禅-心をかたちに-(後期)@東京国立博物館 平成館

上野の木々もだいぶ染まりました。f:id:Melonpankuma:20161115171641j:plain

大きな展示替えがあったので、二度目の禅展です。

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気になったものを以下に示します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

第1章 禅宗の成立

 8《 芦葉達磨図 一山一寧賛 1幅 鎌倉時代 14世紀》

達磨が葦に乗って長江を渡る様子を描いたもの。うっすらと頭光、手には錫杖。脚に乗せた右足が軽ろやか。かなり褪せてしまっていて左足は見えなかった。衣のなびき方からしてなかなかの速さで進んでいる模様。

 

12《◎ 釈迦三尊三十祖像 吉山明兆筆 7幅 室町時代 応永33 年(1426)》

7幅のうち、中央の画は拈華微笑(ねんげみしょう)を表したもので、釈尊が黙って華を拈(ひね)ったところ、他は意味を理解できなかったが迦葉尊者だけが破顔微笑したため、迦葉に禅の法門を伝えたという逸話。達磨大師は赤い衣、祖慧は胸元を広げている。

 

13《◉ 慧可断臂図 雪舟等楊筆 1幅 室町時代 明応5 年(1496)》

入場してすぐの部屋に掲げられた2メートル近い大きな画。達磨に入門を請うたが許されず、僧の神光(後の慧可)が自身の左腕を切り落として決意を見せた逸話によるもの。慧可は禅宗の第二祖となる。

切り落とされた腕の生々しさと慧可の表情がとても印象深い。朱が入っているのは腕の切断面だけではなく唇や目にも。決意で興奮しているのか痛みを堪えているのか。

 

18《◎ 旧大仙院方丈障壁画のうち禅宗祖師図 狩野元信筆 6 幅 室町時代 永正10 年(1513)

後期は大2幅を展示。徳山托鉢、大満送大智、香厳智閑を描いている。

 

22《臨済義玄像 1幅 室町時代 15世紀》

大きな目は前期で見た怒目憤拳(どもくふんけん)のものとは違って表情は比較的柔らか。しかし、右手はしっかりと握りこぶしを作っている。右手を覆う左手の形がなんだかおかしい。

 

24《◎ 達磨・臨済・徳山像 伝曾我蛇足筆 3 幅 室町時代 15世紀》

中央に菩提達磨の胸像。左に怒目憤拳の臨在義玄、右に徳山宣鑑(とくざんせんがん)。徳山は修行僧を三尺の棒で激しく打ったといわれる。徳山の棒は臨在の渇と並んで有名なんだとか。臨済と違って表情がない分容赦なく打ち込みそう。

 

第2章 臨済宗の導入と展開

43《明庵栄西像 一庵一麟賛 1幅 室町時代 応永14 年(1407)》

京都最古の禅寺、建仁寺の開山。喫茶の習慣を伝えたことでも知られる。頭頂部が平らで鉢が張っている。頭が異様に四角いのが特徴だとか。

 

47《◎ 円爾岩上像 伝吉山明兆筆 1幅 室町時代 15世紀》

前期展示では大きな画で描かれていたのが印象的だったが、こちらは小さい。屋外で岩に腰掛け、脚を投げ出してくつろいでいる肖像画。

 

48《◉ 無準師範像 自賛 1幅 中国・南宋時代 嘉煕 2 年(1238)》

中国・南宋時代の臨済宗の禅僧。書、絵画に通じ、弟子に牧谿がいる。色鮮やかで豪華な画。穏やかな表情。裏箔を使うなどして豪華な衣が緻密に書き込まれている。環が金細工。

 

51《直綴 白雲慧暁所用 1領 鎌倉時代 13世紀》

南栄、元、 日本の布地79片を合わせて作られた黒い直綴。直綴(じきとつ)とは袈裟のすぐ下に着ける僧衣のこと。

 

69《◎ 無関普門像 後柏原天皇賛 1幅 室町時代 文亀元年(1501)》

亀山院の離宮で無関普門がお化け退治をして、そこに南禅寺を開いたという由来書がある。頭の鉢が張り、耳がとても大きく、目にも特徴がある個性的な容貌をよく表している。

 

