鹿児島神宮:日向三代を巡る旅 その5

2022年10月13日

山を下り霧島市の市街地にある大隅国一之宮鹿児島神宮へ向かった。鹿児島神宮は鹿児島の県名の由来ともなっている古から続く神社である。

鹿児島神宮は延喜式神名帳に記される大隅国式内社5座のうちの一つであり、中世では「大隅正八幡宮」「国分八幡宮」とも呼ばれていた。同じ隼人町内で鹿児島神宮から北東に位置する石體神社の場所に彦火火出見尊の宮殿(高千穂宮)があったとされ、そこが神社になったのが創始とされる。和銅元年(708年)に現在の地に遷座した。鹿児島神宮の北西に彦火火出見尊の御陵高屋山上陵がある。

江戸時代後期に薩摩藩によって編纂された『三国名勝図会』の31巻に「鹿児島神社 石體宮 弥勒院」として描かれている。鹿児島神宮の別当寺だった弥勒院は失われたものの、一の鳥居から続く参道や社殿の多くは現在もそのままである。

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平安時代には大分県にある宇佐神社と八幡宮本宮を争った。八幡神大隅顕現説である。

鎌倉時代中期成立の『宮寺縁事抄』の『八幡御因位縁記』に八幡神顕現伝承が記される。要約すると、震旦国の陳大王の娘大比留女が七歳にして夫なく妊った。父母が怪しみ問うと「夢に朝日胸を光らして覆ひ娠れり」と答えたので、驚いて誕生の王子もろとも空船に乗せて流したところ、大隅の八幡崎に漂着した。これを祀る宮である故に大隅正八幡宮と主張する。

平安時代末期には大隅正八幡宮を八幡宇佐宮から岩清水八幡宮に繋がる系譜の起源として、次第に影響力を持つようになる。12世紀前半の成立とされる『今昔物語集』巻12「於石清水行放生会語 第十」には、「今昔、八幡大菩薩、前生に此の国の帝王と御しける時、夷???軍を引将て、自ら出立せ給けるに、多の人の命を殺させ給ひける。???初、大隅の国に八幡大菩薩と現はれ在して、次には宇佐の宮に遷らせ給ひ、遂に此の石清水に跡を垂れ在まして…」と記される。

大鳥居

島木だけが白い朱塗りの両部鳥居。
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霧島神宮に引き続き、この鳥居の雨覆も瓦葺きである。鹿児島の鳥居は雨覆に瓦を使うのが特徴らしい。

参道に続く道路の両脇に大きな石灯籠があった。
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石灯籠の右が弥勒院の跡地で、現在は宮内小学校がある。

三之社

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境内社三之杜では豊姫命と磯良命、武甕槌命と經津主命、火闌降命と大隅命をそれぞれ祀っている。

二之鳥居

石造りの神明鳥居。
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正月に向けて立派な門松が飾られていた。花卉園芸が盛んな地なだけあって関東のものと比べて随分と華やかでした。

奉納木馬

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左に「町指定文化財初午祭に伴う18日の馬の芸能」と書かれた標柱が立っている。
宮崎県鵜戸神宮の花嫁道中シャンシャン馬を思い出す。鹿児島神宮の初午祭が起源であったか。

いよいよ境内に入る。
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右手の堂々とした楠木が否が応でも目に入る。

電話ボックスは切妻屋根で千木付き。
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ここで電話をかけると、どこか違う所に繋がるような気がする。

鹿児島神宮案内板

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大隅国一之宮 鹿児島神宮及神都案内

鎮座地 鹿児島県霧島市隼人町
御祭神 天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)豊玉比売命
相殿神 帯中比子尊(仲哀天皇) 息長帯比売命(神功皇后) 品陀和気尊(応神天皇) 中比売尊(仲姫命)

主な祭典並びに特殊神事

例祭 旧八月十五日 満月の十五夜の日で御神徳を仰ぐ由緒ある日です。
七種祭 一月七日 神院拝戴、翁舞、追儺式あり神印は元正天皇奉納(七二三年)のもので之を額に押戴くと年中災なく幼児は特に生育障なしといわれる。
初午祭 旧正月十八日 御神馬を先頭に鈴懸馬多数が人馬一体となり踊りながら参拝する。全国にも類例のない神事で畜産奨励の御神徳によるものである。(近時この日を過ぎた日曜日に行う)
藤祭 旧三月十日 御祭神が「わだつみの国」より御帰還された日ともいわれ、折しもこの季節は藤花の咲き匂う頃なのでこの名がある。
御田植祭 旧五月五日 数十名の早男早乙女による古式豊かな挿秧の儀があり田ノ神舞、トド組、棒踊等の奉納がある。(この日に近い日曜日に行う)
七夕祭 境内に七夕飾りの奉納がある。この祭典に合わせご神宝潮満珠潮千珠以外の宝物数十点が風入れの為陳列されるので拝観の好機である。
御浜下り祭 十月第三週日曜日「放生会の大路」と古記に記述される道を通り隼人塚にて慰霊祭並びに御神幸地浜御殿まで行列を組み、浜下りの神事を執り行う。

