東日本大震災復興祈念 伊藤若冲展@福島県立美術館
朝から東北新幹線に乗ります。
東京駅で買った駅弁。ルーローハンで朝ご飯です。
本日、スケジュール次第では昼ご飯抜きになりかねないので、ここはしっかり食べておきます。
福島駅に着いたら季節が真冬でした。完全防寒してきてよかった。
飯坂線に乗り換えて、二駅進みます。
福島県立美術館に9時到着でした。
都美館で観たばかりだというのに、またここ最近若冲付いてます。
京都人の若冲をなんで福島で?と思う方もいるかもしれませんが、福島県美は著名な若冲コレクターであるプライス夫妻の協力で2013年に「若冲がきてくれました」展を開催しています。それは、2011年の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故後、2012年のベン・シャーン巡回展においてアメリカの美術館7館が所蔵作品の展示を拒否した経緯があった中での開催でした。プライス夫妻の心意気に泣けます。
その後、2016年に都美館での《動植綵絵》一堂展観で異常な程の人気の再燃があって、先行した福島での「若冲がきてくれました」展にも光が当てられました。ここで再度の開催。行かないわけにはいきません。
9時半の開館まで白テントの中で待機です。
待合所があったおかげで寒さに困ることはありませんでした。ありがたや。
東日本大震災復興祈念 伊藤若冲
以下、気になった作品についてメモを残します(◎は重要文化財、◯は重要美術品)。若冲作品は過去に多く観ているので、気に入っているけれどここで触れないものが多くあることをお断りしておきます。
第1章 若冲、飛翔する
《11猿猴捉月図 一幅 紙本墨画 明和7年(1770)頃 キンベル美術館》
禅問答猿猴捉月は樹上の猿が手と手を繋ぎ合せて、水中に映る月影を捕まえようとする姿を、誇大なものを得ようとしている喩えとして描く。若冲は、水面に写った月影に興味をいだいた子猿を、母猿が尻尾を掴んで水面に近づける姿として描いている。
《◎武雄鍋島家洋学関係資料よりペルシアンブルー 二点 江戸時代(19世紀) 武雄市歴史資料館》
第2章 若冲、自然と交換する
《35墨梅図 一幅 紙本墨画》
枝の勢い。極限まで意匠化した梅の花が魚卵のように描かれている。
《37花鳥図押絵貼屏風 六曲一双 紙本墨画 九州国立博物館》
動植綵絵と同時期に描かれた水墨画。筋目書きや独特の曲線など水墨画においても実験的手法が試みられていたことが伺える。右隻1扇には小笹と片足立ちで尾を高く上げるオナガが描かれている。オナガが止まっている細枝はまるで福島のゆべしのような三枚葉。輪生の三枚葉でこの形、はて?
《44蔬菜図押絵貼屏風 六曲一双 紙本墨画 寛政6年(1794)》
巨大な12種類の野菜が描かれた屏風。元は軸装だった。青物問屋の主人であった若冲にとって野菜を描くことには特別な意味があるとされている。本画も仏具を喜捨した人にお礼として贈ったもの。
《45芦に鵜図 一幅 紙本墨画》
濃墨で描かれた鵜の濡れた感じがとてもよい。
第3章 若冲、京都と共に生きる
《48双鶴・霊亀図 双幅 紙本墨画 MIHO MUSEUM》
右幅の霊亀はまるでガメラのような貫禄。ゾウガメのような立派な甲羅に画面からはみ出すほどの藻をつけている。左隻、二羽の鶴の胴体は亀の丸々とした甲羅に呼応するように丸く描かれている。
《62福禄寿図 一幅 紙本墨画淡彩 寛政2年(1790)頃 キンベル美術館》
激しく葉を伸ばす松の下に、横向きで描かれた福禄寿。長い頭で鶴亀の豪華な着物。右手に鈴を持っているところを見るとお神楽なのかもしれない。地面のたんぽぽや松葉に僅かに着色されているのがとても印象に残る。
《67三十六歌仙押絵貼屏風 六曲一双 紙本墨画 寛政8年(1796)寛政10年(1798) デンバー美術館》
去年三十六歌仙を勉強したので見入ってしまいました。歌仙らは琴碁書画に留まらず鞠遊びやら団扇を仰いで遊んだり田楽を作ったり。若冲の遊び心が発揮された作品。
《68五百羅漢図 一幅 紙本墨画 寛政8年(1796)頃》
雲の上を進む五百羅漢が描かれている。羅漢の他にも象、牛、虎、貘、龍の姿。羅漢は盗人髭の微笑ましいお顔ばかりなので、単眼鏡で観ているとこっちまで顔が緩む。《石峰寺図》を連想せずにはいられない。表装が濃い青だったのも印象に残った。
第4章 若冲、友と親しむ
《85梅図 一幅 紙本墨画 MIHO MUSEUM》
俗世の誘惑を遮断して隠遁する人達は、宋の隠遁者林和靖の事跡と、梅を詠じた「疎影横斜水清浅 暗香浮動月黄昏」という闇の中で梅を楽しむ詩句をもてはやした。隠遁する若冲にとって梅を描くことは風諭であったと思われる。若冲の大の支援者、相国寺禅僧の大典顕常が賛を書いている。
第5章 若冲、新生する
《90◎蓮池図 六幅(旧襖六面) 紙本墨画 明和9年(1789) 大阪・西福寺》
