開館120周年記念 特別展覧会 国宝@京都国立博物館
大阪から移動して、夜間開館日の京都国立博物館へ向かいました。今年最も注目していた京都国立博物館の国宝展です。
夕方ではありますが、結構な人の流れがありました。それでもロッカーなど不足しているようなことはなく、係員も混雑に慣れた様子。とらリンの姿もありました。
2017年は、日本の法令上「国宝」の語が初めて使用された「古社寺保存法」制定より120年にあたります。当館開館と軌を一にするこの節目の年に、昭和51年(1976)に「日本国宝展」を開催して以来、実に41年ぶりとなる「国宝展」を開催します。古より我々日本人は、外来文化を柔軟に取り入れつつ、独自の美意識によって世界にも類を見ない固有の文化を育んできました。歴史的、芸術的、学術的に特に優れ、稀少である国宝は、何よりも雄弁に我々の歴史や文化を物語る、類い希なる国の宝といえましょう。本展覧会では、絵画・書跡・彫刻・工芸・考古の各分野から、歴史と美を兼ね備えた国宝約200件を大きく4期に分けて展示し、わが国の悠久の歴史と美の精華を顕彰いたします。
以下、気になったものをメモとして残します。見出しは展示室名です。そして、当然のことながら全て国宝◉です。
仏画
1《◉吉祥天像 一幀 奈良時代 8 世紀 奈良・薬師寺》
麻布に描かれた額装仕立て。吉祥天像(きちじょうてんにょ)は両手を胸辺の高さに上げ、左手に如意宝珠を持ち、向かって右向きに表される。福徳豊穣の守護神として崇敬され、この吉祥天女の前で年中の罪業を懺悔し、除災招福を祈る、いわゆる吉祥悔過の本尊として祀られている。光明皇后を写したと伝えられ、麻布に描かれた独立画像としては日本最古の彩色画である。
6《◉釈迦如来像(赤釈迦) 一幅 平安時代 12 世紀 京都・神護寺》
平安仏画のうち釈迦を単独でえがいた唯一の遺品である。7重の蓮台上に結跏趺坐す。天台宗の彩色原理に基づいた赤衣金体の像。黄白色の肉身は流れるような朱線でかたどられ、着衣には白の照暈(ハイライト)と七宝繋ぎの截金文様が施されている。光背も截金の植物紋で実に豪華。上品な顔立ちと温雅な彩色がこのうえなく優婉な情趣をかもし出す、平安仏画の如来画像中の最高作。
7《◉普賢菩薩像 一幅 平安時代 12 世紀 東京国立博物館》
絵画国宝として最初に国宝指定された。舞い落ちる花の下で白い象に乗る普賢菩薩を描いたもの。菩薩は白象の背に置かれた蓮華の台座に坐り、伏目がちに合掌する。白象は鼻で紅蓮華を巻き、頭頂には三化人がいる。菩薩の上部には花の天蓋があり、両側から花々が美しく降り散る。彩色も鮮やかで精緻な截金を施した屈指の名品であり、和様化した平安時代後期の仏画の典型である。
11《◉千手観音像 一幅 平安時代 12 世紀 東京国立博物館》
千手観音は、千の手と千の眼を持ち、生きとし生けるものを救う。11の小面と頭に阿弥陀如来の化仏を置き、錫杖と三鈷戟持ち、掌に眼があるとされる大きな42の手と、無数の小さい手が描かれている。両脇に天女姿の功徳天(吉祥天)と鹿の皮に乗った婆藪仙が従う三尊形式である。
精緻な截金の表現が実に美しく、見惚れてしまう。
13《◉阿弥陀二十五菩薩来迎図(早来迎) 一幅 鎌倉時代 14 世紀 京都・知恩院》
右下隈に描かれている往生者を迎えるため、阿弥陀如来と二十五菩薩が山越しに飛雲に乗って降下するさまを描いた来迎図で、「早来迎」の異名をもつ。その迅速な来迎の動感を表す飛雲の描写や、肉身・着衣ともに金色とした諸尊の表現には、鎌倉後期仏画の特色が表れている。右上には宝楼閣が現れ、往生の階梯の最上位である上品上生図を意図している。
およそ150センチ四方の大画面に対角線上に来迎の様子が描かれているのが、実に迫力がある。きらびやかで細密な書き込みに信仰心を感じる。
