枚聞神社:日向三代を巡る旅 その9
開聞岳
薩摩川内市から薩摩半島を南下して指宿市へ。年末だというのに菜の花が咲き誇る池田湖。さすが亜熱帯気候。
遠くには薩摩富士とも呼ばれる開聞岳が見える。その昔、麓の枚聞神社に因んでひらきき岳と呼ばれ、神名備信仰があった。
鎌倉時代に式内社 枚聞神社と新田神社とで薩摩国一宮相論が起こったことから薩摩国には一之宮が二つ存在する。『延喜式神名帳』に記される式内社 薩摩国一宮 枚聞神社(ひらききじんじゃ)は、当初開聞岳南麓に鎮座したが貞観16年(874年)の噴火で揖宿神社に避難し、その後北麓の現在の地に遷座した。
『三国名勝図会』による枚聞神社
枚聞神社は、江戸時代後期に薩摩藩によって編纂された『三国名勝図会』の23巻に「開聞神社」として描かれている。
『三国名勝図会』本文には、主祭神が国常立尊、天照大神、猿田彦大神で、配祀神として八座、天忍穂耳尊、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野大隅日命、田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命と、五男三女神を祀って総名を開聞九社と称すと記している。
さらに、枚聞神社の歳神は古くから諸説ありとして『延喜式神名帳』には「猿田彦命云々」と始まり、『神社啓蒙一宮篇』に綿積神社、『神社便覧』に和多津美神社、『神代巻塩土伝』に「枚聞神和多津美神傅云祭鹽土老翁」、『撰集薩隅日神社考』二書に「猿田彦太神又曰西宮天智天皇幷后」、『開聞古傳』に「開聞社、豊玉彦命、豊玉彦妻神、鹽土老翁、又豊玉姫を祀る」等々と史料を丁寧に並べ、『日本書紀』の山彦海彦に触れ、別に天智天皇の開聞御臨幸と大宮姫の伝説を「虚妄無稽にして、明證なく、牽強附會にして、信用すべからず」とばっさり切り捨てる。
最終的に「古説の如き當社祭神は、和多津美神を本とし、鹽土老翁とし、猿田彦命とし、出見尊、豊玉姫とす、郡本一宮の如き、中宮猿田彦大神、豊玉彦命、日月神、鹽土老翁、玉依姫、東宮出見尊、豊玉姫、西宮大己貴命、天智天皇の九體とす。此西宮を除て外は、皆出見尊海宮遊行に係る諸神なり」とまとめる。
枚聞神社御祭神を結論してなお書き足らなかったのか、24巻に続いて天智天皇の開聞御臨幸と大宮姫の伝説が贋説であることを相当な頁を以て述べ、新田神社とで薩摩国一宮相論が起こった際に神格を高めるために持ち出されたのではないかと論じている。
『三国名勝図会』が読めば読むほど面白すぎて、なかなか訪問記に入れない。
一の鳥居
県道28号、枚聞神社前交差点脇に明神鳥居がある。
額束に社紋の十六菊花紋が入っている。鳥居の奥に広い駐車場があるが、この日は正月の出店が立ち並んでいた。
鳥居の両脇に切妻造三間の建物がある。
長庁でもないし回廊でもない。随身像か何か置くつもりだったか。
二之鳥居の両脇に大きな楠木がある。
左手前に手水舎、右に車祓所がある。
手水舎
銅板葺切妻造四方転び開放ち。
中央に天然石の手水鉢がある。
枚聞神社及び付近案内
枚聞神社及び付近案内
鎮座地 鹿児島県指宿郡開聞町十町
御祭神 枚聞神一座 神社由緒記に大日孁貴命(天照大御神)を正祀とし他に皇祖神を併せ祀るとある。
御沿革 御鎮座年代を詳らかにせずとも雖も社伝には遠く神代の創祀なりと云う。既でに貞観二年薩摩国従五位下開聞神加従四位と三代実録に載せられているのを始め延喜式には薩摩国枚聞神社とある。
古来薩摩国の一の宮、南薩地方一帯の総氏神として代々朝廷の尊崇厚く度々奉幣あり、殊に藩主島津家代々の崇敬絶大にして歴代藩主の修理、改造、再建等十余度に及び地方開拓の祖神として、又特に厄除、開運、交通安全、航海安全、漁業守護神として琉球国を初め地方民の崇敬篤に厚く明治4年国幣小社に列格せられた古社である。御例祭 十月十五日
宝物 国指定重要文化財「松梅蒔絵櫛笥」外数十点あり、「最古の大酒甕」拝観可
付近名勝
開聞岳 標高九百三十四米、二重式火山 頂上に当社末社御嶽神社鎮座
玉乃井 日本最古の井戸、龍女豊玉姫命水汲みの井戸と云う。
聟入谷 彦火火出見命と豊玉姫命のご結婚の跡と云う。
