水墨の風 ― 長谷川等伯と雪舟@出光美術館

岩佐又兵衛展以来、半年ぶりの出光美術館
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「水墨の風 ―長谷川等伯と雪舟」展、初日に伺いました。

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墨の濃淡によって生み出されるグラデーションが、画面に無限の奥行きと広がりをもたらす水墨画。中国を発祥とするこの斬新な絵画表現は日本にも伝播し、室町時代を経て独自の表現美を獲得することとなりました。本展では、この東洋独自の絵画表現である水墨画の魅力を、「風」をキーワードに迫ってゆきます。

いつものように、気になったものを以下に示します(◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

第一章 雪舟を創りあげたもの ―「破墨山水図」への道

室町時代を代表する水墨画家・雪舟。ここではその作品を、彼が規範とした中国絵画とともに見てゆきます。墨をまき散らすかのようにして山水を描き出す「破墨山水図」。その源流には、南宋〜元時代に杭州で活躍した画僧・玉澗の作品があります。そして雪舟入明時に中国で流行していた力強い水墨表現は、雪舟の以後の画業に大きな影響をもたらしました。これらの作品を通して、雪舟のオリジナリティーの源泉とその展開をご覧いただきます。

《◎1 山市晴嵐図 一幅 玉澗 南宋時代末期~元時代初期 紙本墨画 33.1×82.8》
山市晴嵐は瀟湘八景のひとつで山里が山霞に煙って見える風景のこと。元は瀟湘八景図として、14世紀末から15世紀初めに日本に伝来し、茶会で展示された記録がある。玉澗の八景は舶来当初は巻子仕立てであったが、八幅に分割された。現存する玉澗「瀟湘八景図」は、「洞庭秋月図」軸(文化庁蔵)、「山市晴巒図」軸(出光美術館蔵)及び「遠浦帆帰図」軸(德川美術館蔵)のみ。

雨拖雲脚歛長沙(雨雲脚を拖きて長沙をおさむ)
隠隠残虹帯晩霞(隠隠たる残虹晩霞を帯ぶ)
最好市橋官柳外(最も好し市橋官柳の外)
酒旗搖曳客思家(酒旗搖曳す客思の家)

《2 布袋・山水図 三幅対 雪村 室町時代 紙本墨画 各79.1×35.3》

中幅に袋に乗って右手に団扇、左手に杖を持つ布袋。左右に山水画を配した三幅対。藝大で雪村展で観た《欠伸布袋・紅白梅図》を思い出さずにはいられません。
《4 破墨山水図 一幅 画/雪舟 賛/景徐周麟 室町時代 紙本墨画 22.3×35.3》
本展の目玉のひとつ。近景に岩、やや小高い丘には家屋があり、そこに向かう人の姿。荒々しい崖の上には青々とした木々が植わっている。水辺に舟。ミニマルな筆致が描かれていない所を想像させる。
潑墨という輪郭線引かず、墨の濃淡を面的に用い、墨をはね散らすような画法で描かれる。この作品では、たっぷりと水を含んだ筆で紙をぬらし、それが乾く間もなく一気に描いている。印象派先取り。ライブ感、スピード感に鳥肌が立つ。

《5 牛車渡渉図 一幅 南宋時代 絹本墨画淡彩 17.6×35.2》
界画という定規を用いて緻密に描く手法で描かれた盤車図。画面が黒ずみ照明も控えめなので、かなり見づらい。単眼鏡を使って注意深く観る必要がある。描かれているのは、足を浸して流れの中を進む二台の牛車。一台は木の陰で正面を向いている。牛車の周りには馬に乗る人の姿もある。先頭を行く車の荷台に犬らしき姿。

《6 柳下舟遊図 一幅 夏芷 明時代 絹本墨画淡彩 30.9×29.0》
柳の下、水に浮かぶ舟で釣りをする人物。その隣には童子が眠っている。柳の根元には真っ白な梅の花が輝く。うららかでのどかな時間。