六道と地獄
14《◉六道絵のうち(1)閻魔王庁図(2)等活地獄図(5)人道不浄相図(8)譬喩経説話図 十五幅のうち八幅 鎌倉時代 13 世紀 滋賀・聖衆来迎寺》
六道絵は源信の『往生要集』に説く六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天)のありさまを絵画化したもの。今期では三幅が展示されている。人道不浄相図は九相図を表したもので、四季の花々で時間の経過が表されている。
27《◉地獄草紙 一巻 平安~鎌倉時代 12 世紀 奈良国立博物館》
『起世経』の地獄品(じごくほん)には、八大地獄(活・黒繩・習合・叫喚・大叫喚。熱悩・大熱悩・阿毘至)の各々に十六小地獄(黒雲沙・糞屎泥・五叉・飢餓・燋渇・膿血・一銅釜・多銅釜・鉄鎧・函量・鶏・灰河・斫截・剣葉・狐狼・寒氷)が付属し、罪人は八大地獄と各付属を順に逃げ回り苦痛を受け続けると説かれている。本作品の詞書には、「また所別あり」と、屎糞所・函量所・鉄磑所・鶏地獄・黒雲沙・膿血所の各小地獄が表されている。展示されていたのは、屎糞所から狐狼地獄の部分。
30《◉病草紙 二形・眼病治療・歯槽膿漏 九巻のうち三巻 平安~鎌倉時代 12 世紀 京都国立博物館》
病草紙は、いろいろな病気や奇形に関する話を描いた絵巻。展示されていたのは「二形」「眼病」「歯槽膿漏」の三巻。
絵巻物
17《◉絵因果経 一巻 奈良時代 8 世紀 東京藝術大学》
仏伝経典『過去現在因果経』の写本の一種で、巻子本の下段に経文を書写し、上段に経文の内容を説明した絵画を描いたもの。本品は巻第四下であり、全8巻のうちの最後にあたる。
31《◉信貴山縁起絵巻 山崎長者巻 三巻 平安時代 12 世紀 奈良・朝護孫子寺》
日本三大絵巻の一つ。毘沙門天王の聖地として聖徳太子により創建されたと伝えられる信貴山朝護孫子寺の縁起を描いたもの。展示されていたのは飛倉の巻で、鉢が空を飛び米俵が舞い上がる摩訶不思議な話。
32《◉粉河寺縁起絵巻 一巻 平安時代 12 世紀 和歌山・粉河寺》
紀伊の観音霊場粉河寺の本尊にまつわる縁起を描くもの。豊臣秀吉の根来寺焼き討ちにより罹災したと思われ、全体にわたって上下に焼損がある。
34《◉一遍聖絵 巻八 円伊筆 十二巻のうち二巻 鎌倉時代 正安元年(1299) 神奈川・清浄光寺(遊行寺)》
時宗を興した開祖一遍上人が、独自の踊念仏という信仰を生み出し、全国を遊行して貴賤を問わず広く念仏を勧め、民衆の布教に努めた一遍の活動を忠実に記録したもの。一遍死後10年に、一遍が遊行した足跡を再確認しつつ、記録を基に、聖戒が一遍に同行した時衆と共に再踏破した後に書かれた物であり、資料的価値が高い。五彩に染めた絹布を料紙に、当時の能書家4人の筆で書きつづられている。
中世
47《◉秋冬山水図 雪舟筆 二幅 室町時代 15 世紀 東京国立博物館》
48《◉四季山水図巻(山水長巻)前半部分 雪舟筆 一巻 室町時代 文明 18 年(1486) 山口・毛利博物館》
全長10メートルを超える長大な画面に四季の景観を展開させたもの。毛利博物館に伝わる「山水長巻」に対し、俗に「山水小巻」と呼ばれる。
49《◉破墨山水図 雪舟筆 雪舟自序・月翁周鏡等六僧賛 一幅 室町時代 明応 4 年(1495) 東京国立博物館》
京都相国寺の塔頭慈照院に伝来し、江戸時代前半からすでに広く知られた作品で、現在も雪舟等楊の基準作に位置づけられる。この山水図は、潑墨という輪郭線を用いず墨をはね散らす粗放な画法によって描かれているが、雪舟が自賛で明で「破墨の法」を学んだと述べているのでこの名がある。
50《◉慧可断臂図 雪舟筆 一幅 室町時代 明応 5 年(1496) 愛知・斉年寺》
