日本美術の流れ@東京国立博物館 本館

東博です。忙しさにかまけて一ヶ月ほど東博通いができずにいたら、すっかり常設展示が入れ替わってしまいました。 
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仁和寺展が大盛況のようで、この日も正門からの人の流れが平成館に向かっていました。話によると平日の昼で入場待ち20分とか。本館のロッカーも空きが少ない状況でした。

いつものように気になったものをメモとして残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

本館 1室 仏教の興隆―飛鳥・奈良

《菩薩立像 1躯 飛鳥時代・7世紀》
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飛鳥時代前期の木彫の稀少な作例の一つです。頭体幹部をクスノキの一材から彫り出しています。『日本書紀』には用明2年(587)に坂田寺の木の丈六仏を造った記事があり,仏像製作の初期から木彫が行なわれたことが知られます

柔らかい表情がいいですね。誰かに似ているような気がして考えていたら、小泉前首相を思い出しました。

本館 2室 国宝 賢愚経(大聖武)

《国宝 賢愚経(大聖武)》

『賢愚経』は『賢愚因縁経』ともいい,賢者愚者に関する譬喩的な話を集めた経典である。大ぶりで端正な字形,重量感溢れる筆致で書写され,聖武天皇の筆と伝えるが自筆ではない。料紙は釈迦の骨粉を混ぜた荼毘紙といわれるが,香木の粉末を漉きこんだもの。

聖武天皇筆との伝承があり「大聖武」の名で呼ばれる。

本館 3室 仏教の美術―平安~室町

毘沙門天立像 1躯 慶算作 鎌倉時代・文永8年(1271)

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像内の銘文から尊名や制作年、作者が判明する。毘沙門天は四天王のうち多聞天の異名で、単独で信仰を集めた。引き締まった体、左脇をしめ右肘を張るという運慶以来のスタイルを継ぎながら、より誇張された表情となる。左手には仏塔を載せ、右手には戟を執っていたか。

玉眼入り、逆八の字の眉。

《◯両界曼荼羅図 2幅 鎌倉時代・14世紀 個人蔵》
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両界曼荼羅図は真言密教の世界観を、大日如来を中心とした多数の文京郡の構成で象徴したもの。本来別々に成立した『大日経』に基づく胎蔵曼荼羅と『金剛経』に基づく金剛界曼荼羅を一組とするので両界曼荼羅という。

当麻曼荼羅図 1幅 鎌倉時代・14世紀
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当麻曼荼羅は、元は奈良県の当麻寺に伝来する綴織の阿弥陀変相図のことで、藤原豊成の娘である中将姫が蓮の糸を用いて一夜で織り上げたという伝説がある。鎌倉時代以降、その原本を転写した図が盛んに製作されるようになった。本品もその一例。
中央に転法輪印の阿弥陀三尊とそれを取り巻く37体の仏菩薩、上下に楼閣、宝池、宝地、宝樹のほか、諸菩薩たちが楽器や舞を演じる舞楽会が描かれる。外縁は区切られて左に『観無量寿経』の序にあたる部分、右に『観無量寿経』の十六観のうちの13の観法、下に十六観のうちの残りの3つ、九品来迎図九図が描かれている。

《摩尼宝珠曼荼羅図 1幅 鎌倉時代・14世紀》
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摩尼宝珠は龍王の脳から出たとされる玉で、あらゆる願いをかなえるといい、密教で篤く信仰された。二層の楼閣の中にある緑色の三つの玉がそれである。その下方の2匹の龍王、頭上に9面を表わす難陀(右)、7面を表わす跋難陀(左)がこれを護持する。 

 五大虚空蔵菩薩像 1基 南北朝時代・14世紀
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五大虚空蔵菩薩は、虚空蔵菩薩の功徳を五つに分けて、それぞれを菩薩としたもの。方位によって中央の法界、東方の金剛、南方の宝光、西方の蓮華、北方の業用虚空蔵の名があり、持ち物で区別されている。

