江戸東京たてもの園

2022年4月19日

江戸東京たてもの園に行きました。
SNSで見かけて前々から気になっていましたが、我が家からは気軽に行ける距離ではなく、行く機会に恵まれませんでした。しかし、たまたま用事ができたので、これはチャンスとばかりに短い時間ではありましたが寄り道してきました。

www.tatemonoen.jp

入り口となるビジターセンターは、銅版葺きで穏やかな軒反りのある和風建築物です。
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1940年(昭和15)に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために仮設された式殿を移設したものだとか(今年は皇紀2678年なんですね)。

《午砲》
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午砲
1871年(明治4)9月9日から、皇居内旧本丸で、この大砲により正午を知らせる空砲が発射された。〈午砲〉による正午の通報は、今の東京都区部の大部分に聞こえ、その音から〈ドン〉と呼ばれて人々に親しまれた。江戸時代には、江戸市中に時刻を知らせるため〈時の鐘〉を鳴らしたが、明治時代からこの午砲となり、1929年(昭和4)5月1日にサイレンにかわり、1938年(昭和13)9月まで続いた。
年代:明治時代
旧所在地:千代田区(皇居内本丸跡)

《ボンネットバス》
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レトロな佇まいで、てっきり昭和初期あたりの印象を受けましたが、ボディが1968年製、シャーシが1979年製で、そんなでもありませんでした。

《三井八郎右衛門邸》
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日本の近代史に三井財閥として名を残した三井同族十一家の惣領家(北家)、三井八郎右衛門高公氏の第二次世界大戦後の住宅である。今井町(現、港区)にあった邸宅が戦災で焼けたため、財閥解体を経た1952年(昭和27)に麻布笄町(現、港区西麻布)に本邸を建築して、移り住んだ。

庭から見た主屋。
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左の白い建物が土倉です。

1階は南側に客間、食堂などの居住空間、北側に事務室・厨房・配膳室などがあり、2階は南側に夫婦の寝室、北側に浴室・仏間などが配されている。

西麻布本邸は京都、大磯、用賀、今井町にあった三井家に関連する施設から建築部材、石材、庶物などが集められて建築が行われている。邸内からは財閥が繁栄していた頃の男爵三井家の威勢を伺うことができる。

本邸の西側には土蔵が移築されている。この土蔵には1874年(明治7)の建築を示す墨書がある。伝承では駿河町三井越後屋の絹蔵であったという。西麻布邸移築前は今井町にあり、戦災にあわず焼け残っていた。なお部材の痕跡から1950年(昭和25)に移築を含め3度の改造が確認されているとか。

玄関は明治に作られた旧油小路邸(京都)の部材が使われています。
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扉に瓜輪紋。
ライトはルネ・ラリックの型押しガラス工芸品。
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影になってわかりづらいのですが、玄関を上がってすぐの広間の壁に、ろうけつ染の版木らしきものがはめ込まれていました。
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ふと見上げると、釘隠しに七宝が使われていたりします。
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玄関から広間のたった5歩程度の間でも見所が多く、いちいち写真を撮っていたら、いつまで経っても先に進めないと思いました。この日は大して時間もなかったので、大いに見逃しながら先に進むことに。

客間。
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食堂。
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1階の書院の二間は、1897年(明治30)に建てられた京都油小路三井邸の奥書院の部材を使用。奥書院は田字形に配置された八畳四部屋の書院で「四季之間」ともいわれた。油小路邸には高棟も設計に関わり、窓や欄間には桂離宮の意匠を取り入れてた。高公氏は油小路邸の一部を移築する際に、高棟の意匠も移すべく努力したため、油小路邸を飾っていた櫛型窓や四季を題材とした襖、月の字崩しの欄間などを現在の邸内に見ることができる。

格子天井には草木画。
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客間と食堂の二間を区切る、月の字崩しの欄間。
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本間に沿った広縁。奥に櫛型窓があります。天井は格天井。
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邸内の襖・障子・戸に描かれた絵画の多くは、明治期の四条円山派の画家による。これらの多くは京都油小路邸建築に際して描かれたもので、森寛斎や国井応陽、応祥の画家の名前をみることができます。

玄関脇の和室、望海床。
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もとは大磯の城山荘にあり、1964年(昭和39)に西麻生邸へ移されたもの。城山荘にあった当時は高棟の画室で、床にはオンドル式の暖房が設備されていたという。移築後、一時的に立礼式の茶室として使用された後、庭園にあった茶室前後軒の待合に使用されていた。

