「江戸名所図屏風」と都市の華やぎ@出光美術館

7月末から始まっていたにも関わらず、なまじ近いためにいつでも行けると放置しておいたら会期半ばになってしまい、あわてて訪問。楽しみを後回しにしてしまう性格が仇になっています。
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出光美術館です。今回、「江戸名所図屏風」と都市の華やぎ(キャッシュ)を観に行きました。

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古来、交通の要所であったとはいえ地方都市のひとつにすぎなかった江戸は、徳川家康(1543 – 1616)の移封と開府をきっかけに、目まぐるしい発展をとげてゆきました。勢いを増す都市の景気は、絵画制作のかっこうの動機となったとみえ、その活況をとらえるいくつかの絵画が今日に伝わっています。
(中略)
本展では、「江戸名所図屏風」のほか、江戸の町を題材にした絵画の数々をとおして、画面にみなぎる新興都市の活気をご覧いただくとともに、京都の姿をとらえた絵画(洛中洛外図)に替わる新たな都市景観図の成立と展開、絵画史的な意義や絵画そのものの魅力に迫ります。

以下、気になったものについてメモを残します(◎は重要文化財、◯は重要美術品、所蔵先のないものは全て出光美術館)。

江戸名所図の誕生―〈横から目線〉でとらえた都市の姿

1《◎江戸名所図屏風 江戸時代 八曲一双 各 107.2×488.8》

右隻は上野寛永寺、浅草、駿河台、神田、元吉原、両国、日本橋、三の丸まで、左隻は江戸城天守から船蔵、京橋、新橋、増上寺、歌舞伎、風呂屋、芝浦海岸までを横方向に江戸を縦断して、まるで絵巻のように描いている。2000人以上を超える特徴ある五頭身の人物のざわめきが江戸の街の活気を伝える。
制作年は、浅草三十三間堂の通し矢が最初に行われたのが、お堂落成当日の寛永20年(1643)当日との記録があるので、少なくともそれより時代を遡らないだろうと説明書きにあった。注文主は、左隻の画面右下(一扇)に描かれた向井将藍邸が一際豪華に描かれていることから、向井将監忠勝の息子・正俊とする説が示されていた。
不忍池の巨大白鳥。浅草寺の三重塔、本堂前には抱いた犬に耳を噛まれる人、豪華絢爛な松平伊与守屋敷、向井将藍邸前の船酔い、芝浦海岸の潮干狩り(この辺はタッチが違う)など、細部が舟木本レベルで面白いのだが、この一作を観るのに一時間近くかかって消耗した。画集を買って江戸博のジオラマと見比べたい。
第六扇の浜町の喧嘩で、騒動に驚いた馬の目が黒かった。日本画では馬の白目を描くものが多いので珍しく思った。

2《江戸名所遊楽図屏風 江戸時代 六曲一隻 96.8×268.0 細見美術館》
江戸初期の浅草寺。画面右上に隅田川、左上に柳の植わった梅若塚と木母寺、右下に吉原の賑わい、中央に仁王門(宝蔵門)、その左下に三重塔、現存しない鐘楼も描かれている。境内では太鼓の撥を投げる軽業が行われ、画面下に人形芝居、画面左に歌舞伎、喧嘩をする人々が描かれている。
浅草寺は寛永8年(1631)に燃えて、同12年(1635)に本堂再建がなされた。歌舞伎が禁止されたのが寛永6年(1629)なので、本画が描かれたのは1630年頃ではないかと説明にあった。人物の特徴が1《江戸名所図屏風》とよく似ている。
本図には1《江戸名所図屏風》と同様に、浅草寺のシンボルともいえる五重塔がなく、代わりに三重塔が描かれている。寛永12~19年頃の古境内図には本堂の東側に五重塔、西側に三重塔があったとされている。

3《江戸風俗図屏風 江戸時代 六曲一隻 各 115.5×361.2》
右隻は画面右上に新吉原。右下に縫物屋、織物屋、その左にはネットで区切られた中で蹴鞠をする人々、画面中央に仁王門があり、左方向に浅草寺の境内に続く茶屋が建ち並び、その周りに相撲、馬追、獅子舞が描かれている。左隻は隅田川の舟遊び、芝居小屋と、大名行列が描かれている。