孔雀明王図像 1幅 平安時代・12世紀 
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孔雀明王は息災や除病の利益をもたらす明王。本作品は紙背墨書より、高野山の玄証(1146~1222)の所持本であったことが分かる。玄証は図絵をよくし、多くの図像類の収集にもつとめた画僧。その来歴も含め、平安期の希少な孔雀明王像として貴重である。

翼を広げた孔雀の上に結跏趺坐した、慈悲相の一面四臂の明王白描図。右第一手に蓮華、右第二手に果物、左第一手に球体、左第二手に孔雀の尾をもつ。画面いっぱいの明王と孔雀は、ともに正面向きで動きに乏しく、四隅に置かれた宝瓶とともに一種の曼荼羅風に描かれ、空海が中国からもたらした伝統的な構成。
平成館で開催されている仁和寺展で、北宋時代の名品、国宝《孔雀明王図》の展示があったので、それと対比しての展示。日本化への過程と正面観の強調。

千手観音二十八部衆像図像 1幅 鎌倉時代・13世紀
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山水を背景として結跏趺坐した千手観音像を中央に、その周囲に二十八部衆像が描かれている。

《◎親鸞聖人伝絵 巻第四 1巻 南北朝時代・康永三年(1344) 千葉・照願寺蔵》

浄土真宗の祖・親鸞の生涯を描いた伝記絵巻で、外題は親鸞の曾孫・覚如(1270~1351)によって書かれている。通常よりも大きめの料紙を用い、堂々たる風格をそなえる。上質の絵の具を用い、景物も丹念に描き込まれ、本格的な絵師の手になるものと思われる。

《◎祈雨法日記 1巻 勝賢筆 平安時代・建久2年(1191)
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醍醐寺座主勝賢(1138~96)が建久2年(1191)5月に行った祈雨法の様子を自ら記したものである。勝賢は祈雨法の名手としてよく知られていた。なお紙背には、勝賢の書状の草案、勝賢やその周辺に宛てた書状、仮名消息、願文などがみられる。

仏説転女成仏経 1巻 平安時代・12世紀
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この経典は女人の成仏を説くものとしてよく知られている。本巻は、平安時代に高貴な女性の供養を目的とし、その人物が書いた消息を料紙としたもの。消息の文字のある面を表にして継いで、金界を施し、第1紙のみに金字で経文が書写されている。

本館 3室  宮廷の美術―平安~室町

狭衣物語絵巻 1巻 江戸時代・17世紀
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狭衣物語絵巻のあらすじ  関白堀河大臣の息子に狭衣中将という美青年がいた。18歳になった狭衣は、従妹で先帝(堀河大臣の父)晩年の子である源氏宮に想いを寄せていた。狭衣は、源氏宮の気持ちや世間の風評を気にして想いを打ち明けられずにいたが、時の東宮も源氏宮に想いを寄せていることを知る。そんなある日、狭衣は坊主を乗せた不審な女車に遭遇し、仁和寺の僧に誘拐されそうになっていた飛鳥井姫君を救い出す。狭衣は姫君を家に送り届け、これが縁となって、狭衣は姫君のもとへ通うようになった。

ColbBase:狭衣物語絵巻

狭衣物語歌合断簡(姫路切) 1幅 伝藤原為家筆 鎌倉時代・13世紀
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『源氏物語』『狭衣物語』から和歌を抽出して100番の歌合にしたもので、もとは冊子本である。恋、別、旅、哀傷、雑の各部に分けており、藤原定家が、建永元年(1206)ごろ撰出したといわれている。名前は、姫路の城主・酒井家に伝来したことに由来するものか。

ColBase:狭衣物語歌合断簡(姫路切)

本館 3室 禅と水墨画―鎌倉~室町

月梅図 1幅 柴庵筆 室町時代・16世紀
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柴庵は室町時代の画僧。京都相国寺に住んだ。
月を刺し貫かんとばかりに枝を伸ばす梅。冷たい月に輝く白い花。今の季節にふさわしい絵でした。

