玉乃井:日向三代を巡る旅 その10
池田湖から県道28号(岩本開聞線)を南下し、枚聞神社に向かう途中、田園風景が広がる中にぽつんと木立が生い茂る場所があった。
浦島太郎伝説の元になった山幸彦海幸彦伝承の地だという。
江戸時代後期に薩摩藩によって編纂された『三国名勝図会』の24巻に「玉井」として描かれている。
本文には 『日本書紀』に出てくる豊玉姫が朝夕使っていた井戸と伝え、「是太古は此地江海にて、竜宮界なりし故、此傳へあるなり、又昔日は頴娃山玉井寺龍寶坊といへる寺院ありしと云々」と書かれている。さらに、玉の井の地と同じく昔は海中だったとされる聟入谷(むこいりだに)があり、そこが山幸彦が豊玉姫を娶った場所とされている。
木立の間に小道があり、脇に標柱と案内板がある。
瓊の井
玉の井は神代の昔、豊玉姫が朝な夕なに使っていたのが、この玉の井で、日本最古の井戸として伝えられ有名なものであります
入口から十数歩もあるけば井戸に着く。
すぐ脇に謡曲「玉の井」と玉の井戸の案内板がある。
謡曲「玉の井」と玉の井戸
謡曲「玉の井」は、日本書紀中の神代説話海陸交通伝説を現代物に脚色した曲である。
地神彦火火出見尊は、兄火闌降尊から大切な釣針を魚に取られてしまった事をひどく責められ、海の都に探しに出かけられた。
疲れ切って玉の井戸の傍に立つ桂の木蔭に休んでいると、水を汲みに来た豊玉姫・玉依姫から事情を聞かれ、尊に心をひかれた姫の案内で海の宮殿に導かれた。
姫の父海神の歓待を受けて楽しむうちに3年もの月日が過ぎ、帰国を思い立たれた尊に、姫達は潮満瓊・潮涸瓊を、海神は魚の取った釣針を捧げ、五丈の鰐を船とし、舞楽を奏して元の陸地に御送りされたという物語である。
玉の井戸は、海と陸との交通路としての日本最古の井戸である。謡曲史跡研究会
玉垣の中に、井戸をまたぐようにして鳥居が立てられている。
井戸は枯れているようだ。
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