日本美術の流れ@東京国立博物館 本館

天気がよいので、散歩がてら岩佐又兵衛目当てに、東京国立博物館へ。
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この日は、本館2室、8室、10室だけを回りました。

以下、気になったものをメモとして残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

本館 2室  国宝 一遍聖絵 巻第七

《◉一遍聖絵 巻第七 1巻 法眼円伊筆 鎌倉時代・正安元年(1299)》
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時宗の開祖一遍の事蹟を描く伝記絵巻。絵巻としては珍しい絹本で、縦の大きさも通常の紙本絵巻に比べて大きいのが特徴。展示は全十二巻のうちの七巻目。
巻第七は、一遍らが遊行の途中、尾張、美濃、近江を経て京都へと入る場面。四条京極の釈迦堂で一遍が念仏を勧める場面や、平安時代に「市の聖」と言われた空也上人ゆかりの市屋に道場を建て、踊念仏を行なう場面などが描かれている。
高い位置からの視点で描かれ、人物も細やかに描き分けられている。

 本館 8室  書画の展開―安土桃山~江戸

この日も東博は空いていました。
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《十六羅漢図(第十尊者) 1幅 山口雪渓筆 江戸時代・17~18世紀 東京・大倉集古館蔵》
第十尊者がやけによい顔をしていたので、印象に残りました。山口雪渓は江戸時代中期の京都で活躍した漢画系の絵師。雪舟と牧谿に私淑して雪渓と号したという。

《◎葡萄図 1幅 立原杏所筆 江戸時代・天保6年(1835)》
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立原杏所は江戸時代中期から後期にかけての水戸藩士で南画家。画ははじめ林十江に学び、江戸に移ってから谷文晁の門にも遊んだ。彼の作風は概して謹直で穏やかであるが、酔いにまかせて描いた本図では、めずらしく大胆で奔放な筆致を見せている。左下に「沈酔」の語が見える。

《老子出関図 1幅 岩佐又兵衛筆 江戸時代・17世紀》
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又兵衛が福井在住時代に描いた6曲1双の押絵貼屏風(金谷屏風)の右隻第5扇にあたる。
「老子出関」は伝統的な画題のひとつ。国の衰退を憂いた老子が周を去る際、函谷関を越える場面を描いたもの。右手に持っているのは、関を越える際に役人の求めに応じて書いたとされる道徳経(書「老子」)。
白衣や手足の描写が的確な割に、老子の横顔に正面の瞳を描いているため、卑俗で妖怪じみた顔になっている。眉、耳毛まで細やかなところが、いかにも又兵衛らしい。目を雪舟の慧可断臂図の達磨もそうだが、伝説的な導師の表し方のひとつなのかもしれない。急な下り坂を前脚を踏ん張って進む牛の表情もいい。
《雲龍図 1幅 岩佐又兵衛筆 江戸時代・17世紀》
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金谷屏風の左隻第6扇にあたる。どこか愛嬌のある表情。岩佐又兵衛の描く龍は、話せば話がわかるような気がする(妖怪じみた老子よりも)。

《◯伊勢物語 鳥の子図 1幅 岩佐又兵衛筆 安土桃山~江戸時代・17世紀》
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金谷屏風の右隻第6扇にあたる。女房が一人渓流に身をのり出し水面に数を書く光景が描かれ、伊勢物語第50段「鳥の子」の、女が男に恨みの和歌を返す情景を描いたものと考えられている。男の詩「鳥の子を十づつ十はかさぬとも思はぬひとを思ふものかは」から始まる歌のやりとりで、女が「ゆく水に数かくよりもはかなきは思はぬ人をおもふなりけり」と返す場面を画にしたもの。
川風に揺らぐ柳の枝葉の柔らかさを感じる。川面に向かう女の真剣な顔。着物の模様や乱れた髪に緻密に筆を入れている。頬にかかる乱れ髪の背景が白いのが、気になる。

《本性坊怪力図 1幅 岩佐又兵衛筆 江戸時代・17世紀》
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笠置山の戦いは元弘の乱のひとつで、鎌倉時代後期の元弘元年(1331年)9月に山城国相楽郡笠置山(現在の京都府相楽郡笠置町)において、鎌倉幕府打倒を企てる後醍醐天皇側と、鎌倉幕府側との間で行われた戦い。笠置山は天然の要害で圧倒的な数をほこった幕府軍も苦戦した上、般若寺の本性房という怪力の僧が、巨大な岩を次々と落として敵兵を寄せ付けなかったと言われている。
大岩を持ち上げる怪力の僧、切り立った崖下の人馬の惨状、崖の上で笑う武士たちが絵巻物のように生き生きと描かれている。

《柿図 1幅 深江芦舟筆 江戸時代・18世紀》
柿の朱色が美しく、たらしこみを駆使して華やかに柿の一枝を描いている。
深江芦舟は 江戸中期の画家。尾形光琳に学んだとされる絵師で、装飾性豊かな作品を描いた。

