ジャンル別展示@東京国立博物館 本館

天気が良いと花粉が気になる季節になりました。雛かざりの展示をお目当てに、またまた東博へ行きました。
f:id:Melonpankuma:20180228120524j:plain
仁和寺展の入場一時間待ちの看板を横目に本館へ。ロッカーを心配しましたが、空きがあってほっとしました。

いつものように気になったものをメモとして残します(◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

本館 14室 おひなさまと日本の人形

www.tnm.jp

3月3日は桃の節供。雛祭にちなんで恒例となった特集を行います。今回は江戸の有力な郷士であった日比谷家に伝来した大揃えの古今雛を中心として、主に江戸時代の関東地方で製作された雛人形・雛道具を展示します。三谷家伝来の牙首雛や山本家伝来の古今雛といった富裕層の雛人形とともに、越ヶ谷雛や鴻巣雛といった庶民の雛人形をあわせて展示することで、江戸時代の関東地域における雛文化を概観します。また嵯峨人形や賀茂人形、奈良人形といった関西地域で製作された木彫人形をあわせて展示します。

牙首雛 江戸時代・嘉永3年(1850)頃
f:id:Melonpankuma:20180228121015j:plain

頭や手足を象牙で作った極めて豪華なお人形です。表情も一つ一つが個性的で、小さいながらも高度な技が見てとれます。江戸を代表する豪商の一つ、三谷家に伝来したお雛さまで、京都御所の正殿である紫宸殿を模した精巧な御殿を伴っています。

 ColBase:牙首雛

胴体は木製で織物を貼り付ける木目込み技法で作られている。お顔はぱっちりお目々が可愛らしい。手前の三体は掃除道具を持っています。小さくも細やかな造りで、単眼鏡で長く見入りました。
三谷家は江戸で明暦年間(1655‐58)以前から続いた本両替商。大名貸で活躍した大坂の鴻池善右衛門と江戸の三谷三九郎は、東西を代表する御用達と称された。投機の失敗により明治8年破産(三谷三九郎事件)した。

古今雛 1対 末吉石舟作 江戸時代・文政10年(1827)
三人官女 1組 末吉石舟作 江戸時代・文政10年(1827)
f:id:Melonpankuma:20180228121129j:plainf:id:Melonpankuma:20180228121453j:plain

古今雛は江戸で成立した雛人形の様式で、豪華な衣裳をまとった写実性の高い身体表現が特徴です。本作は名工として名高い末吉石舟80歳の作で、高貴な顔立ちにゆったりと安定感のある姿、紫を基調とした落ち着いた衣裳の色合いが調和した古今雛の名作です。

ColBase:古今雛

大変豪華で美しいお雛さまです。下げ髪で、引眉に眉化粧した高貴な顔立ちが印象に残ります。衣装は、男雛が紫の袍に唐草梅鉢文、女雛の唐衣はそのお揃い。女雛は幸菱模様の白の単、裳と五衣の裏地は紅梅色で、打衣の萌黄色との組み合わせがとても上品です。
下段左に《雛道具 駕籠》《雛道具 爪折傘》《雛道具 薙刀》《梨地蒔絵雛道具》《雛道具衣桁》が並べて展示してあります。三人官女の真ん中、盃を持つ官女が安藤サクラさんに似ていて、よいお顔をしていました。

f:id:Melonpankuma:20180228121330j:plain

四季花鳥図雛屏風 6曲1双 江戸時代・19世紀
f:id:Melonpankuma:20180228212609j:plain

《立雛 1対 江戸時代・19世紀 江澤由三郎氏寄贈》
f:id:Melonpankuma:20180228121356j:plain

《古式次郎左衛門雛 1対 柴田是真旧蔵 江戸時代・17~18世紀》
f:id:Melonpankuma:20180228121513j:plain

まん丸の頭にちょんと付けられた目鼻。こうした顔の雛人形は京都の雛屋次郎左衛門によって大成されました。本作はいまだ手先をつくらない点が紙雛に近く、特に古式な作品と考えられます。現代に引き継がれる衣裳を着た座雛の成立を考える上でも重要な作品です。