禅宗の初祖・達磨が少林寺において面壁座禅中、慧可という僧が彼に参禅を請うたが許されず、自ら左腕を切り落として決意のほどを示したところ、ようやく入門を許されたという有名な禅機の一場面である。
51《◉天橋立図 雪舟筆 一幅 室町時代 16 世紀 京都国立博物館》
日本三景の一つ、丹後天の橋立を東側から鳥瞰的にとらえた図で、画面に作者を明示する落款の類はないものの、全体の筆法や構図や図中地名の書体などから雪舟筆とみなされている。この図が実際の景観に基づいて描かれているのは確かだが、このように見える場所も実際は存在しない。
近世
56《◉楓図壁貼付 長谷川等伯筆 六面のうち四面 桃山時代 16 世紀 京都・智積院》
紙本金地著色の四面の障壁画。巨大な楓の周りに紅葉、木犀、鶏頭、萩、菊などの花が咲き乱れる。息子久蔵の死という悲痛な思いを乗り越えた力強さと、落ち着いた秋の雅が感じられる等伯五十五歳の時の作品。
59《◉高雄観楓図屏風 狩野秀頼筆 六曲一隻 室町~桃山時代 16 世紀 東京国立博物館》
洛北高雄は古来から紅葉の名所として名高い。清滝川のほとりで思い思いに紅葉狩を楽しむ人々の姿が描かれている。遠くの雲間には神護寺の伽藍や雪の愛宕社を望める。画中の印から、狩野元信の次男秀頼の筆とされるが、孫で同名の秀頼とする説もある。
61《◉風神雷神図屏風 俵屋宗達筆 二曲一双 江戸時代 17 世紀 京都・建仁寺》
款記も印章もないが、俵屋宗達であることを疑う人はいない。宗達の最高傑作であり、光琳、抱一、其一ら琳派伝統のモチーフとして模写している。
本作を直に観たかったので京都まで行きました。長年の望みが叶って満足です。画像では何度も見ていますが、実に存在感のある作品です。余計なものを削ぎ落とし、金の輝きで風神と雷神の姿際立たせ、見る人の想像力によって無限に広がる空間を表現する。なぜこうも意匠性高いものを生み出せたのかと、驚くばかりです。
そして、前々から気になっていたこと。光琳作、抱一作に共通して雷神の右足は親指以外の爪がみえません。左足は尖った爪が五本描かれているので、本来は尖った爪が描かれていて当然なのにです。
宗達のも右足の爪は親指以外描いていませんが、それは黒雲にかき消されて爪が見えないという表現でした。謎が解けてすっきりしました。
中国
71《◉瀟湘臥遊図巻 李氏筆 一巻 中国・南宋時代 12 世紀 東京国立博物館》
清の乾隆帝が愛蔵した四名巻の一つで、景勝の地として名高い瀟湘の山川をきわめて微妙な水墨の濃淡により大観的に見事に描いている。各地を行脚したが、瀟湘のみは訪れなかったことを心残りとした雲谷禅師という禅僧のために描かれたもの。
75《◉紅白芙蓉図 李迪筆 二幅 中国・南宋時代 慶元 3 年(1197) 東京国立博物館》
80《◉六祖挟担図 直翁筆 偃溪広聞賛 一幅 中国・南宋時代 13 世紀 東京・大東急記念文庫》
斧をくくりつけた棒を担いで歩く男が描かれている。六祖とは中国禅宗(南宗)第六祖のことで、大鑑禅師慧能を指す。薪を売って母親を養っていたが、町で読誦を聞いて出家を思い立ったという。少ない筆数で描いた、いわゆる魍魎画と呼ばれるもの。
81《◉宮女図(伝桓野王図) 一幅 中国・元時代 13 ~ 14 世紀》
男性官人の着装をし腰に笛を差した女人が、両手の指を眺めている。その仕草は、透明な笛を吹いているようにも見える。
84《◉禅機図断簡(寒山拾得図) 因陀羅筆 楚石梵琦賛 一幅 中国・元時代 14 世紀 東京国立博物館》
禅機図とは、禅宗にかかわる逸話を主題としたもので、本図は、豊干禅師はいずこにと尋ねられて、無言のまま答えず大笑する寒山と拾得を描く。顔を細緻に、衣服を粗い筆で表現する水墨人物画の伝統に従った手法をとるが、さらに因陀羅独自のものに簡略化されている。