付近の名所史跡

石體神社(鹿児島神宮北東二〇〇m)
皇祖彦火火出見尊、高千穂の御宮跡、即ち鹿児島神宮の元つ跡所、和銅朝奉還後本宮の摂社となす、四方の崇敬中々に厚く、月の戌の日最も賑わう。
奈気木の杜(鹿児島神宮北東約二km)
古記、天神蛭児を楠舟に乗せて海に放つ、風に任せて舟ここに着く、根ごしの丸太舟根を張り枝を発して老楠となり、代を次て復た古楠となり古叢となる、古情嘆々古思神々の所。
隼人塚(隼人駅南約三〇〇m)
日向大隅隼人の祖塚、元明天皇の朝之を修すと、古影古武凛々今生けるが如し。

石段の右にある大きな楠木。
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樹齢800年を超えるとか。

神橋

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天降川から取水した宮内原用水路に架かる三径間桁橋。

御門神社

石橋の左右に御門神社がある。左は櫛磐窓命、右は豊磐窓命を祀っている。それぞれ瓊瓊杵尊が天降る際に、宮城の御門の守護のために共に降ったとされる神で、別名天石門別神という。
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鈴懸馬

左の神門神社の先に神馬の小屋がある。鹿児島神宮の御神馬は芦毛の雄でサラブレッド種の清嵐(せいらん)。神馬は、初午祭で全身を飾りつけられ囃子が響く中で足拍子を踏む鈴懸馬踊りを奉納する。

鈴懸馬の由来

起源は不祥ですが、御祭神彦穂穂出見尊が、農耕畜産魚猟等の殖産を御指導、御奨励された御神恩に酬い併せて五穀豊穣厄除招福をも祈る特殊な神事であります。
神宮創建時から行はれて居たと思れますが、記録として養和元年(一一八一年)には神宮にて、神馬を飼育していた事が古文書にも見え、又一説には天文十二年(一五四三年)島津貴久公の正月十八日の霊夢により今日の鈴懸馬の参詣の日になったとも伝えられています。 その後飼育が隣の加治木町木田郷に移されたので、この神馬が年一回この日を期して、氏子中の馬と共に盛装して参拝するもので、太鼓、鉦、三味線の賑やかな囃子と陽気な歌声に馬も足拍子よろしく人馬一体となって踊りつつ神詣するものであります。 当日は遠来の寶者で境内は賑わって居り、全国に類を見ない壮観です。 又社頭では初鼓、或は神話に因む鯛車、化粧箱、其他郷土玩具の土鈴、鳩笛、羽子板等が出されています。

歌謡の一例
さても見事な八幡馬場よ
鳥居に御鳩が巣をかける

御神木

境内の階段脇に豊玉比古命を祀る雨の杜、その背後に御神木がそびえる。
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「御神木 樹齢凡そ800年 建久年間植樹」の看板がある。

社務所

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参道をさらに西に進む。
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手水舎

黒縁朱塗の切妻造り四方開け放ち平入り。四角柱は支柱のある凝ったもの。組物の木口が金色に塗られ欄間や蟇股にも意匠が凝らされている。
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銅板葺の屋根色が赤銅色で、まだ拭き直されて新しい。

石造りの龍水口と手水鉢。
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鹿児島神宮由緒案内板

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大隅国一之宮 国分正八幡 鹿児島神宮由緒概要

一、鎮座地 鹿児島県姶良郡隼人町内二、四九六番地 日豊本線隼人駅より 肥後本線日当山駅より徒歩十五分 バスの便あり

一、御祭神 天津日高彦穂穂出見尊 豊玉比売命 相殿 仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、同皇后

一、御系統 天照大御神(伊勢神宮)ー天忍穂耳尊(英彦山神宮=福岡県)ー瓊瓊杵尊(霧島神宮)ー彦穂穂出見尊(当宮)ー鸕鶿葺不合尊(鵜戸神宮)ー神日本磐余彦尊(神武天皇=宮崎神宮)

一、由緒概要 創祀は皇孫神武天皇の御代なりと伝えらる。農耕畜産漁猟のみちを指導し民生安定の基礎を創り給うた。俗に大隅八幡とも称し全国正八幡の本宮でもある。延喜の制(九〇一年)には大社に列し大隅一ノ宮として朝野の祟敬篤く建久年間(一一九八年)には社領二千五百余町歩に及べり。明治四年国幣中社、同七年神宮号宣下官幣中社、同二十八年官幣大社に夫々列格す。昭和天皇陛下の行幸勅使皇族の御参拝は二十余度に及ぶ。現社殿は宝暦六年(一七五六年)島津重幸公(二十四代)の造営なり。