ColBase:古式次郎左衛門雛

《元禄雛(古式享保雛) 1対 江戸時代・17~18世紀》
f:id:Melonpankuma:20180228121545j:plain

雛人形の発展史においては、紙製の立雛についで織物の衣装を着た座雛が現れます。なかでも本作のように小型で、基本的な衣装を金襴という金糸を用いた織物で作ったうえ、男雛の冠を頭部と共造りにしたものが初期段階の作と考えられます。

ColBase:元禄雛(古式享保雛)

《古今雛 1式 日比谷家伝来 江戸時代・安政7年(1860)》

f:id:Melonpankuma:20180228121607j:plain

江戸で製作された古今雛形式の雛人形。江戸製の古今雛は現存例が大変少ないなかにあって、大揃いの雛人形一式を完備した貴重な例です。江戸の豪農であった日比谷家に伝来した作品で、安政7年に日比谷健治郎の長女しんの初節句のために誂えられました。

日比谷健治郎は小右衛門新田(現在の東京都足立区中央本町)の郷士。日比谷家は家康の江戸入府以前からの江戸の郷士で、古くからその土地の代表(納名主)を勤め、代々幕府の行政組織の一端を担ってきた。

f:id:Melonpankuma:20180228121617j:plain

f:id:Melonpankuma:20180228122151j:plain

f:id:Melonpankuma:20180228122131j:plain

f:id:Melonpankuma:20180228122142j:plain

f:id:Melonpankuma:20180228212359j:plain

f:id:Melonpankuma:20180228212322j:plain
右隻に桜、左隻に紅葉の六曲一双の屏風つき。内裏雛も従者たちも、たいへんよいお顔をしていますし、衣装も吉祥を込めた有職文様で大変美しいものばかり。

三折れ人形 1体 秋月(3代原舟月か)作 江戸時代・19世紀
f:id:Melonpankuma:20180228222250j:plain

腰や腿・膝・足首の関節を曲げられる三折人形。ひざの関節を曲げると、ふくらはぎが腿の後ろ側に作られたくぼみにぴたりと収まるようになっており、立つ、座る、両方のポーズをとらせることができる。御所人形のような大きな頭が愛らしい。

ColBase:三折れ人形

舟月(秋月と音通)は日本橋十軒店の古今雛を生み出した名工。三代目は山車職人としても有名で、人形の他に多くの山車が現存している。

《内裏雛(賀茂人形) 1対 江戸時代・19世紀》
《五人囃子(賀茂人形) 1組 江戸時代・19世紀》
f:id:Melonpankuma:20180228122205j:plain

加茂人形とは、柳や黄楊などの木材を彫って象った人形に、縮緬や金襴などの裂をかぶせた木目込み人形です。一説には、元文年間(1736~41)に京都の賀茂神社の雑掌・高橋忠重が、柳筥を作った木っ端を使って制作したのが始まりといわれています。

Colbase:内裏雛(賀茂人形)

本館 15室 歴史の記録

《◎九州沿海図(小図) 1幅 伊能忠敬作 江戸時代・19世紀
f:id:Melonpankuma:20180228122658j:plain

文化6年(1809)から8年にかけての第一次九州測量の成果に基づく小図(縮尺43万2千分の1)。その時点で未調査の肥前、筑前、筑後の3か国分を欠いている。当館にはこの時の測量による中図1幅、大図21幅が併せて伝わる。

Colbase:九州沿海図(小図)

《◎九州沿海図(大図) 第十五 薩摩国甑島 1幅 伊能忠敬作 江戸時代・19世紀
f:id:Melonpankuma:20180228122709j:plain

大図は縮尺36000分の1で、1町(約109m)を1分(約3mm)に縮小している。山岳、海浜など自然の風景、街道筋の様子、各地の城下などを着色で巧みに描き、正確さと美しさを兼ね備えた図となっている。