114《◉飛青磁花入 一口 中国・元時代 14 世紀 大阪市立東洋陶磁美術館》
釉上に鉄斑を散らした青磁を日本では飛青磁と呼び、茶人らが重宝してきた。本品はその中でも釉色、鉄斑の現れ方がともに優れている。鴻池家伝来品。
彫刻
85《◉四天王立像のうち広目天立像 一軀 飛鳥時代 7 世紀 奈良・法隆寺》
楠の一本造。木造四天王立像のうちの一体で、西方を守る広目天。四天王は甲冑で身を固め、剣や鉾などの武器を持つが、広目天だけは、右手に筆、左手に巻物を持つ。広目天に踏まれる邪鬼の姿が面白くて目を惹かれた。
86《◉銅板法華説相図 一面 飛鳥~奈良時代7 ~ 8 世紀 奈良・長谷寺》
縦80センチを超える大型の銅板表面に『法華経』の見宝塔品に説かれる宝塔出現の光景が浮き彫りで図相化されている。
88《◉虚空蔵菩薩立像 一軀 平安時代 9 世紀 京都・醍醐寺》
檀像と呼ばれる、白檀材を用いたインド起源の仏像のつくり方を、白檀を産しない中国や日本において翻案したもので榧材の一本造りの小像。複雑に交錯する衣のひだを克明に表出する彫技が見事。
89《◉薬師如来坐像 一軀 平安時代 9 世紀 奈良国立博物館》
本像は、両手首先と螺髪を除き、台座の蓮肉部までを含む大半を榧と思われる一材から彫成し、内刳りをしていない。このような構造は、奈良時代後期から平安時代初期の彫像の特色である。
90《◉八幡三神坐像のうち僧形八幡神坐像・神功皇后坐像 二軀 平安時代 9 世紀 奈良・薬師寺》
どちらも40センチに満たない小像で一木彫の彩色像。僧形八幡神を中心にし、向かって右に神功皇后、向かって左に仲津姫命を配した三神一具の像として安置されている。木彫神像として最古の作例に属す。
雛人形のように素朴な雰囲気がある。
91《◉兜跋毘沙門天立像 一軀 中国・唐時代 9 世紀 京都・教王護国寺(東寺)》
四天王のうち北を守る多聞天は、独尊では毘沙門天と呼ばれて信仰され、地天女の両手に支えられて立ち、二鬼(尼藍婆、毘藍婆)を従える姿で表された特殊な像で表される。この兜跋毘沙門天像は、かつて羅城門の楼上に安置されていたという。
95《◉四天王立像のうち多聞天立像 一軀 平安時代 11 ~ 12 世紀 京都・浄瑠璃寺》
染織
121《◉天寿国繡帳 一面 飛鳥時代 7 世紀 奈良・中宮寺》
聖徳太子が往生した天寿国のありさまを刺繍で表したもので、天寿国とは阿弥陀如来の住する西方極楽浄土を指す。飛鳥時代の染織工芸、絵画、服装、仏教信仰などを知るうえで貴重な遺品。
漆工
131《◉宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱 一合 平安時代 延喜19 年(919) 京都・仁和寺》
弘法大師空海が、唐で書き留め持ち帰った『三十帖冊子』を納めるために製作された箱。黒漆塗に金銀粉を淡く蒔いた地に、宝相華、瑞雲、鳥、蝶に迦陵頻伽を金・銀の研出蒔絵で配している。迦陵頻伽はそれぞれに笛や太鼓などの楽器を持つ。
書跡
160《◉古今和歌集 巻第十二残巻(本阿弥切本) 一巻 平安時代 11 世紀 京都国立博物館》
料紙は夾竹桃文様の雲母箔摺胡粉地唐紙8枚を継いだもの。古来、小野道風の筆蹟といわれ料紙の美しさと相俟って「名物切第一の切なり」といわれ特に尊重愛好されてきた。本阿弥光悦が所持していたとの伝承から本阿弥切と呼ばれている。
考古
188《◉深鉢形土器(火焔型土器)No.1・No.6 二個 縄文時代 前 3500 ~前 2500年新潟・十日町市(十日町市博物館保管)》