《7 四季花鳥図屏風 六曲一双 伝 雪舟 室町時代 紙本着色 各107.0×382.0》
入口のすぐ左に展示されていた。高さ1m程の背の低い屏風であるが、変に圧迫感があってギョッとする。左隻には竹、梅、椿、雀、八哥鳥、鴛鴦などが描かれている。岩と梅と竹が妙な奥行きで重なり、遠近感が狂う。右隻には蓮、梅、松、牡丹、翡翠、雀、鳩などが描かれている。蓮の描き方が、これまた奇妙で、遠景に霞んで大きな葉が連なって開いているのがまるで山のように見えて遠近感を狂わせ、細部を見れば見るほど気持ち悪い。

《8 四季花鳥図屏風 六曲一隻 伝 雪舟 室町時代 紙本着色 158.8×348.7》
元は一双のものの右隻と思われる。筆線の痩肥が抑えられて、静謐な印象を与える。松、蓮、萱、竹、牡丹に、白鷺、鴛鴦、雀が描かれている。遠景は薄く描かれ、水辺に舟が浮かんでいるようにも見える。

《10 風雨渡江図 双幅 谷文晁 文政8年(1825) 紙本墨画淡彩 174.0×91.0》
画面左上から激しい風雨が吹き荒れる描写。柳の枝や岩肌の草が激しくなびく。陽の光りもなく辺りは暗い。一部分だけ白く抜けている。断続的に風が強まるのだろう。荒れ狂う波に翻弄される舟。画面全体が風に揺れているような迫力がある。

《○11 夏景山水図 一幅 戴進 明時代 絹本墨画淡彩 141.3×76.9》
字文進、号静庵、銭塘(杭州)人。浙派(せっぱ 明代、浙江地域を拠点とした職業画家による画派)の領袖として多大な影響力を後世に残した。

《12 雪嶺風高図 一幅 王諤 明時代 絹本墨画淡彩 187.0×98.8》
王諤(おうがく)は明時代の宮廷画家。まさに見上げんばかりの岩山。崖を刻んでできたような細い道を、身をかがめて歩く旅人、馬、驢馬の姿がある。
コントラストが強い描画で、誇張した筆遣いが北斎を連想させる。確かなデッサン力があってできる描写。こういうの好き。東博の東洋館での展示があったら見逃さないようにしよう。

《○13 琴棋書画図屏風 六曲一双 雲澤等悦 江戸時代 紙本墨画淡彩 各166.0×349.2》
琴棋書画(きんきしょが)とは、教養ある人々にとってのたしなみとされた琴と碁と書と画の四芸であるが、本作右隻では琴の他にも太鼓を叩いて、踊り狂う姿が描かれており、画題のわりに賑やか。
芸雲澤等悦は、三谷信重ともいい、久留米藩御用絵師。

第二章 等伯誕生 ―水墨表現の展開

桃山時代は日本独自の水墨表現が飛躍的に発展した時代です。その中でも特に重要な画家のひとりに、雪舟五代を名乗った長谷川等伯がいます。等伯の作品に見られる湿潤な空気感と微妙な光の演出は、南宋時代に活躍した牧谿の絵画表現に大きな影響を受けています。その一方で等伯は、より身近な事物を描く対象とするなど、中国の伝統に則りながらも日本独自の感性に寄り添った作品を描いていきました。ここでは、等伯がなしえた革新がいかなるものだったのかを見てゆきます。

《◎14 四季花鳥図屏風 四曲一双 能阿弥 応仁3年(1469) 紙本墨画 各132.4×234.2》
右隻の右端に松、屏風が合わさった中央部分に蓮が咲き乱れ、左隻の左端に枯木と竹を配している。小禽は、叭々鳥、白鷺、燕、雁、鴛鴦、鳩が描かれている。枯木に止まっているのは山鵲。穏やかな陽の光が降り注ぐ。現存する水墨花鳥図屏風の中では最も古いとされている。

《15 叭々鳥図 一幅 牧谿 南宋時代 紙本墨画 54.1×30.5》
左から葉のない枝が伸び、そこに一羽の叭々鳥が止まる。叭々鳥はやや顔を上げ胸を反らし右に視線を向けているのが、軽い威嚇表現にも見える。それにしても、ずいぶんとキュートなお顔で、叭々鳥を描くのが流行るのもわかる気がする。若冲の叭々鳥も可愛らしくて好きだが、牧谿の描く叭々鳥の方が頭が大きく、より愛嬌がある。
《16 叭々鳥図 双幅 山田道安 桃山時代 紙本墨画 各45.8×29.4》
牧谿のややとぼけたような味のある叭々鳥と違い、道安のは頭が小さく、陰険な顔にデフォルメされている。これも、また面白い。