4《◎四季日待図巻 英一蝶 一巻 27.1×762.0
日待ちとは旧暦1・5・9月の特定の日に夜を徹してこもり明かす行事。正月は仕舞と人形芝居。五月は庭に菖蒲が咲き、室内では楊弓、碁、謡い、女舞等が行われている。九月は空に月が登り、白木の箱が置かれた屋敷内で大勢が踊っている。武家の邸内で繰り広げられる日待のさまざまな風俗を描いている。
本画は流刑先の三宅島で描かれたもので、太鼓持ちとしても有名だった一蝶が江戸の華やかな暮らしを思い出しながら描いたとされている。

都市景観図の先例―洛中洛外図と花洛の歳時

5《月次風俗図扇面 室町時代 二面(九面のうち) 各 19.0×48.5》
金が実に美しい扇面図。「御霊会の剣鉾」には木瓜紋の神輿渡御の先導に、赤緑橙白の吹散(旗)をつけたそれぞれの剣鉾4本が高々と掲げられる姿が描かれている。

6《洛中名所図扇面貼付屏風 狩野宗秀 桃山時代 二曲一隻 39.3×154.6》20世紀初めまでは61枚の画帖であったとされている。扇面画2枚が二曲一隻の屏風に貼られていて、一扇目には東寺の五重塔と本堂、二扇目には檜皮葺の祇園社の大政所が描かれている。

7《洛中洛外図屏風 江戸時代 六曲一双 各 151.0×355.0》
室町時代に成立した洛中洛外図は現存するだけで200点を超えるという。うちの多くが17世紀以降のもの。本品は慶長8年(1603)落成の二条城が中心に描かれた典型的な洛中洛外図で、建造物の選択と配置が重要とされ、人物描写は控えめ。特徴的な点としては右隻の右上に伏見城が描かれている。
右隻は画面中央を横切るように鴨川が流れ、右上に伏見城、右下に東寺、中央上に清水寺、中央付近に誓願寺、左上に上賀茂神社の馬追、左端に内裏が描かれている。左隻は画面下方を横切るように堀川通が走り、画面右から鞍馬寺、北野社、歌舞伎小屋、画面中央に二条城、左側に桂川と西本願寺が描かれている。
二条城は場内右寄りに天守が描かれているので寛永3年以前の姿。内裏に向かう南蛮人の行列に霊獣のようなものが描かれている。

8《祇園祭礼図屏風 狩野派 江戸時代 六曲一双 各 159.0×362.6》
右隻には、右上の長刀鉾を先頭に最後の船鉾まで祇園社の山鉾の豪華な行列とそれを見物する人々の賑わいが描かれている。左隻は後祭の山鉾と神輿が描かれている。行列に向かって銭が投げられている。黒川道祐『日次紀事』の六月十四日の記述に「神輿遊行時諸人献散銭於神輿其中所遺途中之散銭神輿昇拾之以是買四条猿屋饅頭帰家興親戚朋友是篤隹例」とある。

9《阿国歌舞伎図屏風 桃山時代 六曲一双 各 147.8×330.2》
慶長8年(1603)に北野社で演じたとされる阿国歌舞伎を描いたもので、画題としては最も古い作例。右隻は屋外で演じる姿、左隻には屋内で舞う阿国が描かれている。画面上部に金雲がかかり画面上下を貫いて松が描かれているため、高所から見下ろした視点で人々が見える。

11《歌舞伎・花鳥図屏風 江戸時代 六曲一双 各 35.3×136.4》
両面屏風形式で裏面に花鳥図が描かれている。右隻に茶屋遊び、左隻に若集歌舞伎を描いた屏風。茶屋遊びとは、男装したお国が茶屋のおかか(女装した男)と戯れる様子を即興的なせりふを組み合わせて、小歌にあわせて踊るもの。

〈悪所〉への近接―遊興空間の演出

一枚の画面に都市の広い範囲を眺望する絵画形式は、やがて局地化され、特定の限られた場所のみが絵画に描かれるようになります。描かれる対象は、おもに江戸時代に「悪所」と呼ばれたふたつの歓楽地、すなわち遊里と芝居町でした。

