日タイ修好130周年記念特別展「タイ ~仏の国の輝き~」展@東京国立博物館 平成館

暑い日が続く中、東京よりも暑そうな国の展示を観るため、トーハクの平成館へ。
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タイ展です。
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今年(2017年)は日タイ修好130周年にあたります。この節目の年に修好記念事業として展覧会を開催します。
タイでは、仏教は人々の暮らしに寄り添う大きな存在であり、長い歴史のなかで多様な仏教文化が花開きました。本展では仏教国タイについて、タイ族前史の古代国家、タイ黎明期のスコータイ朝、国際交易国家アユタヤー朝、現王朝のラタナコーシン朝における仏教美術の名品を通じて、同国の歴史と文化をご覧いただきます。また、日本とタイの交流史についても合わせて紹介します。

 

以下、気になったものをメモ代わりに残します(◎は重要文化財)。

第1章 タイ前夜 古代の仏教世界

現在のタイの国土には、タイ族の国が興る以前、インド文明を取り入れながら、独自の文化を育んだ国々がありました。チャオプラヤー川流域のドヴァーラヴァティー国、スマトラからマレー半島に勢力を伸ばしたシュリーヴィジャヤ国、メコンデルタを中心に発展した扶南国(ふなんこく)に続くクメール族のアンコール朝、タイ北部に花開いたモン族のハリプンチャイ国。
タイ文化が芽吹く土壌を形成した古代の多様な信仰の世界をたどります。

5《ドヴァーラヴァティー銘銀貨 3枚 ナコーンパトム県プラプラトーン区 ドヴァーラヴァティー時代・7~8世紀 バンコク国立博物館》
通貨発見により実際の国だとわかった。 「大いなる徳の持ち主であるドヴァーラヴァティーの王」と刻まれている。

11《仏陀立像   1軀 アユタヤー県ワット・ナープラメーン伝来 ドヴァーラヴァティー時代・7~8世紀 バンコク国立博物館》
薄い大衣(だいえ)に少年のような細い体、左右がつながった眉、小さく張った小鼻、厚みのある唇。音尾琢真似。

13《法輪   1基 スパンブリー県ウートーン遺跡第11号仏塔跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・7世紀 ウートーン国立博物館》
ドヴァーラヴァティーの人々は仏教を篤く信仰し、数多くの寺院が造営された。寺院では仏像や仏塔、そして法輪が造られた。法輪は、車輪が転がるように仏陀の教えが広まることを意味し、ドヴァーラヴァティー国では特に数多く作られた。

18《法輪頂板 1基 ナコーンパトム県ワット・プラメーン遺跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・7~8世紀 プラパトムチェーディー国立博物館》
法輪を支える柱の一部。ヤクシャ像。日本の鬼に似ていて、親近感がわく。周りに渦巻き。

19《有翼動物上の仏陀三尊像 1基 ナコーンパトム県 ドヴァーラヴァティー時代・8世紀 バンコク国立博物館》
パナッサボーディの上に座す仏陀。有翼の幻獣は大目玉で嘴があり牛のような角を持つ。回りに雲が刻まれて、天界であることを示している。

22《舎衛城神変図 1面 アユタヤー県ワット・チーン伝来 ドヴァーラヴァティー時代・7~8世紀 バンコク国立博物館》
異教徒の挑戦を受けて、神通力で奇跡を起こし、多くの仏を現したり、マンゴーを実らせる。タイ美術で好まれた主題だという。

26《菩薩立像 1軀 ラーチャブリー県クーブア遺跡第30号仏塔跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・7世紀前半 バンコク国立博物館》
美しい顔。右肩に鹿衣を掛け、右手に水瓶を持ち、腰布を巻いていることから観音菩薩と思われる。土屋アンナ似。 

33《ナーガ上の仏陀坐像 1軀 スラートターニー県チャイヤー郡ワット・ウィアン伝来 シュリーヴィジャヤ様式・12世紀末~13世紀 バンコク国立博物館》
会場に入ってすぐ正面に展示されていた。大蛇の上に座して祈る仏陀の像。悟りを得た仏陀が瞑想をする間、竜王ムチリンダが傘となり、仏陀を雨風から守ったという説話に基づいてつくられた仏像。東南アジアでは、水と関係する蛇の神ナーガを大切にしている。