厨房と配膳室。
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ここだけ、やけに西洋風でした。

厨房前の廊下。右の襖を開けると食堂です。
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こんなにモダンな柄の襖は他で見たことがありません。

階段を上がって2階には、三井高公夫妻の寝室と仏間があります。寝室前の襖は、三井家らしく鶏でした。
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この日は、二つの寝室が両方共畳の張替えをしていたので、立入禁止でした。

仏間。
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仏壇に向かって左側に初代三井高利夫妻の画像が懸かっているほか、幕末・明治維新期の当主三井高福氏作の剪綵(色糸や絹布などで作った細工物)による龍の天井画や高公氏の父親三井高棟氏作の鳳凰の襖絵がある。先祖の霊を弔うにふさわしく三井氏歴代を感じさせる部屋となっている。

天井画は、剪綵の龍。
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仏間の前の廊下は、二重折上格天井に豪華なシャンデリア。
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このシャンデリアは、元は大磯の別荘城山荘にあったものだそうです。

邸内には、いたるところに鳥が描かれています。
これは、二階仏間前の廊下にある杉戸に描かれた小千鳥。
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森雄山の銘がある。

一階広間の小鳥たち。
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一階廊下には鴨。
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こちらは孔雀。f:id:Melonpankuma:20180222153035j:plain
この他にも、様々なところで鳥モチーフを見ることができます。

本邸の後に3階建ての土蔵も回り、足先の感覚がなくなるほどに冷えてからこちらを出ました。

あまりに寒かったので、他の建物を回る気力が失せました。しかし、せっかく遠出しているのだから、もう一つくらいは見たいと思って、高橋是清邸へ向かいました。この日は小学生の郊外授業もあって、集団と鉢合わせしないよう、タイミングをずらすのが大変だったりもしたのですが、なんとか。

《高橋是清邸》
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経済通の政治家として、明治から昭和の初めにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋部分である。是清は、赤坂の 丹波篠山藩青山家の中屋敷跡約6,600平方メートルを購入し、1902年(明治35)に屋敷を建てた。総栂普請(そうつがぶしん)の主屋は、複雑な屋根構成をもっており、また当時としては高価な硝子障子を、縁回りに大量に使用している。赤坂にあったころは、主屋のほか3階建ての土蔵や、離れ座敷がある大きな屋敷だった。

赤坂にあった政治家の高橋是清邸の主屋部分を移築したもので、是清は本所押上から赤坂へと移り住み、1902年(明治35)にこの家が完成してから、1936年(昭和11)の2・26事件で暗殺されるまでの30年あまりをこの家で過ごしたそうです。

一階の南、それぞれ十畳の二間に反った日当たりのよい縁側。
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当時のままの、手吹円筒法で作られた手延の板ガラスが使われています。

二階の南、是清が暗殺された寝室に沿った縁側です。f:id:Melonpankuma:20180220162416j:plain

二階の奥にある15畳の間。
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 硝子障子の模様がとてもきれいでした。f:id:Melonpankuma:20180220162417j:plain
ここはガラスが多くて陽当たりがよかったこともあって、三井家よりは冷えずにすみました。

2月に入り、園内の梅もちらほら咲き始めていました。
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この辺ならウメノキゴケが見つかるかと思って少し回ってみたのですが、私でも同定できそうなほど明らかなものは見当りませんでした。

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もっと時間があれば小金井公園の梅林まで足を運んだのですが、残念。

ビジターセンターに戻って、展示室へ。
武蔵野の歴史と民俗展を開催していました。
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武蔵野の考古資料として土器やアクセサリーの展示、その他に、民俗資料の展示がありました。
《絵馬》
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《小絵馬「八つ目」》は、病眼(やむめ)と読んで眼病治癒を祈ったもの。他に、縁切りだとか酒断ちだとか、切な願いが並んでいました。

《郷土玩具》
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《江戸姉様》《今戸土人形》《犬張子》が並んでいます。この他に、《すすきみみずく》や《弾き猿》などもありました。

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下段中央にあるのは、《王子稲荷暫狐(紙からくり)》です。馬の博物館で見た、北斎の《馬尽 初午詣》に描かれていました。実物が見られてうれしい。

melonpankuma.hatenablog.com

残念ながら、ここでタイムアップ。大急ぎでバス停まで走りました。

それにしても、ここは一日過ごせそうな場所でした。工事中で入れないところもたくさんありましたし、見足りない気持ちでいっぱいです。またチャンスがあれば積極的に足を運びたいと思います。