日本の美術の流れ@東京国立博物館 本館
今日も8月上旬に行った東博の記録。
- 本館 7室 屏風と襖絵―安土桃山~江戸
- 本館 8室 暮らしの調度―安土桃山・江戸
- 本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸
- 本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)
- 本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(衣装)
- 本館 高円宮コレクション室 根付 高円宮コレクション
既に展示を終えたものが多いようです。以下、気になったものをメモとして残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。
本館 2室 国宝室
《◉延喜式 巻四 紙背文書 1巻 平安時代・11世紀》
延喜式は、平安時代に律令制を運用するための細則をまとめたもの。本作は、九条家に伝来した現存最古の写本で、全50巻中27巻が残されている。
国宝《延喜式》は、一度使用した紙を再利用して書写されたもので、紙の裏面にさまざまな文書(紙背文書)がある。紙背文書には、「弘仁式」や交替実録帳など、古代史研究の上で重要な史料がたくさんあるが、今回展示されている仮名消息は個人的な手紙なので、自由にのびやかに筆を運んでいる。
本館 7室 屏風と襖絵―安土桃山~江戸
《山水図屏風 4曲1隻 十時梅厓筆 江戸時代・18世紀》
満々と水をたたえた景に、ほのかに色づく樹木や人物。跳ねるような濃墨の筆さばきが特徴的。左上「梅厓漁人漫筆于浪華」から大阪での制作とわかる。梅厓は大阪の儒学者で多芸多才の人。伊勢長島藩主の増山雪斎の家臣となった。
小舟に目が行くまで、霧のかかる草原の風景に見えていた。水辺とわかると、それはそれで静謐な雰囲気を感じたが、高度の違いで空気の冷たさが和らいだように思えた。
《◎山水図屏風 6曲1双 彭城百川筆 江戸時代・延享4年(1747)》
彭城百川は、江戸時代中期の南画家。服部南郭、祇園南海、柳沢淇園とともに日本南画の祖とされる。南画という中国志向と俳諧という日本趣味を同時に両立させた百川、蕪村によって和漢折衷の俳画が登場した。
五月雨を集めて早し最上川。描かれているのは中国の大河ながら、芭蕉の句を連想したくなる。俳諧師出身の百川らしいセンスが新渡の南画風と響き合って生まれた画面。大雅、蕪村に先駆ける百川の代表作である。
《◯士農工商図屏風 6曲1双 狩野探幽筆 江戸時代・17世紀》
士農工商は中国で生まれた考え方で、士は本来徳に優れるものの意味であるが、日本では武士とされた。この画は、施政者徳川将軍家の御用絵師の探幽が、それぞれの生業における理想とすべき姿を描いたもの。
本館 8室 暮らしの調度―安土桃山・江戸
《葡萄蒔絵棚 1基 江戸時代・17世紀》
正面に観音開の扉を二組並べ、下段に引出しを設けた珍しい形式の大型棚。扉の上半が網目透になっている。金銀の平蒔絵に絵梨子地を交え、野葡萄を表している。
同室に若冲の拓版画が展示されていたため、拓版画のデザインと蒔絵の関連性を思って興味深く眺めた。
本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸
《龍唫起雲図 1幅 円山応挙筆 江戸時代・寛政6年(1794)》
中国の古書「易経(占い、周易の注釈書)」に「龍吟雲起 虎嘯風生」とある。龍吟ずれば雲起こり、虎嘯けば風生ず。応挙の支援者で弟子の植松応令旧蔵品。
立体感のある絵を描くのが得意な応挙らしく、S字に龍の体を配置した。暗雲が立ち込め雷が光り、ただならぬ雰囲気。しかし、この龍は雑食動物みたいな前歯をしているせいで、私には剽軽に見える。肢の位置が複雑。
《月夜水辺鴻図 1幅 松村景文筆 江戸時代・19世紀》
江戸後期の四条派の画家で呉春の弟子。
軽やかな画風が親しみやすい。
《百鬼夜行図屏風 6曲1双 原在中筆 江戸時代・19世紀》