40《本生図結界石 1基 カーラシン県ファーデートソンヤーン遺跡出土 ドヴァーラヴァティー時代・9世紀 コーンケン国立博物館》
蓮の花びら型をした結界石。仏伝や前世物語であるジャータカが彫られている。金剛杵を握るインドラ神と過去世で会った象と来世の后三人が彫られている。

41《比丘坐像 1軀 ラムプーン県ワット・プラタートハリプンチャイ伝来 ハリプンチャイ様式・12~13世紀 チエンマイ国立博物館》
四角い顔、左右つながった眉、厚い唇、飛び出た目、胡坐で合掌している。

42《人物頭部 1個 ラムプーン県ワット・プラタートハリプンチャイ伝来 ハリプンチャイ様式・12~13世紀 ハリプンチャイ国立博物館》
仏像とは違う写実性がある。ハリプンチャイ王族の肖像の可能性。冠をかぶり、二重の目で口元に笑みを浮かべる女性は、ティルダ・スウィントンに似た美しい顔立ちである。

31《観音菩薩立像 1軀 スラートターニー県チャイヤー郡ワット・プラボロンマタート伝来 シュリーヴィジャヤ様式・8~9世紀 バンコク国立博物館》
八本の腕。密教の流布により、東南アジアでは多臂の像が作られるようになる。

34《ヴィシュヌ立像 1軀 アユタヤー県 7~8世紀 バンコク国立博物館》
円筒形の帽子。四本の腕を持つ。ヴィシュヌ神はヒンズー教の神。

36《アルダナーリーシュヴァラ坐像 1軀 ウボンラーチャターニー県 プレ・アンコール時代・8~9世紀初 ウボンラーチャターニー国立博物館》
タイの東北部では仏教の信仰と同時に、カンボジアのクメール族の影響でヒンドゥー教も信仰された。アルダナーリーシュヴァラとは、ヒンドゥー教の男神シヴァとその妃パールヴァティーが半身ずつ組み合わされて一体になったもの。右半身が男のシヴァ神で左半身が女のパールウァティ神。東南アジアでもっとも古い例である。

43《観音菩薩立像 1軀 カンチャナブリー県ムアンシン遺跡出土 アンコール時代・12世紀末~13世紀初 バンコク国立博物館》
八本の腕に大きな足。髷と胸と下腹に仏が刻まれている。そればかりでなく、よくよく見ると上半身一面が小さな仏像の模様で覆われている。松平健似。

44《般若波羅蜜多立像 1軀 スリン県 アンコール時代・12世紀末~13世紀初 バンコク国立博物館》
多面多臂で胸が膨らんでいる。

47《金剛薩埵坐像 1軀 ナコーンシータンマラート県 アンコール時代・12~13世紀 ナコーンシータンマラート国立博物館》
冠をした角ばった顔。右手に金剛杵、左手に金剛鈴を持つ。クメール文化に属する。

第2章 スコータイ 幸福の生まれ出づる国

1238年にタイ族がひらいた王朝スコータイは、「幸福の生まれ出づる国」を意味します。スコータイはタイ中北部の広大な盆地を中心に開けた国で、水路と陸路で諸地域を結ぶ交通の要衝(ようしょう)にありました。歴代の王はスリランカから受容した上座仏教を篤く信仰し、多くの寺院を建立しました。タイ族による仏教文化が花開き、タイの文字や文学が生み出されるなど、現在のタイ文化の基礎が築かれた時代です。

54《仏陀坐像 1軀 スコータイ県シーサッチャナーライ郡ワット・サワンカラーム伝来 スコータイ時代・15世紀 サワンウォーラナーヨック国立博物館》
面長の顔に穏やかな笑みを浮かべて坐す金色の仏陀像。抑揚を抑えながらも張りのある体、繊細な指先のつくりがスコータイ時代の特徴。

56《仏陀遊行像 1軀 スコータイ県シーサッチャナーライ郡ワット・サワンカラーム伝来 スコータイ時代・14~15世紀 サワンウォーラナーヨック国立博物館》
片足を踏み出し、歩みを進める仏陀像。穏やかな笑み、しなやかで優美な姿にタイ人の美意識を見る。仏陀の歩く姿は、亡母のマーヤー夫人に説法するために三十三天に昇った仏陀が、地上へ降りてくる場面をあらわすとも考えられている。