新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器として笹山遺跡から出土した57点が全て国宝指定されている。うち火焔型土器が14点含まれる。指定番号1の火焔型土器は「縄文雪炎」と呼ばれている。
本品を観るのは二度目ですが、やはり迫力があります。かっこいい。
189《◉土偶(縄文のビーナス) 一個 縄文時代 前 3000 ~前 2000 年長野・茅野市(茅野市尖石縄文考古館保管)》
棚畑遺跡から出土。高さは27センチ、妊婦を象って下腹部や臀部が突出した下半身に重心のある体型。頭頂部は平らで渦巻きがある。
お尻がやけに魅力的なフォルムをしています。
190《◉土偶(縄文の女神) 一個 縄文時代 前 3000 ~前 2000 年 山形県(山形県立博物館保管》
舟形町西ノ前遺跡から出土。高さは45センチで、現存する完形土偶の中で最も大きい。均整のとれた八頭身の美しい形をしている。
191《◉土偶(仮面の女神) 一個 縄文時代 前 2000 ~前 1000 年 長野・茅野市茅野市尖石縄文考古館保管)》
中ッ原遺跡から出土。高さは34センチで、顔に逆三角形の仮面をつけた姿をしている。体には渦巻きや同心円、たすきを掛けたような文様がある。足が太く丸く下半身に重心のある体型。
192《◉金銀錯狩猟文鏡 一面 中国・戦国時代 前 4 ~前 3 世紀 東京・永青文庫》
30センチ近い銅鏡で、1928年に中国・河南省洛陽市で発見された。金銀象嵌で、渦巻文や闘争文や鳳凰文が描かれている。細川護立氏の収集品を代表する作品で「細川ミラー」と称されている。
197《◉袈裟襷文銅鐸 一個 弥生時代 前 2 ~前 1 世紀 東京国立博物館》
浮き上がった線で鋸歯文、連続渦巻文、綾杉文が表されているほか、身の表裏は斜格子文の帯でそれぞれ6区に分けられている。片面に上段からトンボ、イモリ、シカを射る人、工字型の道具を持つ人、高床切妻の建物、竪杵で臼をつく人が、もう片面にカマキリ、クモ、魚を食べるスッポン、魚をくわえたサギ、スッポンとトカゲ、イノシシを狩る人とイヌが描かれ、男性の頭は丸、女性は三角で描き分けられている。
206《◉伝菅公遺品 一括のうち 中国・唐または平安時代 9 世紀 大阪・道明寺天満宮》
玳瑁装牙櫛、高士弾琴鏡、牙笏(象牙)、銀装革帯、犀角柄刀子、青白磁円硯。
宗達《風神雷神図屏風》を見たくて京都まで行ってしまいました。他の展覧会で目にしていたものが多かったので、当初遠征するかどうか悩みましたが、結果として行ってよかった。
《風神雷神図屏風》がよかったのはもちろんですが、1《吉祥天女像》や91《兜跋毘沙門天立像》は特に深く印象に残りました。31《信貴山縁起絵巻》は見るのがとにかく楽しくて声を立てて笑いそうになりましたし、189《縄文のビーナス》と190《縄文の女神》はその造形に見惚れました。
今回の展覧会は豪華絢爛なこともあって、子供の姿がいつもより多く感じられました。騒ぐような様子は一切なく、美術への感心が高いご家族連れが多そうに思いました。時間が遅かったことも関係あるかもしれません。
本当は11月にもう一度国宝展に行こうかと思っていましたが、今回連休中に京都を巡って、交通ラッシュや飲食店不足など京都市内が観光客でオーバーフローしているのを痛いほど味わったので、紅葉シーズンでますます観光客が多くなることを考えると恐ろしくて、再訪は諦めました。別の時期なら二度三度行ったかもしれないくらい、見ごたえのある展覧会でした。
大阪、京都と移動し、二つの大きな展覧会を見終わって、体力も精神力も使い果たしたためか、辛くて熱量高いものを欲しました。
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