洲崎神社

2024年5月3日

安房神社に行った際、江戸時代には安房国一宮とされた洲崎神社にも行きました。うちの近所に洲崎神社を祀っているところがあるので、一度は行かねばと思っていました。

一の鳥居(浜鳥居)と神石

海側に浜鳥居がある。この土地は東京湾の海上交通の要衝であることから、古くから航海安全を祈願されてきた。

神石は、竜宮から洲崎大明神に奉納された2つの石とされ、もう1つは対岸の三浦半島にある安房口神社に祀られ、阿石吽石とされて東京湾を守っている。

二の鳥居

浜鳥居から向かうと、御手洗山中腹にある本殿が堂々としている。

一の鳥居

洲崎神社は海に向かって西向きに参道がある。

由緒

洲崎神社

式内大社 洲崎神社

祭神 天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)
  当社は延喜式神名帳に「后神天比理乃咩命神社 大元名洲神」と記され、天太玉命(あめのふとたまのみこと)の后神(きさきかみ)を祀る式内大社で、元の名を洲神(すのさきかみ)と称した。

由緒
  当社は宝暦三年(一七五三)の「洲崎大明神由緒旧記」によると、神武天皇の御宇、天冨命(あめのとみのみこと)が御祖母神天比理乃咩命の奉持された御神鏡を神霊として、洲辺(すさきべ)の美多良洲(みたらし)山に祀られたことに始まる。
鎌倉時代の治承四年(一一八〇)安房に逃れた源頼朝が、戦勝と源氏再興を祈念して神田を寄進、後、妻政子の安産を祈願している。
室町時代には江戸城を築いた太田道灌が、江戸の鎮守として明神の分霊を勧請したと伝えている。房総里見氏も当社を尊崇して、七代義弘が神領五石を寄進し、江戸幕府もこれに倣って朱印状を下した。
幕末の文化九年(一八一二)房総沿岸警備を巡視した老中松平定信は「安房国一宮洲崎大明神」の扁額を奉納している。
神位は平安時代に正一位、鎌倉時代に元寇戦勝祈願の功により勲二等に叙せられ、明治六年(一八七三)県社に列せられた。往時、別当寺は養老寺など五ヶ寺を数えた。洲崎明神は古来伝承されている数々のあらたかな霊験から、安産・航海安全・豊漁・五穀豊穣や厄除開運の守護神として信仰が厚く、現在に及んでいる。

祭事
祭礼は二月の初午と八月二十日・二十一日の例大祭があり、共に文化庁選択記録保存・県指定無形民俗文化財の洲崎踊り(鹿島踊りと弥勒踊り)が奉納される。八月の例大祭には勇壮な神輿の渡御や浜祈祷も行われる。

文化財その他
社宝である養老元年(七一七)万治二年(一六五九)宝暦三年の各縁起や御神休髪などのほか、江戸時代延宝年間の改築とされる神社本殿は、共に市指定有形文化財であり、神社の鎮座する御手洗山(みたらしやま)は洲崎神社自然林として県指定天然記念物となっている。また随神門は宝永年間の造営、矢大神・左大神像は明治三年の作とされている。

  平成元年八月
      館山市文化財審議会委員   君塚文雄誌

洲崎神社境内 案内板

社務所

随神門

随身門は江戸中期、宝永年間の造営。

随神門から本殿に向かって150段の階段が続く。下りのことを考えて、杖を持って上がる。

本殿

拝殿は銅板葺き切妻屋根に向拝がある。幣殿に朱塗りの本殿が続く。本殿は銅板葺の三間社流造で江戸前期の造営とされ、館山市指定有形文化財に指定されている。

霊峰富士遥拝所

本殿の北西に富士山が展望できる場所がある。

この日は残念ながら霞んでいた。