昨年、江戸博で見た真珠庵蔵の伝土佐光信の重文《百鬼夜行絵巻》とよく似た器物の妖怪たちが中心に並んでいる。左隻の左端に赤い太陽が描かれ、妖怪が消えていく。
外国人が素通りしていくのを不思議に思ったが、絵がポップな上に保存状態が極めてよいので、軽んじられてしまっていたのかもしれない。
《四季遊楽図巻画稿 1巻 円山応挙筆 江戸時代・18世紀》
一年の遊楽を描いた絵巻で、春の花見に始まり、船遊び、祭りの出店、川床、花火、川遊び、秋祭り、雪遊びや年の瀬、正月の準備と四季が巡る。
人々の生き生きとした様子が、細やかに見事に描かれている。
《玄圃瑤華 1帖 伊藤若冲自画自刻 江戸時代・明和5年(1768)》
玄圃は仙人の居所、遙華は玉のように美しい花の意味。種々の花や昆虫の組み合わせ48図からなる。若冲の拓本画の代表作で、若中自身が版を彫り拓本を管理した。現存するのはこれ以外に3件のみ。若冲ブームがあった2015年に東博が購入して、話題になった。
漆黒の中に浮かび上がる動植物の静かな蠢きが、なんともいえず不気味で、惹きつけられます。
《鶏図扇面 1柄 伊藤若冲筆 江戸時代・18世紀》
正面から描かれた鶏の表情がコミカルです。
《詩書屏風 6曲1双 良寛筆 江戸時代・19世紀》
良寛自詠の漢詩を各扇に書き連ねた優品。
良寛は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶。越後国出雲崎の明主の家に生まれた。22歳で大忍国仙に師事し、印可の後、郷里に戻り五合庵や乙子神社のかたわらの草庵で暮らし、清貧さと温かい人柄で敬慕されたという。
本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)
《遊女立姿図 1幅 懐月堂度辰筆 江戸時代・18世紀》
籬と菊模様の上着に、朱地に菊模様の間着を翻す豪華な装いの遊女。
度辰の伝歴は不詳。師の懐月堂安度が肉筆画を専らにしたのに対し、大々版の墨摺絵などを残した。安度による豊満な横顔(やや角張った顔立ち、広い額、切れ長の目、団子鼻)を忠実に継承している。
《蚊帳の外文読み美人 1枚 鳥居清倍筆 江戸時代・18世紀》
18世紀初の初期版画時代を代表する絵師、鳥居清倍の墨摺版画。版型は一枚の美濃紙に別紙を貼り継いだ大々版。香が焚かれた部屋で、枕を腰の後ろに置いて蚊帳から身を出して文を読む遊女。蚊帳の線は細いが、着物は肥痩を強調した描線で力強く描かれている。
《勝景奇覧・甲州身延川 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》
諸国の奇景を描いた団扇絵の揃物で、本画は河内道沿いの飯富の風景を描いたもの。大勢の漁師たちが船を操り、川に向かって網を打っている。
《佃沖の月 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
藍摺の団扇絵。漁師の町、佃島に停められた船が連なる様子と満月を描いたもの。
《江戸名所年中行事・高輪廿六夜 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
江戸の年中行事を描いた団扇絵の揃物。高輪廿六夜(高輪の月見)は陰暦一月と七月の二十六日の月の出を待って拝む行事で、特に七月の二十六日は海岸線で月の出を見ることが出来る高輪や品川に人が集まった。月光の中に阿弥陀・観音・勢至の三尊の姿が現れるとされた。二十六月は細い下弦の月が深夜に上がる。
《にぎわいぞろい・両国のにぎわい 1枚 歌川国芳筆 江戸時代・安政2年(1855)》
江戸の町のにぎわいを描いた団扇絵の揃物。団扇を持つ遊女の背景に両国橋と東岸の回向院の賑わいが描かれる。視点からして大型の屋形船に乗っているのだろう。両国橋の周辺は、当時多くの興行が行われ、江戸一番の繁華街であった。橋の上や川に多くの見物人が描かれているところえお見ると花火の見物かもしれない。
《名所江戸百景・神田紺屋町 1枚 歌川広重筆 江戸時代・安政4年(1857)》