山水図 1幅 伝周文筆 室町時代・15世紀
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瀟湘八景図のうちの江天暮雪にあたるとみられる図で、もとは障壁画の一部であろう。日本の15世紀の水墨山水画では、中国・南宋の宮廷画家、夏珪の画風が流行する。本図も夏珪の画風に倣って描かれている。

《◎四季山水図屏風 6曲1双 楊月筆 室町時代・15世紀
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この作品のように室町時代の水墨山水画の屏風では、ふつう右から左に春夏秋冬の順序で景が配置される。また山市晴嵐、漁村夕照、烟寺晩鐘、洞庭秋月、遠浦帰帆、平沙落雁など、中国・北宋時代に始まる瀟湘八景図の主要モチーフが描き込まれていることが多い。

ColBase:四季山水図屏風

教科書に使いたくなるほど、わかりやすい瀟湘八景図だと思って見ていましたが、瀟湘夜雨。

本館 7室 屏風と襖絵―安土桃山~江戸

群仙図屏風 6曲1隻(1双の内) 横山華山筆 江戸時代・19世紀
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華山は、幕末の京画壇で諸派を学び、独自の地位を築いた画家。本図は、呉春に学んで習得した軽妙な筆線と色彩を用いる四条派の画風で、左右に4人ずつの仙人を描く。中国由来の典型的な八仙人ではなく、当時の仙人に対す様々なイメージがあらわれている。

展示は一双のうちの右隻で、女仙の何仙姑、龍に怯える馬を宥める張果老、鶴と共にいるのは林和靖、龍を呼ぶ呂洞賓。

《蘭亭曲水図屏風 6曲1双 松村景文筆 江戸時代・19世紀》
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中国・東晋の穆帝の永和9年(353)3月、文雅の士41人が蘭亭に会して、曲水に觴を流して詩を賦した。このときの詩集に王羲之が序を作ったのが「蘭亭集序」として有名。その情景を描いている。景文は、町衆に受け入れられた四条派の祖呉春の異母弟である。

ColBase:蘭亭曲水図屏風

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東博では現在桃の節句にちなんだ展示の他、蘭亭で曲水の宴が開かれたのが3月3日ということで「蘭亭曲水図」も展示されていた。これは金粉を撒いた豪華な屏風ですが、描かれている文人らは、実にゆるゆると寛いでいます。私も彼らに倣って、展示されている正面のソファに腰掛けてぼーっと眺めました。

海辺老松図襖(旧帰雲院障壁画) 4面 円山応挙筆 江戸時代・天明7年(1787)
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もと京都・帰雲院(南禅寺塔頭)の障壁画の一部。応挙54歳の絶頂期の作で、同じ頃に讃岐の金刀比羅宮や兵庫の大乗寺などの障壁画を手掛けている。墨の陰影を巧みに用い、海上から遠景に漂う霧の存在を巧みに描き出している。

本館 8室 暮らしの調度―安土桃山・江戸

吉野山蒔絵棚 1基 江戸時代・19世紀
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違棚を含めて五段の棚をもうけた大型の飾り棚。二の棚・五の棚に引き戸、四の棚に観音開きの扉を付ける。表面には金粉を密に蒔き付け、高蒔絵を主体にして吉野山の図を描く。金銀の金貝、金の切金を交えて、桜花爛漫の山水を豪華に表わしている。

蒔絵で花盛りの吉野山を描いているだけでなく、金具も取っ手もどこを見ても花模様だらけで、大変かわいらしい。

色絵椿松竹梅文透入重蓋物 1具 京焼 江戸時代・18世紀
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三段重のそれぞれの段の四方には透を入れて網目とし、蓋もまた透を入れて、いかにも京焼らしい雅で技巧に富んだ作品。外側には松を描き、蓋は椿を表わす。そしてそれぞれの段の見込みには松・竹・梅を金彩も交えて華やかに描き、めでたさに満ちた作となっている。

