清澄庭園

この日は昼からジョギングがてら、清澄白河散策にでかけました。

途中、隅田川テラスの古いレンガを使った護岸が気になりました。
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この辺に煉瓦工場でもあったのかと思いきや、どうやら、明治期に明石町一帯にあった外国人居留地をイメージしてレンガ風に修景されたようです。一体どこから運んできたレンガなのでしょう。

せっせと走って、清澄庭園到着。
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清澄庭園は、三菱財閥の創始者・岩崎彌太郎が明治11年(1878)に荒廃していた大名の下屋敷や豪族の館跡の土地約3万坪を買い上げ、大規模な造園工事を開始し、弟・彌之助、長男・久彌へと岩崎家3代によって明治24年(1891)に「廻遊式林泉庭園」が完成されました。当時は「深川親睦園」といわれ、三菱社員の慰安や内外賓客を招き接待する場として用いられていました。

清澄公園は東京都の指定名勝に指定されています。午前9時から午後5時まで開園していて、入場料は、一般が150円です。

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庭園に入ってすぐ、水鉢と庭石がありました。
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清澄庭園では、伊豆磯石、伊予青石、紀州青石、生駒石、伊豆式根島石、佐渡赤玉石、備中御影石、讃岐御影石など、多くの名石が見られ、さながら石庭の観。岩崎家が自社の汽船を用いて全国の石の産地から集めたものなんだそうです。

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手前は磯渡りに続く石橋。松島、輪島、中の島の三つの島を配し、敷地の半分を占める広い池が広がります。昔は隅田川から水を引いていたそうですが、現在は雨水でまかなわれているそうです。

入り口から池を挟んで対面に涼亭があります。
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池に突き出るようにして建てられた数寄屋造りの建物は、明治42年国賓として来日した、英国のキッチナー元帥を迎えるために岩崎家が建てたもの。

玄関の磨りガラスがかわいらしい。f:id:Melonpankuma:20180215174259j:plain

池を離れたところにある広場に、松尾芭蕉を偲ぶ石碑がありました。
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芭蕉の最も有名な句、「有名な古池や かはづ飛び込む 水の音」が刻まれていました。深川に芭蕉の庵があり、そこから「奥の細道」につながる旅がはじまったのを記念して建てられたものなんだとか。

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見事な紀州青石。この他にも、伊豆磯石や秩父青石など見かけました。石の種類はさっぱりわかりませんが、徽宗の花石綱を思い出し、その世界は、きっと底の見えない沼に違いないと思いました。

大正記念館前の芝生。
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ソテツかなにかでしょうか。霜よけで頑丈に守られていました。

 

この後、深川資料館通り商店街を散策し、清澄白河名物の深川めしを持ち帰り。
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お店が言い張るには、これで一人前らしいです。