12《江戸風俗図巻 菱川師宣 江戸時代 二巻 上巻 34.4×423.3、下巻 34.4×419.0》
上巻は海老屋という屋号の扇屋の店先から始まる。幔幕を張り巡らした花見の宴、隅田川での川遊び、輪踊りと続く。下巻は日本堤から吉原の往来へと続く。上巻から下巻にかけて春から冬へと季節が巡る。

14《江戸風俗図巻 宮川長春 江戸時代 一巻 34.4×782.7》
肉筆専門の浮世絵師が手がけた風俗図で、隅田川の川遊びを描いている。金の砂子を用い装飾性の高いものに仕上がっている。

16《◯春秋遊楽図屏風 菱川師平 江戸時代 六曲一双 各 79.1×244.0》
右隻は花見の宴。画面右に寛永寺の仁王門、画面左には屏風や幔幕で場を仕切って輪踊りをす歌舞伎俳優と、それを覗いてはしゃぐ人々が描かれている。左隻は紅葉ある吉原で、画面右から張見世、茶屋と続き画面左に座敷の様子が描かれている。

21《中村座歌舞伎芝居図屏風 奥村政信 享保16年(1731) 六曲一隻 51.6×162.4》
隅切角に銀杏の紋は中村座のもの。当時京橋にあった。入り口に大きく「けいせい福引名護屋」の看板が掲げられている。舞台では歌舞伎が演じられているが、その前では様々な格好の観客達が自由に振る舞っている。子役の小山三と併作が見得を切っている。

都市のなかの美人

23《隅田川眺望図 北尾政美(鍬形蕙斎) 江戸時代 一幅 96.7×36.4》
手前に浅草寺、中景に大川橋、その先に煙の立ち上る今戸の様子、遠景に二つの峰の形が特徴的な筑波山が見える。

25《乗合舟図 鳥文斎栄之 江戸時代 一幅 48.3×103.2》
渡船の上で遊女、武士、僧、猿回しが揺られている。ゆりかもめが水面に浮かぶ。遠景の対岸には桜の咲く堤が見え、馬で駆ける人の姿がある。

27《傾城舟遊図 蹄斎北馬 江戸時代 一幅 52.3×83.2》
横長の画面に不忍池で舟遊びをする遊女を描く。遠景に見えるのは寛永寺、中景が中島弁財天。漢の時代、楽府題に採蓮の曲がある。蓮は「憐」の音に通じる。

28《桟橋美人図 蹄斎北馬 江戸時代 一幅 106.7×42.9》
浅瀬の桟橋に立つ美人。風に煽られた着物の裾を抑える姿で描かれている。濃紺に孔雀が描かれた豪華な帯。赤の着物の麻の葉模様が上に重ねた紫色の着物を透かして見える。胸元に手紙。川の水面に月が映る。

30《真崎稲荷参詣図  歌川豊広 江戸時代 一幅 98.1×38.5》
浅草の北の橋場より上流、隅田川西岸に真崎稲荷と石浜神明宮が並んであった。夏になると納涼を兼ねてそこにお参りするのが流行ったという。本画の中心に描かれた二人も参詣に行く途中であろう。前にいる紗綾型の帯をした女の着物が透けて下の着物の柄を浮かび上がらせている。後ろで手に団扇を持つ女は振袖で親子だろうか。遠景に筑波山が見える。
真崎稲荷は大正時代に石浜神社に併合され、今は石浜神社境内に社が置かれている。

 

あまりに《江戸名所図屏風》の情報量が多く、第一展示室だけで一時間以上かかって消耗しました。さらに、酷暑のせいで薄着していると、空調で冷えてしまったりとなかなか落ち着いて観ることができず、結局、三回の訪問でようやく最後まで観ることができました。
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あまりの疲れで、毎回美術館を出る度に近所で糖分補給していました。

 

出光美術館のロビーからは皇居が望めます。窓枠で風景が仕切られ、まるで屏風絵のようでした。
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本展は9月9日まで。残り一週間です。