色絵竹図徳利 1口 京焼・御菩薩池 江戸時代・17~18世紀
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精緻な轆轤の技によりすらりと伸びた頸部が印象的な徳利。色絵で赤彩を使わずに緑彩と青彩に金彩という三色で彩るのは古清水の典型的な作風である。底部に捺された「御菩薩池」の印から、古清水の作風の中でも早い時期のものと考えられている。

ColBase:色絵竹図徳利

細い首。零さずにお酒を入れるのが難しそう。上の透入重といい、この徳利といい、古清水の色合いが好みです。

色絵梅花文茶碗 1口 仁清、「仁清」印 江戸時代・17世紀
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京焼の色絵を大成したのが野々村仁清であった。優美な形や鋭い高台の削りに技の冴えが見られ、上絵具に金銀泥を加えた華やかな梅図には小画面ながらも大幅の気宇が宿る。口縁が少し歪むのは、桃山の歪みの造形精神を仁清らしく端正に仕上げた結果である。

志野松図平鉢 1口 美濃 安土桃山~江戸時代・16~17世紀
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志野は白いということと、絵を描くことができるということで画期的な焼物であった。この鉢も志野の魅力を生かして、見込みいっぱいに松の絵を描く。志野の長石釉が完全な透明釉でないことで、この松の図も水墨画を思わせる風韻のある表現となっている。

赤織部沓形茶碗 1口 美濃 江戸時代・17世紀
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赤織部とは美濃の織部焼の中で、素地に鉄分を含ませることで赤い色調を出したもの。この茶碗は形をいかにも織部焼らしく歪ませて沓形とする。文様は赤地を生かして白泥を効果的に使い、これに鉄絵をあわせて、梅花に重ね裂、さらに間道文様を描いている。

《束帯》と《女房装束》の展示については、こちらの記事に書きました。

melonpankuma.hatenablog.com

本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸

本館8室、定点撮影。
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平日の昼は、いつもこんなもん。

孫思邈図 1幅 狩野探幽筆 江戸時代・寛文6年(1666)
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中国唐時代の名医として誉れ高い思邈を太く抑揚のある線で描き、虎は輪郭線を省いた没骨法で描き分ける。虚空を仰ぎ見る視線にそって、余白に斜線を入れて動きを出す。探幽は、徳川将軍家の御用絵師として、狩野派一門の繁栄を築いた。その晩年65歳の大作。

帽子の紐と髭が煽られているので下から風が吹いているように見えるが、着衣が乱れていないところを見ると、顔から気を吐いているのでしょう。背もたれにするほど懐いている虎も、その気合いに驚いています。

尾長鳥図 1幅 狩野探幽筆 江戸時代・寛文10年(1670)
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画面外からはつらつと伸びる海棠の枝に、ふわりととまる華麗な尾長鳥、下方に蛇行する水の流れ。それらが軽快なリズムを刻んで映し出される。彩色もごく淡い。なんと繊細優美な画面だろう。まさに「引き算の美」。落款から探幽69歳、晩年の作と知られる。

猿猴図 1幅 狩野山雪筆 江戸時代・17世紀
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お猿の微笑み。牧渓画をもとに多くの画家が手長猿を描いたが、こんなに愛くるしい画があっただろうか。山雪は、墨の和紙への浸透をコントロールし、滲みによって毛のふくらみを見事に表わしている。可愛さは高度な技術に支えられていたのだ。かつて京都・妙心寺海福院にあった。

ColBase:猿猴図

耳に力の入った得意げなお顔に右膝の丸みが何ともいえない。

《◎松巒古寺図 1幅 田能村竹田筆 江戸時代・天保3年(1832)頃
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田能村竹田(1777~1835)は豊後(大分県)岡藩の儒者であったが、藩政への不満から辞職し、詩画三昧の世界に余生を送った。この作品は頼山陽および青木木米との親交を裏付けるもの。山陽の求めで描き、上京の際に持参したが、すでに山陽が没して数ヵ月を経ていたため、木米に贈ったことが、賛に記されている。

