新三十六人歌合画帖 1帖 狩野永納筆 江戸時代・17世紀》
後鳥羽院・式子内親王にはじまる、平安末~鎌倉初頭の歌人36人を番えた歌合。天福元年(1233)、九条基家が似絵の名手・藤原信実に歌人の姿を描かせ、隠岐の後鳥羽院へ送ろうとしたとの記録があり、その関連が指摘される。本作は京狩野、永納による作。
思い起こせばこの日は、出光美術館で歌仙絵を観た流れで本品を観に来たのでした。隠岐の島に流された後鳥羽院に送ったとされるもので、後鳥羽院から始まる歌合帖。想像して描かれた三十六歌仙絵と違い、当時に生きる歌人の似絵として描かれた。
本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)
鳥居派の初代、清信は、大坂から江戸に下り、江戸の歌舞伎劇場の看板板や番付類などで知られる作家である。本図は清信の作品として早くから有名なもので、彼の肉筆画としては珍しく美人を描いている。作風から最晩年に近い頃の作と見られる。
小川の辺りを、右手を懐手にし小さな傘を差して高下駄で歩く女。賛に「子供の傘をかりぬれば」とある。
《見立草刈り山路 1枚 石川豊信筆 江戸時代・18世紀》
「草刈山路」とは花人親王(後の用明天皇)が山路と名乗って草刈りに身をやつし、長者の家に奉公して、その娘玉世姫と結ばれる。山路の吹く笛は牛さえも喜ばせたというが、本作では子供らを眠りに誘っている。
《官女玉虫 1枚 鈴木春信筆 江戸時代・18世紀》
『平家物語』で建礼門院の女房玉虫を描いたもの。船の中から出てきた柳の五衣に紅の袴を着けた玉虫が、竿の先に紅扇を取り付けて陸に向かって手招きする場面。
《丁稚の夢 1枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀》
傘を差した猫役者の夢を見て、寝言も激しく居眠りする丁稚の顔に、娘がいたずら書き。それを眺める女将さんも笑っています。
《美人と水売り 1枚 歌川豊国筆 江戸時代・18世紀》
日傘でしょうか。大きな番傘を持ち紗の着物のスラリとした美人が商売人から大きな器一杯の水を買っています。水屋と称して、砂糖や白玉を入れた冷たい水を売る商売があったそうです。
《納涼 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・18世紀》
横長の画面。砂浜だろう。水からわずかに上げた床で酒を飲み、煙草を吸い、三味線を楽しみ、踊る人々が描かれている。
《青楼遊興 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・18世紀》
横長の画面に遊郭が描かれる。七輪の前で煙草を吸う客の男に寄り添う花魁。その前で禿が袖を振り上げて舞っている。幇間が何かを渡そうとしている。幇間の後ろでお盆を運びながら口元を押さえて微笑んでいるのは、振袖新造。床の間や屏風、箪笥など道具類も丁寧に描かれている。
《草刈帰途 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》
横長の画面。子供と菖蒲を積んだ馬を引いて、小川に渡した橋をわたる男。煙管を吹かし、のんびりとした表情。対岸は祭りだろうか、赤い屋根や幟のようなものを掲げている。川の流れは空摺りで表され、遠景に富士山が描かれる。よく見ると馬の腹に「仕合」の文字。背に積んでいるのは菖蒲だし、馬も鬣が結われていたり金具をあちこちにつけて飾られているし、絞り染め模様もおしゃれだし、なかなか縁起がよさそうな絵です。
《朝妻ふね 1枚 歌川国貞(三代豊国)筆 江戸時代・19世紀》
琵琶湖畔で朝妻と呼ばれた舟遊女が白拍子姿で舞う姿を描いたもの。