72《亀山法皇像 狩野探幽筆 1幅 江戸時代 17世紀》

金泥をふんだんに使った豪華な画。衣の模様がまるでスクリーントーンを使ったかのように全て正面を向いている。

こういうキュビズム的な写実性無視して絵師が見せたいものを見せたい角度で描くやりかたは、日本画のおもしろいところで大好きです。

 

88《◎ 宗峰妙超像 自賛 1幅 鎌倉時代 元徳 2 年(1330)》

大燈国師。体を斜めに座っているが目線は正面を向く、当時には珍しい肖像画。法衣の雲鶴模様に目が行く。

 

93《◎ 南浦紹明像 自賛 1幅 鎌倉時代 正応元年(1288)》

絵の具が剥がれ修正前の画が出てきているようで顔が二重に見える。元画の方が顔が大きい。96と顔以外の構図が一致する。

 

96《◎ 虚堂智愚像 自賛 1幅 中国・南宋時代 咸淳元年(1265)》

虚堂智愚(きどうちぐ)は、南宋の臨済宗の僧で南浦紹明の師。虚堂智愚が書いた墨跡は、南浦紹明と関わりの深い大徳寺が茶道と結びついたことから、特に珍重されるようになった(⇒破れ虚堂

 

103《◎ 夢窓疎石像 自賛 無等周位筆 1幅 南北朝時代 14世紀》

南北朝時代の禅宗界を代表する名僧。無等周位は夢窓疎石の弟子。非常に写実性の高い頂相。もみ上げの白髪がやけに生々しい。

 

79《◎ 孤峰覚明像 抜隊得勝賛 1幅 南北朝時代 至徳 3 年(1386)》

三光国師。鎌倉から南北朝時代の臨済宗の僧。照顧脚下は覚明の言葉といわれている。曲禄にかけられた白い法衣に金の円文が目を引く。穏やかな表情が人柄を表す。

 

124《◎ 足利義満像 伝飛鳥井雅縁賛 1幅 室町時代 15世紀》

ベージュと金色の法衣姿で背景が茶色と全体的に渋い色合い。畳の飾り縁が繧繝縁。賛は三色に分けられていて義満自詠の三首の和歌が書かれている。

 

136《◎ 一休宗純像 自賛 1幅 室町時代 15世紀》

 体は斜めにしているが目線は正面を見据え、右足を組み左足を伸ばす珍しい姿勢の頂相。沓床が赤く目を引く。

そういえば、説明についていた写真は槇原敬之さんに似た東博所蔵の一休和尚像でしたが、この禅展には展示されないようですね。

 

143《隠元騎獅像 自賛 喜多道矩筆 1幅 江戸時代 17世紀》

こんな頂相もありですか。鼻の赤い隠元禅師が好々爺然として緑のたてがみの獅子に座っています。しかも裸足だし。獅子の顔もかわいらしい。脚の短そうな体躯がまたよい。頂相の中で一番気に入りました。

萬福寺には、開創三百五十年記念事業の一環として、この画を元に製作した彫刻があります。写真で見ましたが、とてもかわいらしくできていました。

 

第3章 戦国武将と近世の高僧

168《織田信長像 伝狩野永徳筆 1幅 安土桃山時代 16世紀》

垂纓冠に黒袍(くろほう)姿で佩刀し笏を持つ。単の襟元と指貫の裾に赤い布が見える。前期展示の167よりも表情が柔らかい。

 

171《策彦周良像 徳雲山人賛 1幅 <絵>中国・明時代 喜靖19年(1540)<賛>室町時代 天文13年(1544)》

前期展示の170と同じトーンの画で、こちらは日本の禅僧の装い。明の寧波で作られたもの。

コスプレしていないものも作ったんですね。

 