《◎佐藤一斎(五十歳)像 1幅 渡辺崋山筆 江戸時代・文政4年(1821)
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佐藤一斎(1772~1859)は、幕府儒官となり、門人3000人ともいわれた儒学の大家で、生涯の節目に数人の画家に描かせた肖像画を残す。そのうち、この50歳像は、儒学の弟子であった29歳の渡辺崋山(1793~1841)が、10数度の画稿を経て制作した入念な一作。目や口などの顔貌表現に、西洋画法を取入れた徹底した写生の成果が表われ、伝統的な東洋画法に則った衣の表現と、無理なく調和している。図上に貼付された賛は、この肖像が描かれた3年後に、一斎自身が書き加えたものである。

佐藤一斎は、湯島聖堂にあった昌平坂学問所の塾頭の地位にあり、幕末の思想家を数多く育てた。
眉間に緊張のある、幾分神経質に見えるお顔です。蛮社の獄で、佐藤一斎が昌平校の名簿から渡辺崋山の名前を削除したことを思いながら観ると、さらに感慨深いものがあります。

佐藤一斎(七十歳)夫妻像 2幅 椿椿山筆 江戸時代・天保12年(1841)
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渡辺崋山筆の五十歳の肖像と比べたら、幾分優しげな表情に見えますが、相変わらず眼光鋭い。両手をにぎる奥様も表情に緊張があり、厳格そうなお顔に思えます。佐藤一斎を描いた本品の画稿も残されています。

《◎高久靄厓像 1幅 椿椿山筆 江戸時代・19世紀 個人蔵

椿椿山と高久靄厓は、蛮社の獄で逮捕された渡辺崋山の救済に共に尽力するなど交流があった。靄厓没年の姿を写した弘化2年(1845)の画稿が現存し、本図はその後ほどない時期の制作と考えられる。崋山から学びつつ、独自の温和な画風を展開した椿山の代表作

拡元先生像 1幅 円山応挙筆 江戸時代・安永8年(1779)
端淑孺人像 1幅 円山応挙筆 江戸時代・18世紀
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崋山、椿山のを観た後だと、なお応挙の日本画の技が光ります。

花鳥図屏風 6曲1隻 岡本秋暉筆 江戸時代・嘉永7年(1854)
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秋暉は、幕末期の画家で、小田原藩主大久保家に仕えた。写実的で精緻な表現を基調に装飾性が加味された花鳥画を得意とした。背景を水面のみで処理して、薔薇と白梅と岩、鵜や鴨などを描き込み、構図の平明さを目指した作品となっている。

見立業平涅槃図 1幅 英一蝶筆 江戸時代・18世紀
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美男の業平の死を多くの女性が嘆き悲しむ。釈迦入滅の様子を描く涅槃図のパロディだ。筆者一蝶は狩野門から出た画家。大名がらみの醜聞事件により伊豆三宅島に配流されるが、帰還後も人気を博し、江戸の市民生活をいきいきと描き出し個性派として活躍した。

釈迦涅槃図ではなく業平の涅槃図というだけで笑ってしまう。衣冠姿で横たわる業平の回りに描かれているのは女ばかり。高貴な姫も老婆も尼さんも。雲に乗っているのは摩耶夫人ならぬ、業平の母、伊都内親王でしょうか。当然動物も雌なのでしょう。虎ではなくて豹だし、他の獣も顔が優しく見えます。

《◯蘭亭曲水図巻 1巻 中山高陽筆 江戸時代・安永7年(1778) 個人蔵》

王羲之が蘭亭に文人を集めて催した作詩の会が主題。筆者高陽は高知城下の商家の次男。絵を彭城百川に学んで江戸に出、土佐藩お抱え絵師となった。この画巻は晩年の代表作で、62歳の夏に2日で仕上げたと奥書に記す。親交のあった書家沢田東江が題跋を寄せる。