57《仏足跡 1基 カムペーンペット県ワット・サデット伝来 スコータイ時代・15世紀 バンコク国立博物館》
スコータイ時代に仏足跡の信仰が盛んになる。仏教の宇宙観で世界の中心に聳 える須弥山を中央に配し、その周りを吉祥文様が取り囲んでいる。上辺には遊行する仏たちが並び、右端や下辺には王や比丘の姿がある。

64《仏陀遊行像・仏足跡 1軀 チエンラーイ県チエンセーン遺跡出土 ラーンナータイ様式・1481年》
三人の仏足跡に釈迦の歩行像を組み合わせたユニークなもの。

第3章 アユタヤー 輝ける交易の都 

アユタヤーは14世紀半ばから400年もの長きにわたり国際交易国家として繁栄しました。アユタヤーの優位性は南シナ海の通商ルートと、ベンガル湾通商ルートという東西の巨大な市場を結ぶ接点に立地していた点にあります。国王は、アユタヤーの肥沃な大地の恵みや、北タイや東北タイの森林から河川によって運ばれる産物をもとに、日本、琉球などの東アジア国家や東南アジアの国々だけでなく、中東や西洋とも活発に貿易を行ない、莫大な富を蓄えた「大商人」でした。また、上座仏教を国教とする一方、王の権力と神聖さを高めるためのインド的な儀礼や位階制度が整えられるなど集権化が進みました。

69《金冠 1頭 アユタヤー県ワット・ラーチャブーラナ遺跡仏塔地下出土 アユタヤー時代・15世紀初 チャオサームプラヤー国立博物館》
寺院の仏塔内部に設けられたクルという空間から発見された金冠。男性の髷に被せる冠で、王が持つべき5種の神器の筆頭に挙げられる。手のひらサイズ。緑色や透明な貴石がはめ込まれている。

71《団扇・払子・杖(神器ミニチュア) 1具 アユタヤー県ワット・ラーチャブーラナ遺跡仏塔地下出土 アユタヤー時代・15世紀初 チャオサームプラヤー国立博物館》
五種の神器は玉剣、傘蓋、冠、王靴、払子であることが多いが、ここでは団扇と杖も含まれている。

74《金舎利塔 1基 アユタヤー県ワット・ラーチャブーラナ遺跡仏塔地下出土 アユタヤー時代・15世紀初 チャオサームプラヤー国立博物館》
スリランカ様式とインド北東部のパーラ様式が混交した仏塔形の舎利容器。円錐状の尖塔部分や優美な膨らみを帯び覆鉢(ふくばち)、基部には花文様がめぐらされている。

79《玉座模型 1基 チエンマイ県ホート郡ワット・チェーディースーン出土 ラーンナータイ様式・16~17世紀 バンコク国立博物館》
北の都、ラーンナー王国でつくられた王の玉座模型。王の神器である傘、払子子、団扇、宝靴がある。本品は小品ながら玉座の上に並ぶ持物や履き物までも精巧にあらわしており、当時の国王の権威をよく伝えている。仏陀を現世の存在としてとらえ、寝所を整えて王の神器を備える慣習があった。

81《宝冠仏陀坐像 1軀 バンコク都ワット・ベンチャマボーピット(大理石寺院)伝来 アユタヤー時代・17~18世紀 バンコク国立博物館》
装飾が多い。上座仏教でも仏陀像の世俗化が進んだことがわかる。

83《三界経 1帖   トンブリー時代・18世紀 タイ国立図書館》
展示されていたのは、三十三天の場面。
三界経は、因果応報の観念を説き、仏教を説明しその伝播を助けた。特に地獄の様子を生々しく体系化して描いてある。

第4章 シャム 日本人の見た南方の夢

 シャムとは、江戸時代から知られていたタイの呼称です。シャム、つまり当時のアユタヤー朝は国際交易国家として栄え、16世紀末から17世紀にかけて日本からも新たな市場や活躍の場を南方に求めた朱印船貿易家たちが集い、日本人町が形成されました。それを遡(さかのぼ)る100 年前には、すでに琉球を介して日本とシャムの交流が始まっており、日本の対外交流史のなかでもシャムとの交易はきわめて大きな位置を占めていました。彼らを駆り立てたのは、遠い異国へのあこがれだったかもしれません。