《18 竹鶴図屏風 六曲一双 長谷川等伯 桃山時代 紙本墨画 各156.2×361.0》
牧谿の《観音猿鶴図》を参考にして描かれた屏風。引手跡が残ることから元は襖であったことがわかる。竹林の中、右隻には巣篭もりしている丹頂鶴、左隻には高い鳴き声を上げる丹頂鶴が描かれている。左隻の鶴は、牧谿の作品と酷似していて、今ならトレース疑惑で騒がれるレベル。牧谿のは鶴と猿の組み合わせになっているのを、番にしているところが日本的というか等伯的。竹は余白を大きくとりリズミカルな濃淡で描かれ、冬の霧を感じさせる。自然と《松林図》を思い出させる。
《20 松に鴉・柳に白鷺図屏風 六曲一双 長谷川等伯 桃山時代 紙本墨画 各151.8×369.4
右隻には大きな松に鴉が巣を作り、左隻には白鷺が舞う。金泥で表される穏やかな光の中、黒白、剛柔の対比と、鴉、白鷺それぞれの番の表現が印象的な一双。
この屏風には「備陽雪舟筆」という署名と「等楊」の印がある。屏風の両端に不自然なかすれがあり、そこを調査したところ等伯の印の痕跡があった。
等伯の鴉といえば、DIC川村記念美術館で見た《烏鷺図屏風》を思い出します。あの時も、水墨画で黒い鳥といえば八々鳥が多いのに、等伯が鴉を描いているのを興味深く思いましたが、等伯は日本にいない八々鳥を描くのを不自然として、鴉を描くようになったと解説がありました。この転換は広く受け入れられて暁斎まで続くわけですね。発想の飛躍とまでは言いませんが、守破離の破を軽々とやってみせる等伯の姿が浮かび上がってきます。なるほど、道理で大和絵の人々から嫌われるわけだ(笑)
melonpankuma.hatenablog.com

 
《21 叭々鳥・小禽図屏風 六曲一双の内右隻 狩野探幽 江戸時代 紙本墨画 155.1×361.4》
等伯の後に探幽。
根元に笹の生える枯木に叭々鳥が群がり、左下に水の流れが描かれている。
最低限の構成で描かれ、余白を大きく取ることで、渓谷の湿り気を帯びた空気が感じられる。描かれていないことが、これほどまでに美しく感じられるかと。
 解説に「松籟」という言葉が出てきて読めなかった。調べると、読みは「しょうらい」で松の梢を渡る風の音を波の音にたとえていう語、松涛とあった。籟に、風が物にあたって発する音、笛の意味がある。ハンセンン病のらい。

第三章 室町水墨の広がり

雪舟から等伯へと受け継がれた水墨。しかし、その革新がこのふたりのみによって作り出されたものではありません。日本で水墨画が本格的に描かれ始めた室町時代には、ヴァリエーションに富んだ表現を見て取ることができます。ここでは、禅宗寺院において描かれた詩画軸をはじめ、花鳥、山水、そして仏画に至るまで、室町時代に幕を開けた水墨の多様な美の様相をご覧いただきます。

《23 栗鼠図 一幅 呂景玄 室町時代 紙本墨画 97.0×34.3》
竹に尾を撒きつける二匹のリス。丹念に毛描きされた尾をぐるぐると巻きつけているのが蛇のようで変な緊張感をもたらすが、画面左下に筍が植わっていて、雰囲気を和らげるようバランスを取っているように感じた。
相阿弥にも竹に栗鼠の作画がある。この時期流行った画題なのかもしれない。