《伊勢物語絵巻 巻第4 6巻のうち1巻 絵:住吉如慶筆、詞:愛宕通福筆 江戸時代・17世紀》
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展示は、伊勢物語絵巻の巻四。六五段の在原なりける男では、男(業平)が清涼殿で女(藤原高子)と向き合う、女の元を訪れた男が夜明けに沓を手にする、大勢を引き連れて恋せじのお祓いをするため禊をする、女は蔵に閉じ込められて泣き「海人の刈る藻にすむ虫のわれからと音をこそ泣かめ世をば恨みじ」と謡い、男は会ってくれない女を恋しがって笛を吹いたという場面。六六段の難波津、六七段の花の林、六八段の住吉の浜と名所巡りをし、そして、六九段の狩の使の冒頭に続き、男の寝所に女が小さな童を先に立てて入っていくところを描いている。

《滝図自画賛「散る玉を云々」 1幅 仙厓義梵筆 江戸時代・18~19世紀》
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墨画で滝図を描き、「散る玉を星とおもいぬ??の中より 瀧なかれ出れは 養老水を以て画之」と賛を書する。「八十年前二歳」とあり、仙厓七十八歳の文政十一年(1828)の作。

本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)

今回は、「浮世絵の祖」と言われる岩佐又兵衛と菱川師宣に始まり、懐月堂の立美人図など墨摺版画から丹絵、漆絵、紅摺絵、錦絵と多色摺りに変わっていく版表現を有名浮世絵師の作品でご覧いただくとともに、菱川師宣や肉筆画しか描かなかった宮川派の肉筆浮世絵を加えて、浮世絵の歴史を概観します。

《風俗図 2幅 岩佐又兵衛筆 江戸時代・17世紀》
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背景を省略して室内の遊楽を描いたもので、同じ画風で円形または団扇形に描かれたものが数点知られ、岩佐又兵衛勝以が用いられた印が捺されている。又兵衛晩年の画風だが、柔らかい描写の顔立ちには別の個性も感じられ、工房制作の可能性もある。

《よしはらの躰 1枚 菱川師宣筆 江戸時代・17世紀》
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江戸で唯一の官許の遊郭であった新吉原の風俗を12枚で構成したもの。本図が最初の一枚で日本堤入口の木戸を描いたものであり、題名「よしはらの躰」と書いてある(最終図に「通油町 山形屋」という版元名)。番号は付されていないが、日本堤入口の木戸から日本堤を通って大門口に入り、メインストリートの仲の町の店先を進んで廓内を見物し遊女屋をのぞき、揚屋町で遊興し、最後は遊女道中の場面で終わる構成になっている。無款ではあるが、菱川師宣の版画組物の代表作とされている。
菱川師宣は江戸時代初期の浮世絵師で、浮世絵の祖。

《櫛売美人 1枚 奥村利信筆 江戸時代・18世紀》
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御櫛所の箱を担ぎ、櫛屋の格好に扮した女を描いたもの。着物の柄に金粉を混ぜた漆を手彩色して仕上げているため、斜めから透かすとギラギラ光る。
奥村利信は江戸時代初期の浮世絵師で、奥村政信の門人。色彩豊かで柔らかみをもった美人風俗や役者を描いた紅絵や漆絵を数多く残している。

《汐汲 1枚 鳥居清満筆 江戸時代・18世紀》
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歌舞伎汐汲の情景を描いたもので、手前に松風と村雨という二人の姉妹の海女がいる。松風は、花櫛のついた島田髷、赤地の振袖に黒の帯を振り下げに結んでいるのがわかる。海岸傍の塩炊き小屋の様子や、海に浮かぶ舟を文字で表すなど趣向を凝らしている。
派手な浮世絵が多い中、淡い色合いに清楚な雰囲気の女が印象に残る。

《蚊帳の遊女と遊客 1枚 鳥居清信筆 江戸時代・18世紀》
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煙管を吸う遊女と、蚊帳を捲ってそれを眺める客を描いたもの。遊女の着物には、大きな左三つ巴紋、男が肩に掛けている着物には源氏香図の花散里の紋が入っている。
鳥居清信は鳥居派の祖。上方役者の父清元に従い江戸に下り、看板絵など歌舞伎関係の絵を描いた。初期鳥居派の浮世絵師たちが豪放な江戸の歌舞伎を表現する常套手段が、筋肉を誇張し瓢箪のようにくびれた手足を意味する瓢箪足と、極端に抑揚をつけた描線を意味する蚯蚓描(みみずがき)と呼ばれる描法であったが、本図のように華麗で簡略な描線に簡単な彩色を加えた美人風俗画も描いた。

《◯常盤津本持てる美人 1枚 石川豊信筆 江戸時代・18世紀》
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亨保7年(1722)大阪で起きた八百屋半兵衛と妻お千代の夫婦心中事件を元にした常磐津節(三味線音楽)の初代常磐津文字太夫の「浮世の毛せん」の正本を手にした若い娘を描いた紅絵。紅絵は紅や黄などの淡い色を筆で彩色した浮世絵版画。石川豊信は、その時期の代表的絵師。