85《◎アジア航海図 1鋪 鷹見泉石筆 江戸時代・天保4年(1833) 茨城・古河歴史博物館》
ポルトガルの航海士が使用した海図を鷹見泉石が写したもの。蝦夷なし。

86《◎アジア航海図 1枚   江戸時代・17世紀 東京国立博物館》
ヨーロッパ製ポルトラーノ型の海図を参考にしながら、独自に作成した海図。このアジア航海図は、日本・朝鮮半島からアフリカ東岸部まで描かれている。日本は九州、四国、京、駿河、江戸、奥洲の地名の他、ゑぞがかなり大きな島として描かれている。本州の東に幻の島、金島と銀島が記されている。現存するアジア航海図の多くは江戸時代前期の朱印船貿易を行った家に伝わっているが、本図は長崎奉行所に伝来したものと推定されている。外国人らしき使用人が帆の上げ下げをしている。

95《末𠮷船図衝立 1基   江戸時代・安政5年(1858) 大阪・杭全神社》
末吉孫左衛門吉康(すえよしまござえもんよしやす)がシャムへ派遣した朱印船が帰国する様子を描いた衝立。風にたなびく「末吉」や「順風」の旗のもと、酒を飲んだり囲碁を楽しむ人々が活写されている。船の上で椅子に座っているのが当主吉康。下階では積荷の前で囲碁をしている。

120《寺院用布 黄木綿地合掌天人幾何文様更紗 1枚 インド・コロマンデルコースト産 19世紀初 バンコク国立博物館》
大きさや模様からタイ語でパー・キアオと称される、寺院用に染められた敷物、あるいは壁掛と考えられている。仏陀に仕えた天人を3種の異なる図様で染めている。両手を合わせた天人の姿は「合掌天人」と称され、ラタナコーシン朝時代に好まれた模様。このような仏教に関連する人物像を表わしたタイ向け輸出用更紗は、明治期から大正期にかけて日本の数寄者に好まれるようになり仏手(ほとけで)と称された。

第5章 ラタナコーシン インドラ神の宝蔵

 ラタナコーシンとはインドラ神の宝蔵を意味します。その都(現バンコク)はクルンテープ(天人の都)と呼ばれてきました。タイ人はビルマ(ミャンマー)軍との戦いで灰燼(かいじん)に帰したアユタヤーの都を復元するように、ここに新しい都を築き、アユタヤーの芸術文化の復興に力を注ぎました。最終章ではラタナコーシン朝に集積されたタイの伝統美術とその展開を紹介します。

 

こちらは入ってすぐに写真撮影コーナーがありました。

126《ラーマ2世王作の大扉 1面 バンコク都ワット・スタット仏堂伝来 ラタナコーシン時代・19世紀 バンコク国立博物館》
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裏面から。
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5.6メートルを超えるこの大きな扉は、1807年に創建されたワット・スタットという第一級王室寺院の正面を飾っていたもの。
国王ラーマ2世(在位1809-1824)が自ら精緻な彫刻をほどこしたと伝えており、王室とともに育まれたタイ文化を象徴する至宝。チーク材の扉の表側には、天界の雪山に住むとされるさまざまな動物たちが重層的に表わされ、裏側には寺院を守る鬼神たちの姿が描かれている。この扉の完成後、ラーマ2世は他に同じような扉を作らせないように、使用した道具をすべてチャオプラヤー川に捨てさせたらしい。1959年の火災で一部が焼損を受け、その後処置を施せない状態だったのを、2013 年から日タイで協力し保存修理作業を進めてきた。

127《プラ・マーライ経 1帖   トンブリー時代・18世紀 タイ国立図書館》
左頁の黄色の衣をつけているのがマーライ尊者で緑色の肌をしているのがインドラ神。右頁に描かれているのが弥勒菩薩。
地獄や天界を遍歴することのできるマーライという名の尊者が、天界で弥勒菩薩に会い、弥勒菩薩の伝言を人間界の人々へ語るという仏教説話が記されている。タイでは「マーライ経」として広く知られ、関係する貝葉写本はタイのほぼ全域の寺院に収められ、儀礼で読誦されたり、寺院壁画や絵入り写本に描かれたりして、その説話は人々の功徳を促す役割を担ってきた。