Colbase:九州沿海図(大図)

《◎東海道分間延絵図 品川:池上・新田社、川崎大師河原、神奈川、保土ヶ谷、戸塚、藤沢 1巻 道中奉行所編 浅草文庫旧蔵 江戸時代・文化3年(1806)

f:id:Melonpankuma:20180228122720j:plain

「五海道其外分間延絵図並見取絵図」は、江戸幕府が東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の五海道及びその主要な脇街道の実態を把握するために作成した絵図。道中奉行の直轄事業として寛政12年(1800)から7年の歳月を費やして完成した。

Colbase:五海道分間延絵図

今昔マップと照らし合わせて眺めると、とても面白い。

《◎東海道分間延絵図 平塚、大磯、小田原、箱根、箱根権現 1巻 道中奉行所編 浅草文庫旧蔵 江戸時代・文化3年(1806)
f:id:Melonpankuma:20180228122728j:plain
お伊勢参りの気分で、端から端まで大変楽しく眺めました。

本館 18室 近代の美術

梅と蓮 2曲1双 大智勝観筆 大正9年(1920)
f:id:Melonpankuma:20180223223353j:plain

勝観は、日本美術院の再興に参加して、小林古径らとともに同人に推挙され、後に美術院経営者となるなど、院の発展のために尽くした。勝観は、横山大観の画風を慕いながら、清爽と梅と蓮を形つくる本作のように、軽妙な趣を感じさせる作品を描いている。

阿房宮 1幅 荒木寛畝筆 元治元年(1864)
f:id:Melonpankuma:20180223223351j:plain

阿房宮は、秦の始皇帝が黄河の大支流、渭水の南に築いた一万人を収容できたという宮殿。寛畝は、幕末には土佐藩の絵所預となり、明治になると宮中の御用絵画を多く描いた。その画業の中心は、花鳥画であるが、本図では大画面に精緻な筆致で広大な宮殿を描く。

Colbase:阿房宮

壮大なお屋敷に女ばかりびっしりと描き込まれています。

《御夢 1幅 安田靫彦筆 大正7年(1918)》
f:id:Melonpankuma:20180223223352j:plain

『太平記』に取材した作品。後醍醐天皇が、笠置山(京都府)に逃れたとき、ある夜みた不思議な夢にしたがい、楠木正成が召し出されることとなった。帝は、屏風から金巾子の冠がのぞきその存在が示される。靫彦は、歴史人物の個性的な表現で注目をあびた。

Colbase:御夢

安田靫彦は、歴史上の情景や人物などを主題とした歴史画を得意とし、日本美術院の中心画家として活躍した。

老子 1幅 下村観山筆 大正時代・20世紀
f:id:Melonpankuma:20180223223350j:plain

(旧題箋) 老子は道家の開祖として知られる中国周時代の思想家。乱世を逃れて関に至ったときに「道徳経」を著して、無為自然の<道>の思想を説く。のちに荘子の思想とともに老荘思想と呼ばれた。穏やかな風貌を描く本図は観山晩年の得意の道釈人物画の一例である。

《都(京名所)八題 8幅 前田青邨筆 大正5年(1916)》
f:id:Melonpankuma:20180223223349j:plain

縦長の画面を生かした上から見下ろした京の八つの名所の連作。墨の味わいに重点を置いた作品。墨と水分の割合に応じた墨の滲み具合が、それぞれの場所で適切に効果を上げているので、手品のようだとさえ評された。明治期の実業家の原三渓が愛蔵した。

ColBase: 京名所八題(都八題)

縦型の構図が面白かった。

 

雛かざりを堪能して満足した帰り、梅蘭でかた焼きそば。
f:id:Melonpankuma:20180301165546j:plain
終盤に悩みつつ辛子の小袋4個目を開けたら、最後辛くて泣きました。