《行書対聯「直指人心 見性成仏」 2幅 清巌宗渭筆 江戸時代・17世紀》
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清厳は安土桃山・江戸前期の臨済宗の僧。自笑子・嫉陋子(しつろうし)と号した。玉甫紹琮について得度し、玉甫の寂後、玉穂の法嗣となった。その書は張即之の影響を強く受けている。対聯の語句は仏語で人間が生まれながら持つ仏性を直接に体得せよとの意。禅宗の悟道を示す語である。

ColBase:行書対聯「直指人心 見性成仏」

本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)

炬燵美人図 1幅 歌川豊国筆 江戸時代・19世紀
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歌川豊国は、歌川豊春の弟子。はじめ師に倣った人物画を描いたが、美人画では鳥居清長・喜多川歌麿の、役者絵では勝川派の画風を取り入れて、庶民に人気の様式で描いた。以後も時々の好みに合わせてさまざまなスタイルを確立し好評を博した。

《美人雪こかし 1枚 鈴木春信筆 江戸時代・18世紀》
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雪こかしは、雪玉を転がして大きくしていく雪遊び。竹に積もる雪、美人が転がす大きな雪玉がきめ出しで表されている。

あやとり二美人 1枚 鈴木春信筆 江戸時代・18世紀
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こたつに入って、真剣な面持ちであやとりをする二人の美人。床の間は紗綾柄、部屋の奥に墨馬図屏風。

見立鉢の木 1枚 鈴木春信筆 江戸時代・18世紀
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謡曲「鉢木」の場面を女性にやつして描いた作品。「鉢木」は、大雪の夜、貧しい武士が旅の僧を泊め、大事にしていた梅・桜・松の鉢の木を火にくべてもてなすが、その僧が実は北条時頼で、後にそれが報いられ、鉢植えのお礼として3つの領地を与えられた、というストーリー

外では、右手に刃物、梅の盆栽に手をかける美人。縁側で障子にもたれかかる美人は、袖から手を抜いて首元で指先を温めているのでしょう。竹格子の丸窓は雪の日には寒そうです。

《◯二代目市川高麗蔵と二代目山下金作の鉢の木 1枚 一筆斎文調筆 江戸時代・18世紀》
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謡曲「鉢木」を当時の人気役者、二代目市川高麗蔵と二代目山下金作が演じる場面を描く。一筆斎文調は、勝川春章とともに鳥居派が描いていた様式的な役者絵ではなく、個々の役者の特徴を捉えた肖似性のある役者似顔絵を描き、その後の役者絵に影響を与えた絵師。

市川高麗蔵の定紋は三升の中に髙の字、山下金作は九枚笹の竜胆紋。九枚葉笹竜胆とでも呼べばよいのでしょうか。

《新後撰・俊成 1枚 鈴木春信筆 江戸時代・18世紀》
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外には夜の梅。女が男の手を引いて外に誘っているのか、それとも男が女を部屋に引き入れようとしているのか。いずれにしても、女の心は梅に向いている様子。雲中には、玉葉集春の藤原俊成の「色につき匂にめづる心とも 梅がえよりやうつりそめけん」が書かれている。新後撰と書いたのは、春信の勘違いでしょう。

《◯市川八百蔵・瀬川菊之丞の相合傘 1枚 一筆斎文調筆 江戸時代・18世紀》
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和事(わごと)、荒事(あらごと)を得意とした二代目市川八百蔵と女形二代目瀬川菊之丞による雪中の道行(みちゆき)を描いたもの。しばしば相合傘は心中の道行きを示唆した。寄り添う恋人どうしの哀切感がしっとりと伝わってくる。