《東都名所・日本橋之白雨 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
雨の日本橋。南岸には白壁の蔵が並び、右手の上流に見えるのは一石橋。そのさきに江戸城が見える。遠くに富士山が烟る。
《名所江戸百景・綾瀬川鐘か淵 1枚 歌川広重筆 江戸時代・安政4年(1857)》
合歓の木が咲く夏、隅田川の西岸からの風景。船頭が向かう先に、綾瀬川との合流地点がある。
《名所江戸百景・駒形堂吾嬬橋 1枚 歌川広重筆 江戸時代・安政4年(1857)》
隅田川では立夏(現在の5月5日頃)より15日目に杜鵑が鳴き、それを初音と呼んだそう。五月雨に嘴を開くホトトギス、左手隅に駒形堂と吾妻橋、手前中央の赤い旗はこの辺に立ち並んでいた小間物問屋の宣伝の旗。
《名所江戸百景・糀町一丁目山王祭ねり込 1枚 歌川広重筆 江戸時代・安政3年(1856)》
半蔵門を南から見た風景で、山王祭の一番山車が半蔵門に、手前に二番山車の諌鼓鳥山車が通る姿が描かれている。行列の花笠がひしめき合っている。
下はGoogleストリートビューによる同地点の風景。
《名所江戸百景・赤坂桐畑雨中夕けい 1枚 二代歌川広重筆 江戸時代・安政6年(1859)》
手前に往来と桐の木、その奥に溜池、雨にかすむ急坂は現在の赤坂見附から赤坂御門に向かう坂。
右《夕涼み二美人図 1幅 勝川春暁筆 江戸時代・18世紀》
流れの前に毛氈を敷いて夕涼みをする二人。菖蒲の咲く小川を前にしてしゃがむ女が、後ろで団扇を手にしている女に酸漿を渡している。
中《湯上り美人と猫図 1幅 勝川春英筆 江戸時代・19世紀》
勝川春章の門人春英が描いたこの図も女三の宮の見立と見なすことができます。御簾を開いた猫がここでは湯上り美人の浴衣の裾を開いているのです。浮世絵の美人画で、この図のような、ちらりと肌を見せるきわどい描写の絵を「あぶな絵」と読んでいます。
猫が開くのは御簾だけではないんですね。
左《三味線を持てる芸妓図 1幅 喜多川秀麿筆 江戸時代・19世紀》
井桁絣の着物で、右手に撥を左手に三味線を持って立つ芸姑。袖や裾から見える赤いちりめんがおしゃれです。この時代に描かれる女は艶めかしいのばかりと思いきや、こんなキリッとした表情のものもあるのかと印象に残りました。
《◯三囲神社の夕立 3枚 鳥居清長筆 江戸時代・18世紀》
墨田区向島にある三囲神社境内の夕立を描いたもの。突風と雨に傘や着物の裾を押える女たちが描かれている。雲の上には雷神の姿があるのは、江戸時代の俳人其角が雨乞いに「夕立や田をみめぐりの神ならば」の句を神前に奉じたと伝えられていることから。
三囲神社は、浅草から隅田川を描いた作品には、対岸に三囲神社の大鳥居が描かれていることが多い。その名から三井家を守ると言われ、銀座三越の屋上に分社されていることでも知られている。
《河原の夕涼み 3枚 歌川豊国筆 江戸時代・19世紀》
流れに作られた納涼床の上で飲食を楽しむ様子が描かれている。酒を断る若い男の手を取ってお酒をつぐ遊女。その後ろには様々な料理が並んでいる。流れの中の遊女は泳いでくる魚を掬おうとしています。全く獲れそうな気がしませんが、背後の女の水桶には結構入っているのが驚きです。
本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(衣装)
帷子は、元々は裏地のない単仕立の総称。江戸時代には単仕立の麻製の小袖の名称となった。型で鹿の子模様を表した摺匹田や、絹の刺繍などの技法は江戸時代前期から中期を思わせる。流水模様を白く染め残し季節を先駆ける紅葉模様を表した涼しげなデザイン。
右《帷子 白麻地萩簫模様 1領 江戸時代・18世紀》