128《マーライ尊者チュラーマニー仏塔巡礼図 1幅   ラタナコーシン時代・19世紀 タイ国立美術館》
三十三天にあるチュラーマニー仏塔前で赤い衣のマーライ尊者と緑の肌をしたインドラ神が出会う場面。周りにはたくさんの神々が集っている。上部に弥勒菩薩が多くの仏を連なって描かれている。

131《従三十三天降下図 1幅   ラタナコーシン時代・19世紀 バンコク国立博物館》
従三十三天降下は、成道(じょうどう)後の仏陀が亡母マーヤーのためにインドラの住処である三十三天に昇って説法し、3か月後にインドラが作らせた3筋の階段(三道宝階)をつたってサンカッサの地に降り立ったという説話。左下では頭蓋骨を燃やしている。

134《仏伝図箔絵経棚 1基 バンコク都ワット・アノンカラーム伝来 ラタナコーシン時代・19世紀 タイ国立美術館》
経典を収める棚。仏伝図の他、熊や虎、蟹、魚、火焔状唐草文が細密に彫り込まれ、金箔で覆われた非常に豪華な造りである。

136《象鞍 1基 サワットソーポン親王旧蔵 ラタナコーシン時代・18~19世紀 バンコク国立博物館》
象に乗るための鞍は、象の背に座面を設けて座る。座面の周囲に欄干をめぐらせて前方を開き、座面の下には象の背に載せるための脚がある。本品は、約180センチの幅広い座面の周囲に象牙製の支柱をもつ欄干が設けられ、脚部からは流麗な支柱が伸びて座面を支え、器体全体に金箔が貼られている。

140《金板装拵刀 1口   ラタナコーシン時代・19世紀 バンコク国立博物館》
木胎に金の薄板を張り付けた金板装拵の刀。刀身、拵(こしらえ)共に日本刀を模してタイの技法を用いて作られた日本式刀剣。刀身にはタイ文字で「ダープクームー・オークスック・コーン・チャオプラヤー・ボーディンデーチャー・シン・トンタクーン・シンハセーニー・メータップ(民部大臣シンハセーニー家のシン将軍出征の佩刀(はいとう))」と線刻して朱が入っている。タイの日本式刀剣には所有にあたり厳格な規定が存在し、本品のような金板装の拵を佩用できるのは王位継承権を持たない王族を含む上級貴族だけ。この階級のさらに上の日本式刀剣は、王位継承権を持つ王族のみが佩用するタイ七宝装拵の刀であり、これらは現在タイ王室紋章・貨幣博物館保管されている。

143《黒漆紋章箔絵貝葉写本 8束1套 ラーマ5世王妃下賜 ラタナコーシン時代・19世紀 愛知・日泰寺》
タイ から日泰寺に仏舎利が分与された際、タイ王妃から安置する為に寄贈されたもの。貝葉とは植物の葉を加工した素材で、8束の写本の表紙には黒漆の箔絵でラーマ5世王紋章が入っている。

148《仏陀坐像 1軀 釈興然請来 ラタナコーシン時代・1903年 神奈川・三會寺》
小さい肉髷に尖った螺髪、半眼で受け口の繊細な印象を持つ金色の仏像。日本初の上座仏教僧となった釈興然がシャム国公使の依頼でタイに渡り、この 仏像を含む50余体を日本に持ち帰った。釈興然は、河口慧海のパーリ語の師でもある。

 

トーハクの平成館で行われる特別展では毎度のことながら、今回も物量がすごい。ソファで休むことも多かったのですが、一周に3時間弱かかっていました。途中、あまりの疲労で、平成館ラウンジの鶴屋吉信に行ってあんトーストを食べたのですが、その時間は除いてです。特別展の入場口でチケットに日付印を押してもらうと、再入場できます。無理して回っても集中力が続かないともったいないだけだから、こうして途中退出させてもらえる展示会がもっと増えるといいのにな。
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鶴屋吉信 東京国立博物館 休憩所

食べログ 鶴屋吉信 東京国立博物館 休憩所