174《◎ 豊臣秀吉像 西笑承兌賛 狩野光信筆 1幅 安土桃山時代 慶長 4 年(1599)》

畳縁が絢爛。秀吉の没後に豊国大明神として神格化された姿を描いたもの。背景に山水画の屏風。裏箔の御簾。屏風の裏に刀が置かれている。秀吉、晩年の栄華がしつこいほどに盛り込まれている。異様に手が小さいのは、狩野光信の画の特徴。

 

185《雲居希膺崖上安息図 雲居希膺賛 1幅 江戸時代 17世紀》

瑞巌寺の中興開山である雲居希膺(うんごきよう)は、白隠と並んで、わかりやすく禅を民衆に広めようとした功績で知られている。雲居が二口峠(ふたくちとうげ)で野宿した際に熊が現れたが、手にした払子で熊を追い払ったという自身の話を画にしたもの。禅の力は熊をも追い払う。

この題材の画が何作も残されているが、描かれている熊がどれも小熊のよう。あえて話を大きくしないところも人柄でしょう。

 

186《雲居希膺像 徹宗宗源賛 左京亮勝綱筆 1幅 江戸時代 万治3 年(1660)》

曲録に法衣が掛かっていないので椅子の背もたれが曲線でないことに、まず目が行く。表具に猪模様、その下に花びらが歪な十六菊文。

 

192《円相像 沢庵宗彭筆 自賛 1幅 江戸時代 正保 2 年(1645)》

漬物に名前を残す沢庵和尚。大徳寺の寺持となるが、名利を嫌い三日で去ったという。紫衣事件で流罪となるが、後に赦免されて江戸で家光に近侍する。

頂相の代わりに絵師に完全な円相を描かせ、そこにちょんと一点を入れ「円相が一切世界を包み込み、その中に生きる衆生の粟粒のような小ささを説く」とした。

 

196《隻手布袋図 白隠慧鶴筆 1幅 江戸時代 明和 3 年(1766)》

袋に乗った布袋の図。片手を挙げているのは、白隠の公案、隻手音声(両手を叩けば音がするが、隻手ではどんな音がするか聞き届けよ)を表している。布袋が右を向いているので、賛は右から読む。署名が「さる所乃八十二才乃おやぢ」。

 

200《慧可断臂図 白隠慧鶴筆 1幅 江戸時代 18世紀》

近年、大分県の見星寺で発見されたもので、本展が初公開。左腕を切り落とす前の慧可は決意で興奮してか、頭が凸凹している。達磨は円相の中に描かれていて背景に不明な建物と解釈が待たれる謎が多い。

 

203《乞食大燈像 白隠慧鶴筆 1幅 江戸時代 18世紀》

これだけはみ出すなら、下書きしなきゃいいのにね。

 

209《円相図 白隠慧鶴筆 1幅 江戸時代 18世紀》

淡い墨がにじみ、面白い模様が出ている円相。かなりゆっくりした筆遣い。山下先生と山口晃氏のトークイベントで解説があったので、面白く見られた。賛が「遠州浜松良い茶の出どこ娘やりたや伊予茶を摘みに」。

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215《鶴亀図 僊厓義梵筆 1幅 江戸時代 19世紀》

何枚も継いで大きな紙にしている。亀の顔がよい。賛に私の画は戯れ者のようなものなので人が見て笑ってくれるのを愛するとの意味が書かれている。

 

216《花見図 僊厓義梵筆 1幅 江戸時代 19 世紀》

絵の前で思わず吹き出しました。仙厓さんは、やはり面白い。出光美術館で見た花見図とはまた別のものですが「楽しみは花の下より鼻の下」と笑い所は同じです。 

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第4章 禅の仏たち

225《◎ 五百羅漢像 林庭珪・周季常筆 82幅のうち4幅 中国・南宋時代 淳熙5 ~15 年(1178 ~ 88)》

画を見たり、縫い物をするのに針に糸を通したり、力自慢に岩を片手で持ち上げてみたりする羅漢達の日常の姿が描かれる。

 

228《◎ 十六羅漢像 蔡山筆 16 幅のうち6 幅 中国・元時代 14世紀》

異国的な顔。一見写実的だが、よく見るとやたらと腕が長かったりとバランスがおかしく、人間ではないのだと気づかされる。

 