季節感豊かに江戸の町を描いた広重最晩年の揃物。神田には当時多くの染物屋が軒を連ねていた。紺屋町の地名は今も神田駅の東に残る。物干し竿に干された手ぬぐいの模様は、源氏車や市松模様の他、出版元魚栄の「魚」、広重の「ヒロ」を図案化したもの。富士山が江戸城の物見櫓越しに見える。
《名所江戸百景・鉄炮洲稲荷橋湊神社 1枚 歌川広重筆 江戸時代・安政5年(1858)》
手前に弁才船二艘の帆柱を並べ、遠景に瀬取舟が清酒樽を運ぶ様子を描く。秋口には新酒が上方から到着した。「新走」は新酒到着を意味する秋の季語。弁才船の太い帆柱は松明柱と呼ばれ責込という鉄のタガで束ねた寄木である。先端に滑車があり、帆の上げ下げを楽にする。
鉄砲洲は中央区湊あたりの旧称で、江戸幕府の鉄砲の試射地であったことがその名前の由来といわれている。中央に描かれている稲荷橋の名残が、現在の南高橋の北に残されている。朱塗りの塀が湊稲荷で、江戸の入口を守る神社として人々の信仰を集めた。
《名所江戸百景・京橋竹がし 1枚 歌川広重筆 江戸時代・安政4年(1857)》
京橋川から眺める京橋と満月を描いたもの。奥に中の橋(三年橋)、さらにその先に白魚橋が見える。京橋は日本橋と並び最も古く、擬宝珠(ぎぼし)のある欄干をもつ公儀橋。この地域は竹河岸と呼ばれる竹の市場があった。京橋の下を竹細工を積んだ荷足舟がくだる。
《名所江戸百景・鉄炮洲築地門跡 1枚 歌川広重筆 江戸時代・安政5年(1858)》
画は明石町の沖から築地本願寺本堂の大屋根を望む。明石町の沖に並ぶのは波消し目的の2列の石積である。最も奥に描かれた船からは投網が投げられている。
《名所江戸百景・芝神明増上寺 1枚 歌川広重筆 江戸時代・安政5年(1858)》
芝増上寺は上野寛永寺と並ぶ将軍家の菩提所であり、境内や門前には茶屋、芝居小屋等が並び、相撲や富くじの興業も行われて賑わいをみせた。この画は、芝増上寺の大門から江戸見物一行が出てきたところ。後ろに増上寺の修行僧が続く。毎日七ツ(午後4時)に市中を回るその姿は江戸の名物だったらしい。左端が増上寺大門、右方が芝神明社。
《名所江戸百景・金杉橋芝浦 1枚 歌川広重筆 江戸時代・安政4年(1857)》
金杉橋は赤羽川の河口の橋で、日本橋と品川の中間に位置した。橋の上は池上本門寺帰りの「江戸講」の一行で、参拝記念に奉納する品々を高くかかげている。中央の小豆色の傘つきの織旗(万燈)には日蓮宗の寺紋である井桁に橘紋、右の傘にぶら下がる小さな幕には身延山と書かれていることから日蓮宗の祖師参りの行列だとわかる。幟の中に「魚栄持」という版元を表す文字も見られる。遠景に築地門跡の三角屋根がある。
《◎歌舞伎図屏風(左隻) 1隻 菱川師宣筆 江戸時代・17世紀》
芝居小屋「中村座」の楽屋と鉢巻をした若い役者が客と遊ぶ芝居茶屋を描いた屏風。役者総出の舞台を描いたもう一隻の屏風と組み合わせて六曲一双としている。款印こそ伴わないが、今日の研究では、浮世絵の始祖と呼ばれる菱川師宣の晩年の代表作とされている。
《◯品川座敷の遊興 3枚 鳥居清長筆 江戸時代・18世紀》
品川は東海道一の宿駅で、「南」とよばれ、気安い遊び場として栄え、「北」とよばれた吉原に次ぐ規模であった。三枚続きの画面に夏の海を臨む広い座敷で、芸者や幇間をあげて酒宴を楽しむ客の様子が活写される。隣室で煩そうにする客との対照も面白みがある。
本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(衣装)
《鬼木彫根付 1個 線刻銘「頼武」 江戸時代・18世紀》
《黒奴木彫根付 1個 江戸時代・19世紀》
《仁王鬼角力木彫彩色根付 1個 線刻銘「法橋宝山作」 江戸時代・19世紀》
《面持童木彫根付 1個 線刻銘「木啄堂 黙矩」 江戸時代・19世紀》
本館 高円宮コレクション室 根付 高円宮コレクション
《雛燕 1個 宮澤良舟(二代) 1980年》
《けものみち 1個 小野里三昧 2001年》
《猫に鈴 1個 スーザン・レイト 2001年》
気がかりだったのをまとめて、夏休みの宿題がやっと終わった気分。
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