《○25 山水図 一幅 伝 周文 室町時代 紙本墨画淡彩 90.4×35.1》
左下に木々の生い茂る丘、右下には馬に乗った旅人が行く。水辺を挟んで、中中景には漁船があり、楼閣にはたくさんの人の姿が見える。後景には屏風のように波打つ柱状の岩山。麓には建物が見える。人の営みが見える山水画。下から上に自然と視線が動く。前景、中景、後景を水景と雲霞を使って三つのパーツに配した伝統的な構成。
周文は室町時代中期の画僧で禅林画壇の中心的存在。絵画だけでなく、彫刻など様々なジャンルで活躍している天才。しかし、伝ばかりで確証のある真蹟が一点も残されていないなど、謎も多い。相国寺で如雪に画を学び、雪舟等楊の師と伝えられる。

《26 待花軒図 一幅 画/伝 周文 賛/大岳周崇 他八僧 室町時代 紙本墨画 109.7×35.3》
縦長の画面の上半分が賛で埋められている。足利義満、義持が将軍だった時代に禅林で流行った詩画軸の形式。脱俗の心境を表す典型的な書斎図である。
手前に水辺。谷間に建つ一軒家。瓦葺の立派な建物の中には書物が積まれて山になっていることから誰かが隠遁している書院であることがわかる。主人の姿は見えないが、来客があるのだろう。庭を子供が箒で掃いている。

《27 廬山観瀑図 一幅 画/相阿弥 賛/彦龍周興 室町時代 紙本墨画淡彩 113.2×29.6》
画題は、李白の「望廬山観瀑」。高く柱のようそびえる岩山。霧で隔てられた麓に一筋の滝が流れる。滝は流れになって、その下流には人家が見える。画面左下が近景で川の対岸になっており、橋の上の二人が滝を眺めている。

日照香炉生紫煙
遥看瀑布挂前川
飛流直下三千尺
疑是銀河落九天

(日の光が香炉峰を照らし、紫色の煙が立ち上がる
はるか遠くに滝が川を掛けたかのように落ちている
滝は三千尺下にまっすぐに落ちる
天の川が、天上界から落ちてきたかと思うほどだ)

《29 観音図 一幅 伝 一之 室町時代 紙本墨画 117.7×45.6》
いわゆる滝見観音図。洞窟の中に座る白衣の観音。洞窟の岩の途中から水が湧き出し、頭上で一筋の滝になって落ちている。滝つぼで跳ね返った水しぶきが触手のようにうねる。テーブルのように平になった岩の上に植物の入った器。滝見観音は三十三観音のうちの一人。色気のある美しいお顔立ちが印象に残る。

《30 観音・梅図 三幅対 伝 一之 室町時代 紙本墨画 (観音)127.6×50.5 (梅)各116.3×33.8》
中幅には蓮弁に乗って水を渡る観音。蓮弁を梅に見立てたのか、左幅、右幅は梅が描かれている。右幅は一年枝が勢いよく伸びている様子、左幅は細かい雪が積もっている。
観音図と梅図はサイズが異なる。道釈画である観音図に対して、異種の画題である梅図を脇絵として組み合わせ、三幅対にしたものと思われる。美術分野における「異種配合」の例で、本尊と脇絵として組み合わせるのは「日本独特の鑑賞的程度」とされる。

《31 梅図 双幅 伝 楊補之 室町時代 紙本墨画 各114.5×34.8》
右幅の梅は勢いよく伸びる一年枝が印象的。蕾の残る新しい花が輝く。一方、左幅は梅の枝がS字を描き、花が満開を迎えている。
楊補之は、墨一色で描いた梅の絵、つまり墨梅(ぼくばい)を確立したとされる。

第四章 近世水墨 ―狩野派、そして文人画へ

近世に入ると、水墨表現はさらに多様な展開を見せてゆきます。狩野派は、雪舟スタイルを基盤とすることで、画壇の中心としての位置を確固たるものとしました。また江戸時代中期になると、“かすれ”というまったく新しい水墨表現を駆使する文人画が、中国から新たに紹介されます。ここでは、初期狩野派、そして江戸狩野の作品をはじめ、池大雅・浦上玉堂らによる個性的な文人画をとり混ぜてご紹介します。

《33 花鳥図屏風 六曲一双 「元信」印 桃山時代 紙本墨画淡彩 各151.5×357.0》
右隻は春、左隻は冬景。非常に見やすく感じた。構成要素ひとつひとつが描き慣れている様子で、コントラストも明確。密度濃く要素を盛り込んでいる。