本展は東日本大震災復興祈念として開催されている。若冲は晩年になって天明の大火で自宅とアトリエを失って大阪方面に避難した。大阪府豊中市にある西福寺の襖絵として描かれた本画には泥の中から咲く蓮が描かれている。本展監修の京博の狩野博幸氏は以下のように語っている。
「蓮池図」は一本の枯れた蓮(はす)が目を引く寂寥感(せきりょうかん)の漂う作品だが、2011年3月11日のー週間後に改めて実際にこの絵を見たとき、枯れた蓮のわきに白いつぼみがぽっと浮かんでいるのに気がついた。
「このつぼみに意味がある。若冲は京都の復興を願っていたんだ」と感じさせる。
《94石峰寺図 一幅 絹本墨画淡彩 寛政元年(1789) 京都国立博物館》
タラコ再び。これ本当に好き。若冲とかそういうの別にして世界観が好き。まるでパステル画のように柔らかいトーンの墨画。水に浮かんだような石峰寺境内では五百羅漢が実にのんびりと過ごしている。ここはきっと極楽。羅漢参道赤門の脇の仁王像までのどかです。石峰寺は若冲が晩年に庵を結んだ。お墓参りにいつか行きたい。
《100梅花図 一幅 絹本著色 寛政元年(1789)》
細やかな筆使いの美しさを堪能。特に接近制限のテープもなく、薄い低反射ガラスケースに入っての展示。ケースないと怖くてここまで近づけないから、ケースがある方が安心して観られます。ど近眼がメガネを外して10センチの至近距離での観察。糸目まで肉眼で見えることに感動しました。
《110百犬図 一幅 絹本著色 寛政11年(1799)》
若冲最晩年の作で本展のメインビジュアルのひとつ。動植綵絵を思わせる丹念な筆使いで59匹の子犬が描かれている。子犬のどこまでも丸いフォルム、ころころと不器用に丸まって動く様が実に愛おしい。大がつく犬好きとしては、犬には出ない柄などに言及したくもありますが、若冲が現実にはないものを描き込んで絵画化するのは珍しいことではないのでその辺は脇に置いときます。
常設展
二階に上がって常設展を観ます。
常設展での楽しみはなんといってもワイエス!前々から気になっていたものの、なかなか観る機会がありませんでした。特にタブローが観たかったので《松ぼっくり男爵》がこの機会に観られたのは、私にとって何よりもの僥倖でした。
《ガニング・ロックス アンドリュー・ワイエス (1917-2009) 紙・水彩 1966年》
題名はワイエスの家の沖合にある岩礁の名前。描かれた鋭い眼差しの男は漁師だという。産毛一本一本の影まで描き込んだような緻密な写実に感動した。
《そよ風 アンドリュー・ワイエス (1917-2009) 紙・水彩 1978年》
窓から外を眺める裸婦。窓から降り注ぐ光と風が女の金髪と白い肌を輝かせる。
《松ぼっくり男爵 アンドリュー・ワイエス (1917-2009) ボード・テンペラ 1976年》
松並木、松葉が積もった地面にはヘルメットが置かれ、その中には松ぼっくりが積み上げられている。冬の弱々しい光が松葉に降り注ぐ。乾いた松の樹皮、松ぼっくりの複雑な形の面白さ。
ワイエスの家の裏にあった農場に住むカーナー夫妻はドイツ移民で、妻アンナは松ぼっくり拾いを日課にしていた。おそらく燃料に使うのだろう。すでに日用品と化したヘルメットは、夫カーナーがドイツで出兵した際に使った記念品なのだろう。
《農場にて アンドリュー・ワイエス (1917-2009) 紙・水彩 1988年》
農場の薪小屋を描いている。薪が小屋の半分でしかないところを見ると冬は当分先で日差しが強い季節なのだろう。薪に腰掛けて休む男は、降り注ぐ日差しを避けようとスコップで顔に影を作っている。ペンキの剥げた壁、歪んだ屋根が薪小屋が建っていた年月を感じさせる。
今、ちょうど新宿の美術愛住館でワイエス展が開催されています。丸沼芸術の森のコレクションからの選りすぐり40点が観られるそうなので、近い内に行こうと思います。
福島県会津出身の版画家、斎藤清の作品もありました。初めて観たけど面白かった。
《霊峰 (16)、牧場 (C) 斎藤 清 (1907-1997) 紙・木版 1980年》
《地の幸 斎藤 清 (1907-1997) 紙・木版 1989年》
《早春 (2) 斎藤 清 (1907-1997) 紙・木版 1989年》
想定していたタイムスケジュールより早く観終わったのでレストランへ向かいます。外を見たら、なんと雪が降り出しました。寒いと思ったら!
美術館併設のフレンチレストランで若冲ランチ。
いろいろと言葉に困ることがたくさんあったので、これ以上書きません。
若冲塗り絵コーナーもありました。
これ、とっても楽しそうでしょ。時間がたっぷりあるならやってました。
下は、ミュージアムショップで買った物と、レストランの若冲ランチでオマケとして貰ったクリアホルダーです。
この後、会津さざえ堂に行く予定でしたが、あいにくの天気なので予定を変更して飯坂温泉に向かいました。
https://isshokuta.kuruxkuma.com/2019-03-31-114154/
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