232《◎ 達磨・蝦蟇・鉄拐図 吉山明兆筆 3 幅 室町時代 15世紀》

鉄拐は道教の八仙人のひとり。魂抜けをしている間に体を焼かれてしまい、代わりに脚の不自由な物乞いの死体を見つけて蘇ったため、画にも杖が描かれている。息を吐いて分身を生み出せる。

蝦蟇も中国の仙人で、三本足の蟾蜍の霊獣青蛙神(せいあじん)を引き連れ、手に桃の花を持ち、妖術を使う。ヒキガエルの3本の内訳は前足が2本で後足が1本。後足はお玉杓子の尾のように中央に付いている。

鉄拐も蝦蟇も、南宋の宮廷画家、顔輝が描いた蝦蟇鉄拐図(京博所蔵)が元になっている。

 

236《牧牛図 一山一寧賛 1幅 鎌倉時代 延慶3 年(1310)》

237で詳しいが、牧牛(ぼくぎゅう)で牛を手なずける場面の画。毛が渦を巻き息巻いている雄牛の手綱を、破顔の童が引いている。

 

237《十牛図巻 伝周文筆 1巻 室町時代 15世紀》

十牛図は、禅の悟りにいたる道筋を牛を主題とした十枚の円相中に表したもの。1尋牛、2見跡、3見牛、4得牛、5放牛、6騎牛帰家、7忘牛存人、8人牛倶忘、9返本還源、10入鄽垂手と、牛を人の心に例えて悟りを開く過程が描かれている。

 

第5章 禅文化の広がり

276《唐物文琳茶入 銘「玉垣文琳」 1口 中国・南宋時代 12 ~13世紀》

大名物のひとつ。文淋とはリンゴの意味。大坂城落城で破損したが、修復されて徳川家に伝わった。

大きさからして姫リンゴ。ところどころ歪なのが面白いです。

 

244《◉ 山水図 李唐筆 2幅 中国・南宋時代 12世紀》

中国、宋代の画家で細密な山水画を得意とする。南宋画院体山水画の形成に大きな役割を果たした。

右の渓流が秋景で左の滝が冬景で2幅をあわせるとつながる構図。

 

247《◎ 芙蓉図(附千利休添文) 伝牧谿筆 1幅 中国・南宋時代 13世紀》

薄墨でぼかして花びらの柔らかさを表し、濃墨で葉を描き、筆先の鋭い線で枝や葉脈を描いている。

先日、山種美術館で速水御舟の芙蓉を見たばかりだったので、ハッとしました。

 

283《◎ 布袋図 月江正印賛 黙庵霊淵筆 1幅 南北朝時代 14世紀》

「牧谿の再来」と評された黙庵の画。杖に刺した袋を担いだ布袋の画。

にこやかな表情。柔らかい筆遣いがすばらしい。

 

288《◉ 瓢鮎図 大岳周崇等三十一僧賛 大巧如拙筆 1幅 室町時代 15世紀》

如拙は、南北朝時代から室町時代中期の画僧。雪舟に祖と仰がれ、狩野派や長谷川等伯などによって日本における漢画(唐絵)の祖としての地位を与えられた。

靄にかすむ風景で遠くに山。近景のよどみのある水辺で、髭のある顔の小さな男が瓢箪を手にして鯰を取ろうとしている。画の上半分は31人の僧の賛で覆われている。画題は室町幕府の第四代将軍の足利義持の「瓢箪で鯰をおさえとることができるか」。

いかにも無理そうな難題に取り組む男の神妙な顔と体の固さ、手元の危うさがおもしろい。

 

294《◎ 呂洞賓図 雪村周継筆 1幅 室町時代 16世紀》

呂洞賓は道教八仙の一人。黄粱の夢に似たエピソードや十の試練を乗り越える話など、様々な逸話がある。

呂洞賓の頭上と足元にそれぞれ二頭の龍。呂洞賓の左手の瓶から出る煙がさらに二頭の龍になりつつある。右手には瓶の蓋。呂洞賓の髭や衣の裾や紐が上方になびいていることから、強い風が体から吹き出ている様子が伺える。