ColBase:市川八百蔵・瀬川菊之丞の相合傘

和傘に市川八百蔵の定紋である三升の中に八と、瀬川菊之丞の定紋である丸に結綿が描かれている。

《祭礼・初午 1枚 北尾重政筆 江戸時代・18世紀》
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北尾重政は、版元須原屋三郎の長男であったが家業を弟に譲り、画業に専念して北尾派の祖となった。勝川春章や歌川豊春と同じく鈴木春信風の美人画から始まり、堅実で格調のある独自の様式を確立した。北尾派には文学関係と関わり深い弟子が多く育った。

初午はその年の豊作祈願が原型で、それに稲荷信仰が結びついたもの。子どもたちが稲荷神社の前で狐面をつけて踊っている。しめ縄についている紙垂(しで)が伊勢流。

待乳山の雪見 1枚 鳥居清長筆 江戸時代・19世紀
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待乳山は現在の浅草、隅田公園内にある小さい丘。山上に聖天宮があり、花柳界の信仰が厚かった。

《東都名所・亀戸梅屋舗ノ図 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
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亀戸梅屋敷で老若男女が梅見を楽しむ様子が描かれている。一句詠んでは梅の枝に吊るす習慣もあったようで、紙と筆を手に思いを巡らす男の姿も見える。空には紅色のほかしが入れられており、春ののどかな雰囲気が巧みに表現されている。

《東都名所・真乳山雪晴 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
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こちらは隅田川対岸から見た真乳山。

東都名所・亀戸天満宮境内雪 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀
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歌川広重は江戸名所を描いた作品を多く制作し、「東都名所」と題した作品も数シリーズ知られている。本図は佐野屋喜兵衛から出版されたもので、人気が高く、同じ版を用いて再シリーズ化がなされた。亀戸天満宮の静かな雪景色がぼかしを効果的に用いて描き出されている。

Colbase:東都名所・亀戸天満宮境内雪

右手に社殿、そこに繋がる雪の積もる男橋女橋の二つの太鼓橋と梅の木を描いている。左奥に見えるのは藤棚でしょう。

《江戸名所三ツの眺・日本橋雪晴 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
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「江戸名所三ツの眺」は、「日本橋雪晴」の他に、「御殿場山花見」・「両国夏の月」を加えた「雪月花」をテーマとした3枚揃。上下にすやり霞を配し、広やかな風景が描かれている。本図は雪晴れの日の賑わいを色数抑えてかいた優作として知られている。

Colbase:江戸名所三ツの眺・日本橋雪晴

日本橋川下流側から雪の日の日本橋を描いたもの。遠景に富士山。橋の上を行き交う人びと、その下には多くの川船が行き交う。

京都名所之内・祇園社雪中 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀
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日本最大といわれる珍しい石造りの鳥居に掲げられた感神院の額。今の京都の八坂神社の正門です。

江戸名所雪月花の内・隅田川堤雪の眺望 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀
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歌川派の団扇絵は、美人を主テーマとして、その上半身を描いたものが多いのですが、広重の作品では、名所を背景に美人の全身像を描き込んだ季節感豊かな作品が多くなっています。団扇絵は彫りと摺りのしっかりした作品が多くそれも見所となっています。

《江都名所・日本橋雪の朝 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
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 反り橋の上を行き交う人々。天秤棒を担いだ行商人の姿が目立ちます。川舟の運送も盛んな様子。川沿いには商家がびっしりと立ち並んでいる。欄干の擬宝珠も雪をかぶって白い。

椿に小禽 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀
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斑入りの赤い花を咲かせる椿。枝に一羽の小鳥が止まる。硬質な葉の光沢がみごと。

《江戸名所百人美女・十軒店 1枚 歌川国貞(三代豊国)筆 江戸時代・安政5年(1858)》
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雛人形を前に、女雛の冠を手にする女。駒絵には十軒店の風景。十軒店は今の日本橋室町あたり。雛人形を扱うお店が立ち並んでいた。古今雛は、十軒店の人形師・原舟月が生み出したもの。