《高名美人六家撰・高島ひさ 1枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀》
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当時江戸で名高かった六人の美女を描いたシリーズで、上部こま絵に美人の名前が判じ絵で描かれている。遊女以外の女性の名前を画中に記すことが禁じられたための趣向で、鷹、島、火、鷺の上半分で「たかしまひさ」となる。高島屋おひさは両国の煎餅屋高島屋の看板娘。着物に、高島屋の家紋である丸に三つ柏の紋が入っている。結婚しているので眉を落としている。透けて見える燈籠鬢がよくわかる。

《高名美人六家撰・難波屋おきた 1枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・18世紀》
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こま絵に菜二把、矢、沖、田が描かれていることから「なにわやおきた」となる。一時期姿を見せなかったのが、再び出てきたので「再出」とある。難波屋おきたは、浅草観音随身門わきの水茶屋の看板娘。簪に難波屋の家紋である五七桐紋が入っている。

《◎三代目坂田半五郎の藤川水右衛門 1枚 東洲斎写楽筆 江戸時代・寛政6年(1794)》
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敵役を得意とした三代目坂田半五郎が「花菖蒲文禄曽我」で剣術の師匠を闇討ちにした悪党藤川水右衛門を演じた姿を描いたもの。写楽のデビュー作28図の中の一枚。師の息子石井源蔵を返り討ちにする場面と考証され、黒雲母摺りとした背景が凄みを見せている。

《冨嶽三十六景・常州牛堀 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》
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常州牛堀は、霞ヶ浦に接する、現在の茨城県行方郡牛堀である。鹿島や銚子などヘ向う航路として、多くの船の行き交いがあった。菅や茅で編んだ苫で覆われた苫舟で生活する人々の朝を描いたもので、米汁を捨てる音に驚いて白鷺が逃げている。

《美人東海道・鞠子ノ驛 1枚 溪斎英泉筆 江戸時代・19世紀》
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鞠子宿は東海道五十三次の20番目の宿場で、茶店が軒を並べ、とろろ汁が名物だった。
渓斎英泉は江戸時代後期の浮世絵師。独自性の際立つ退廃的で妖艶な美人画で知られ、春画と好色本にも作品が多い。北斎に先駆けて日本で初めてベロ藍を用いた藍摺絵を描いた。

《通俗水滸伝豪傑百八人之一個・浪子燕青 1枚 歌川国芳筆 江戸時代・19世紀》
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水滸伝の登場人物、燕青を描いたもの。体格は小柄で細身、色白で絹のような肌を持った絶世の美青年。全身に見事な刺青を入れている。多芸多才な人物で弩の腕は百発百中、小柄ながらも相撲の達人である。

《江戸名所百人美女・五百羅かん 1枚 歌川国貞(三代豊国)筆 江戸時代・安政4年(1857)》
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三代豊国の美人画に、門人の国久が江戸名所の小間絵を配した揃い物。五百羅漢寺は竪川の五ッ目と小名木川との間の亀戸村の田んぼの中にあった黄檗宗羅漢寺の堂のことで、三帀堂(さんそうどう)は三階建てで、階段がらせん状だった為、サザエに似ているとのことからさゞゐ堂での名で知られた。三階建てで眺めが良く名所となった。廃仏棄釈によって羅漢像は散逸し、五百羅漢寺はその後移転して、現在は東京都目黒区下目黒にある。

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右《婦女聞香図 1幅 宮川長春筆 江戸時代・18世紀》
絨毯を敷いた縁側に、暑さに白い胸を開けた女、傍らには赤い着物の禿。禿は小さな香炉を手にしている。
宮川長春は江戸時代の浮世絵師で宮川派の祖。先行する菱川師宣や懐月堂派に学び、豊潤、優麗な美人画で一家を成した。
キャプションが間違って《遊女聞香図》になっていた。

中《遊女閑談図 1幅 宮川長亀筆 江戸時代・18世紀》
遊女二人と禿が飲食しながら閑談している姿を描いたもの。
宮川長亀は宮川長春の門人。俗名、経歴ともに不明だが、弟子の中で唯一師である長春の「長」の字を画名に用いていることから、その実子である可能性が高いといわれており、あるいは長春の子の長助の事かともいわれている。

左《遊女禿図 1幅 宮川春水筆 江戸時代・18世紀》
遊女が二人の禿を従えて歩く姿を描いたもの。遊女の存在感が禿の細い体で引きたつ。
宮川春水は宮川長春の晩年の門人。俗称藤四郎、満洗堂と号す。画風ははじめ同門の宮川長亀の影響が伺えるが、のちに独自の可憐で繊細な画風を成したとされ、浮絵や見立絵なども描いた。

《風俗図巻 1巻 伝菱川師宣筆 江戸時代・17世紀》
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夏の隅田川のほとりで、笛や三味線や太鼓の音に合わせて納涼踊りを踊る人、それを見物する人、川遊びを楽しむ人々が描かれている。風景、装いや道具も実に細やかに描かれている。

 

岩佐又兵衛の旧金谷屏風のシリーズを3枚も、しかも写真OKで観られるなんて、やはり東博通いは止められませんねえ。