池田湖 周囲約二十キロ、九州最大の淡水湖寄贈 開聞町 山下石油 山下昇
福岡市(株)山水製作所 山下良夫
肝心の御祭神についてさえも言葉を濁した書き方なのが気になる。なお、鹿児島県神社庁のサイトの枚聞神社のページには大日孁貴命と五男三女神が記されている。山幸海幸に絡む和多津美神は除かれた形だ。
御神木
枚聞神社のクスノキ案内板
枚聞神社のクスノキ
科名 クスノキ科
樹齢 800年
幹周り 7.9~9.5m
樹高 18.0~21.0m「枚聞神社由緒記」によりますと、神社は開聞岳の北麓に面して鎮座し境内地は約7000坪で、その中には千数百年を経た老樹が数多くあります。枝が鬱蒼と茂り天高くそびえている様は、このお社が由緒深い神社であることを物語っています。
神社の祭神は天照大御神を正祀として他の皇祖神八柱神を併せ祀っており、 特に交通安全・航海安全・漁業守護の神として船人達から厚く信仰されてきました。 古くは、琉球王が枚聞神社に対して信仰が厚く、入貢の都度、神徳讃仰の文字を表す扁額を奉納したとのことで、現在その当時の扁額7枚が宝物殿に飾られています。調査 平成22年2月 特定非営利活動法人 縄文の森をつくろう会
南薩地域振興局
二之鳥居
門杜社に挟まれて両部鳥居が立つ。
二之鳥居をくぐると社殿、その奥に開聞岳の山頂が見える。
多くの神社と異なり、枚聞神社の社殿は北に向いている。なお、開聞岳山頂には開聞神社の奥宮御岳神社がある。
参道両脇に手水鉢。正面に勅使殿、その左右に東西長庁がある。
左が東長庁で神符守札所、御祈願受付、右が西長庁でおみくじ所になっている。
県指定有形文化財案内板
県指定有形文化財
枚聞神社本殿
県指定年月日 平成二年三月二十三日
所有者 枚聞神社
種類 建造物枚聞神社の社殿は、総漆塗極彩色の鹿児島地方独特の建物で、正面に唐破風の向拝のついた勅使殿、その奥に拝殿幣殿、本殿と連なり、本殿入口には、みごとな雲龍の彫刻柱がある。また、勅使殿の両側に東長庁とに西長庁が配置されている。
指宿市教育委員会
勅使殿
黒縁朱塗り銅板葺入母屋造妻入で唐破風向拝がついている。
鬼瓦や破風下の蟇股には社紋の十六菊紋が付いているが、唐破風の妻飾りに三巴紋によく似た紋が見える。
勅使門は御簾が巻き上げられて、内部がよく見えた。
格天井で、天井絵が描かれている。
勅使殿と長庁の間を通って拝殿に回る。
拝殿
拝殿は朱塗り、銅板葺入母屋造妻入で縋破風向拝がついている。
勅使殿と比べて装飾が少ないため、丸桁や組物の彩色が目立つ。束帯の平緒のよう。
本殿
拝殿の屋根の奥にわずかに本殿屋根が見える。
屋根には外削ぎの千木に5本の鰹木がついている。
本殿は1786年に再建されたもので、方三間、銅板葺入母屋造妻入で、一間の縋破風向拝がついているという。
宝物殿
入ってすぐに料金箱があるので入館料100円を入れる。
国指定重要文化財案内板
国指定重要文化財
松梅蒔絵櫛笥付属品並目録共一合国指定年月日 昭和二年四月二十五日
所有者 枚聞神社
種類 美術工芸品松梅の蒔絵で飾られた昔の女性の化粧箱である。作者及び伝来は詳らかでないが、古くから本殿に納められ、「玉手箱」あるいは「あけずの箱」「玉櫛笥」等とも呼ばれ、大事に保管されてきた。
付属品の内容は、小箱十一と、小壺一、御櫛三、たとう紙四、角鈎二、鬢板一、金銀散らし箔紙一、綿の袋一、服紗巻筆三、御もとゆい二、御まゆつくり三、鏡二、合計二十三個の化粧道具が入っている
この化粧箱の細別目録に「大永三年」(西暦一五二三年)ちかかれているので、室町時代の作品で、高貴な女性の持ち物と推察される。わが国の風俗史研究上重要な資料となるものである。指宿市教育委員会
《◎松梅蒔絵櫛笥付属品並目録共 1合 室町時代16世紀 鹿児島県・枚聞神社》
この地に伝わる海幸山幸神話に関連付けて「竜宮の手箱」と伝えられている。
開けてはならない玉手箱の中身。
蒔絵も美しく付属品も一揃い残る大変素晴らしい物ですが、宝物館の薄暗い照明の中ではその輝きが幾分損なわれて見えるのが惜しかった。
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