四季風俗図巻 1巻 伝菱川師宣筆 江戸時代・17世紀
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門松が飾られ万歳が舞う新年の光景に始まり、花見、舟遊び、庭に紅葉のある風呂屋の場面と続く。冬に相当する場面は無いものの、四季の流れを感じさせる構成となっている。通常巻末にある落款がない。菱川師宣の落款のある最後の部分が切断されたのかも知れない。

たくさんの人が描かれているので、ファッションを見るのも面白い。女は島田髷が多い。着物の柄もそれぞれ。橋をわたる二人の女は御高祖頭巾姿。橋に向かって歩く若衆は刀を着けていなければ女かと思うような派手な着物。商人や飛脚は裸足。菅笠や折編笠をかぶった女達が、抱き花杏葉の付いた幕を出入りしている。その先では音楽や飲食しながら花見を楽しんでいる。その先は舟遊び、今回展示はないが、銭湯の場面まで続く。

木曾路之山川 3枚 歌川広重筆 江戸時代・安政4年(1857)
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この作品と「武陽金澤八勝夜景」・「阿波鳴門之風景」の3点で雪月花をテーマとした三部作として出版された。全面に雪の降る中、小さな人物が描きこまれている。座ったままで、雪の山中を歩むような詩情に引き込まれていく。

ColBase:木曾路之山川

音も色も凹凸を消してしまうほどに降り積もった雪。暗い空と水の青さだけが世界の色を感じさせます。

《東都名所・金龍山雪景 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
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金龍山の山号は、浅草浅草寺のこと。降り積もる雪にも構わず、右手の仁王門から本堂まで出店と人で埋め尽くされている。本堂建物の奥に五重塔がある。

《東都名所・新吉原日本堤 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
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右手前が吉原の大門で、駕籠が進む衣紋坂を上った先に奥に流れているのが隅田川。川の畔にあるのは見返り柳。

絵本隅田川両岸一覧  3冊 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀
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「三俣の白魚 永代春風」
三俣は現在の日本橋中洲あたり。当時、隅田川の中洲として川が三方に分かれていたという。白魚は江戸っ子に春を告げる魚で、近場の佃島の漁が盛んになることから、本品では白魚漁をする船が描かれている。

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「新柳橋の白雨 御竹蔵の虹」
柳橋は、神田川と隅田川が合流する地点に架かっているため、両国橋と共によく描かれているが、本品では両国橋は右に外れて描かれていない。白雨は夕立のこと。柳橋上には突然の夕立に遭った人々の慌てて逃げ惑う様子が描かれている。川船が進む隅田川の対岸が両国の御竹蔵。壷山楼高喜が「竹蔵の堀にも虹の影見えてはや両国の橋かとそ思ふ」と詠み、北斎が虹に見立てて描かいた御蔵橋は現存しない。

《雪月花の内・雪 尾上梅幸の岩倉の宗玄 3枚続 月岡芳年筆 明治時代・明治22年(1889)》
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歌舞伎清玄桜姫物で、京都清水寺の僧清玄が高貴の姫君桜姫に恋慕して最後には殺されるが、その死霊がなおも桜姫の前に現れるという話。モデルとして描かれたのは五代目尾上梅幸(五代目尾上菊五郎)。写真を見ると、実によく特徴を捉えているのがわかるし、今ご活躍されているご子孫の五代目尾上菊之助氏にもそっくり。

本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(衣装)

小袖 淡黄縮緬地縞島取梅枝模様 1領 江戸時代・18世紀
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縞模様は江戸の粋なデザインの代表ともいえるが、通常は経糸の色を変え、縞織物で表わす場合が多い。扇面や雪輪の中に風景模様を繊細な配色で表わした友禅染であるが、縞模様もまた友禅染で表わされる。友禅染の技術がもっとも高まった江戸時代中期の優品。

ColBase:小袖 淡黄縮緬地縞島取梅枝模様

 

久しぶりに東博でのんびりできて、満足しました。