一、祭典並びに特殊神事
例祭 旧八月十五日
七種祭 一月七日 神院拝戴、翁舞、追儺式
初午祭 旧正月十八日 御神馬を先頭に鈴懸馬多数が人馬一体となり踊りながら参拝する全国にも類例のない神事。
藤祭 旧三月十日 御祭神が海の国より御帰還された日といわれる。
御田植祭 旧五月五日 数十名の早男早乙女による古式豊かな御田植の儀があり田ノ神舞、トド組、棒踊等の奉納がある。
七夕祭 八月七日 潮満珠、潮千珠を初め甲冑(重要文化財にて東京国立博物館二領、鹿児島県歴史資料センター黎明館一領出陣中)鏡、古印(元正天皇奉納)、馬角、瑠璃屏風、青磁鉢、唐金花入其他七夕の日に公開される。

一、信仰玩具 全国に有名であり情緒豊かな野趣と色彩を示している。鯛車、初鼓、化粧箱、土鈴、鳩笛、笛太鼓、羽子板、はじき猿等がある。

一、御陵 高屋山稜と称し当宮より西北へ約十三粁 空港に近い。

竜宮の亀石

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鹿児島神宮社殿案内板

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県指定 有形文化財

鹿児島神宮本殿・拝殿・勅使殿

平成二年三月二十三日指定

鹿児島神宮本殿は、宝暦六年(西暦一七五六年)島津重豪によって再建されたとされ、県内最大の木造建造物として文化財的価値が高いため、鹿児島県より有形文化財(建造物)として指定されました。
本殿の構造は柱間が正面七間、側面四間の入母屋造りで、正面に前室を設けてあります。本殿のの壁画は薩摩藩の画家、木村探元の筆になると伝えられています。
本殿につながる拝殿は縦長で、天井の格子には、花や野菜等が色彩豊かに描かれています。勅使殿は神殿社殿の入口に位置し、天皇から幣帛を託された勅使をお迎えする所として作られています。

霧島市教育委員会

参道の右側、石垣と玉垣に囲われ一段高く作られた場所に社殿がある。霧島神宮と同じく、本殿、拝殿、勅使殿が一列に並ぶ鹿児島に特有の配列になっている。本殿は南向きで桜島を向いている。

勅使殿

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黒縁朱塗で銅板葺入母屋造、四脚唐破風向拝。左右に東西長庁が伸びる。勅使殿の左右にある階段で拝殿に上がれる。

勅使殿向拝につく扁額には「正八幡宮」の文字。
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吊り下げ灯籠が六角の猫足だったりするところも含め、神仏習合の趣が今も濃く残る。

勅使殿の柱は龍や瑞雲、蟇股には波上の月と兎が極彩色の彫刻で飾られている。
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格天井には様々な植物が描かれている

拝殿

勅使殿脇の階段を上がり、社殿を横から見る。写真左が拝殿、右が本殿。右にわずかに見えているのは境内社の四所神社。
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拝殿は銅板葺切妻造り、千鳥破風がついている。

拝殿の格天井には天井絵、蟇股や柱の組物には極彩色の彫刻が施されている。本殿両脇の巻龍柱が見事だ。
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奥では正月の飾り付けが進む。

賽銭箱の横に鯛車が置かれていた。
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本殿

裏に回って本殿を見る。
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外削ぎの千木に5本の鰹木がつく檜皮葺入母屋造。四面庇社殿である。

四所神社

黒縁の朱塗り、銅板葺三間社流造一間向拝付き。屋根には外削ぎの千木と3本の鰹木がつく。
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御祭神は大雀命、石姫命、荒田郎女、根鳥命。

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隼風神社

黒縁の朱塗り、銅板葺一間社流造。
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御祭神は日本武尊。

式内神社

朱塗り、銅板葺三間社流造。
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御祭神は武内宿禰。

本殿の背後に末社稲荷神社へ続く朱塗りの明神鳥居が並んでいる。
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第二駐車場から伸びる道路を渡る。
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神社はすぐそこだと思っていたら、まだまだ鳥居が続いていた。

かなり足元が危うく、息切れする。
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第三駐車場から伸びる道路を渡る。車で上ってくれば、ここまではすぐだ。
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稲荷神社の門守神として参道途中に二つの杜がある。左は大多羅知女神社で息長帯媛命を、右は山神神社で大山祇命を祀る。

さらに鳥居をくぐって進む。
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この辺から足元がさらに悪くなってくる。

途中に使われていない手水舎があった。
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鼻先を破損した龍水口がまるでエイリアンのようで、これはこれで格好良いと思った。

いい加減引き返したくなったところで、ようやくお社が見えてきた。
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ゴールはすぐそこ。
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稲荷神社

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狛狐は左が巻物を右が玉を咥えている。
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稲荷神社本殿は春日造。切妻造で屋根が大きく反り、妻側正面に片流れの庇がつく。
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御祭神は宇賀魂命、大宮賣命、猿田彦命である。

本殿の左脇を覗くと、洞穴があった。
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苔むした狛狐が祠を守っている。
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稲荷神社の御神体である。
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なお、稲荷神社の帰りは行きよりもさらに足元が怖かった。こちらに出向く際は、歩きやすい靴をお勧めする。

招魂社

第三駐車場脇にある。
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国家のために殉難した人の霊を祀る。