《34 瀟湘八景図巻 一巻 画/岩佐又兵衛 賛/陳元贇 江戸時代 紙本墨画淡彩 30.4×448.3》
展示されている部分は、瀟湘夜雨、烟寺晩鐘、洞庭秋月、江天暮雪、山市晴嵐。柔らかい筆運びで静謐な空間が広がる。旅人の乗る馬の腰が下がっているのが特徴的。賛詩が白話小説(口語で書かれた中国の小説)になっている。
展示も後半になって疲れが出ていましたが、大好きな岩佐又兵衛の作品で、一気に目が覚めました。

《35 雪峯欲晴図 一幅 浦上玉堂 江戸時代 紙本墨画淡彩 28.2×23.4》
雪の峰が今晴れる瞬間という意味。南画の乾筆で細い線や筆の腹でかすれた表現を用いて、山水画を描いている。題名からして、雪の晴れ間を縫って来客があるのだろう。
南画という共通で言えば、ようやく池大雅が面白くなってきたところで、まだまだ浦上玉堂の魅力はピンとこない。

《37 奇峯連聳図(「如意道人蒐集書画帖」の内) 一帖 浦上玉堂 寛政5年(1793) 紙本墨画淡彩 27.5×17.2》
山水画は別名「胸中の丘壑」というが、これはまさにイメージとしての山水画。聳はそびえるの意で、題名どおり、奇峯が連なる様子を描いたものである。

飛鴻別鶴入琴弾 把酒茆堂暫合歓
別後山陽若相思 天涯問此画中看
  題画送如意道人遊西州 玉堂琴士

たくさんのとんがり三角の天辺に藍と代赭が塗られており、瀬戸内海の山々を描いたものだという。見た瞬間、ふぁーって声が出そうになった。前衛。

《38 瀟湘八景図 八幅対 池大雅 江戸時代 紙本墨画淡彩 各45.2×28.4》
色紙をやや縦長にしたサイズの八枚で構成されている。洞庭秋月の穏やかな山のカーブと小さな月、柔らかな書がよく合っていて印象に残る。

《41 酔舞・猿曳図屏風 六曲一双 狩野尚信 江戸時代 紙本墨画淡彩 各155.0×350.8》
左隻は、猿回しを囲んで見物する人たち。少しでもよい所から見ようとしてか、木に登って見物している姿もある。藁を積んだ驢馬の耳が、まるでウサギのように誇張されている。右隻では大甕に入った酒を飲み、太鼓を叩いていて興じている。酔いつぶれているのもいる。建物に中から、呆れているのだろうか、女が外の様子を見ている。
《42 群仙図屏風 六曲一双 岸駒・呉春 江戸時代 紙本金地墨画 各155.2×366.2》
右隻を岸駒が、左隻を呉春が描いた。右隻には女の仙人、何仙姑(かせんこ)、魂を口から飛ばす李鉄拐、剣に乗って飛ぶ呂洞賓、左隻には瓢箪を背負う張果老、蝦蟇を携える蝦蟇仙人が判別できる。いわゆる一般的な八仙ではない。

《43 山水花鳥人物図巻 一巻 狩野探幽・尚信・安信 江戸時代 紙本墨画淡彩 27.0×1253.9》
探幽、尚信、安信が手分けして山水、花鳥、人物を描いたもの。展示部分は探幽が描いた最初の部分。大黒、恵比寿、布袋、獅子、枝折図(椿、紫蘭)、雀、東披笠履図。

 

さすが、出光美術館。素晴らしい作品群です。量があるわけじゃないのに、気が抜けるところがなく、見入ってしまう作品が立て続けに並ぶので、とても集中力が続きません。休憩室で一息入れて、また展示室に戻るということを繰り返しました。物量で攻めてくる東博の展示とは、また違う疲労感があります。今回も学びの多い展示でした。

 

休憩室からの眺め。梅雨の晴れ間というより、真夏のコントラストです。f:id:Melonpankuma:20170610152922j:plain

外に出たら、予想通り生暖かい南風。ラムレーズンパンケーキで疲労回復を狙います。
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疲れた脳にラムが軽く回って、眠くなりました。

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