麻の単仕立である帷子は真夏に着用する。季節を先取りする秋の萩模様を摺匹田と描絵で涼やかに表し、刺繍で色を添える。雅楽に使用する楽器の1つである蕭の笛の模様は秋風の音を視覚的に表わす趣向であろう。江戸時代中期の町方女性の好みを示すデザイン
いつの時代も、おしゃれは季節を先取りするものなんですね。
《帷子 玉子色麻地竹模様 1領 江戸時代・19世紀》
野口が「文化頃 加賀染中模様」と称した小袖。「中模様」とは、腰上から裾にかけて模様を施したきものである。涼しげな玉子(たまご)色の麻地に竹の葉を白上げし、竹模様を墨絵風に黒の濃淡で染めた帷子。金糸で控えめに駒繍した水玉模様もさわやかな輝きを添える。
竹に金色の光が散る様子が、まるでホタルの輝きのようで幻想的だと思いました。
本館 18室 近代の美術
《豊干禅師 1幅 河鍋暁斎筆 明治時代・19世紀》
横3.6メートルの大画面に、虎を横にくつろぐ禅師と、岩壁に詩を書きつける寒山、その後ろで水に布を浸す拾得が描かれている。
唐の天台宗国清寺に住んでいた豊干禅師は、虎に乗って衆僧を驚かしたり、寒山や拾得という異能の弟子を取ったりと、様々な奇行で知られていた。拾得は国清寺の厨房を任されていたと伝わるため下働きをする姿で描かれている。寒山は詩人。豊干、寒山、拾得とで三聖と呼ばれる。
濃密でしかも細部まで緻密に描写された色とりどりの花や草木を背景に、雉に巻きついた蛇が、樹上の鷹とにらみ合い不気味な雰囲気が漂う。暁斎画の特色ともいえるあたかも時間が凍りついたような空間である。明治14年の第2回内国勧業博覧会に出品された。
色とりどりの花が咲き乱れる空間で、動物たちが緊張の瞬間を迎えている。これこそ、まさに河鍋暁斎。
画面全体をうめつくすほどの沸き立つ雲海から富士がのぞく。わずかな残雪を幾筋かだけ描き、白と青と金の色彩の対比が鮮やかである。大観は、雲海からのぞく富士の絵をいくつか制作したが、琳派を熱心に研究した大正期の大観作品の傾向が強くあらわれている。
正統ゆえか、私はあまり好みではない横山大観ですが、本作は目に残りました。富士山の雪の描かれ方が面白い。
《燕山之巻 1巻 前田青邨筆 大正8年(1919)》
はじめて中国を訪れた青邨は、上海から揚子江をさかのぼり、南京、漢口、北京など各地を巡った。画面全体が黄土の色調で包まれた広大な空間を生み出している。万里の長城を経て、巻末の燕山(北京北部の山地)の城は、雨に煙り、象徴的に描き出されている。
じっとりと暑い季節だから、パステルカラーで描かれた乾いた世界が、やけに魅力的に思えました。
《色絵金襴手双鳳文飾壺 1合 七代錦光山宗兵衛作 明治25年(1892) シカゴ・コロンブス世界博覧会事務局》
七代錦光山宗兵衛は、明治期に活躍した京都の陶工。薩摩焼の技法を取り入れて京薩摩を創始した六代を父に持ち、自身も美術陶磁の輸出等京焼の振興に尽力した。本作はシカゴ・コロンブス世界博覧会の出品作で、金彩の細やかな装飾が特徴的である。
どこを見てもゾクゾクするほど壺の全面が細密な装飾で飾られている。首と獅子足の付根に獅子面。
《紳士用時計鎖 1連 鎖=村松万三郎作、金具=沢田寿永作 明治25年(1892) シカゴ・コロンブス世界博覧会事務局》
村松万三郎は明治時代に活躍した金工家で、鎚金の技術を得意とし内外の博覧会で受賞を重ねた。これは村松が鎖を制作し、香川勝広、沢田寿永が金具の制作をしたもので、男子用鎖の蔦の表現や、婦人用の房にみる細工の細かさには目を見張るものがある。
鎖に巻き付く蔦の細やかさ、パーツに張り付く四匹のサル。
博物館を出て駅前で、梅蘭やきそば。
ここの梅蘭やきそばは、箸を持つ手が攣りそうなほどに大変です。ナイフとフォークが欲しくなりました。
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