禅展の再訪はこれが一番の目当て。かっこよかった。

 

299《◎ 大仙院方丈障壁画のうち四季花鳥図 狩野元信筆 8 幅 室町時代 永正10 年(1513)》

狩野元信は狩野派の二代目で組織基盤を作った人物。それまで依頼主から馬遠様、牧谿様、画様で注文を受けていたのを真体、行体、草体と画体で整理した。四季花鳥図は、馬遠様の真体画である。屏風は右から春夏秋冬と四季が移る。幹が曲がる大きな松が描かれた瀑布の夏景。松の枝に三羽小鳥が並ぶ。左の小鳥が脚で虫を押さえている。

 

301《◎ 竹林猿猴図屛風 長谷川等伯筆 6曲1双 安土桃山時代 16世紀》

ニホンザルではなく明らかにテナガザル。どうやら牧谿の猿を元にしたらしい。右隻には木にぶら下がる親子の3頭のサル。左隻に竹林が描かれ、静寂な空間が広がっている。

そういえば、サントリー美術館開催の其一展前期で見た日出五猿図もテナガザルでした。 

 

303《◎ 龍虎図屛風 狩野山楽筆 6曲1双 安土桃山~江戸時代 17世紀》

右上から左下にむけて右隻の龍が烈風を吹きつける。左隻の雄の虎が龍に背を向けて、雌の虎を風からかばうようにしている。木々や草も強風になびく。

真っ先に目が行くのはメスが虎じゃないことですねえ。この時代、豹は虎の雌だと思われていたようです。んな馬鹿なとおもってしまいますが、龍がいるくらいですから。

 

304《◎ 南禅寺本坊小方丈障壁画のうち群虎図 狩野探幽筆 17面のうち8面 江戸時代 17世紀》

竹林で雌を追って走る虎。尾が長い。こちらのも雌は豹。

前期後期4面ずつの展示で合計8面見たことになりますが、それでも半分に満たないわけで。現在南禅寺では複製が展示されているようですが、一度ぐるっと眺めてみたいです。

 

307《◎ 萬福寺東方丈障壁画のうち五百羅漢図 池大雅筆 8 幅 江戸時代 明和 9 年(1772)頃》

 前期に引き続き、残りの4幅の展示。ほのぼのとした五百羅漢図。絵筆ではなく、指に墨をつけて描いたらしい。

 

 

後期には、エツコ&ジョー・プライス夫妻のご厚意で伊藤若冲の作品が二点特別展示されていました。伊藤若冲が、30代半ばから禅に帰依し、作品制作も禅宗と深く関わったことによるものです。

《伊藤若冲 旭日雄鶏図 江戸時代、18世紀》

松の枝に止まり尾羽を翻して朝日に向かって鳴く雄鶏の図で、朝日の赤と雄鶏の黒い尾羽が目を引きます。赤い光でやや重たげな空気、鶏の描写がさすがです。

めでたい構図ではありますが、今年散々若冲の画を見たせいか、このくらいじゃ驚かない自分がいました。ずいぶん贅沢になってきたもんだ。

 

《伊藤若冲 鷲図 江戸時代、寛政10年(1798)》

最晩年で、絶筆に近い作品。鳥に託した自画像と言われている。

痺れます。かっこよいです。筋目描を駆使した羽の一本一本に目が行きます。尾羽の立派なことと、うごめくような波頭。これでこそ若冲。 

 

 

会場にはかなり人が入っていますが、場所が広いので混雑はありません。半分とは行きませんが三分の一ほどは展示替えされていた印象です。二度目だというのに、回りきるのに二時間強。またしてもトーハクに叩きのめされた気分で退出しました。

 

帰りに、上野さくらテラスでロティサリーチキン。前菜、デザート、ドリンクがつきます。

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ラ ココリコ 上野の森桜テラス店

食べログ ラ ココリコ 上野の森桜テラス店

 

前期の記事はこちら。

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