熊野大社:出雲詣 その1
天神(あまつかみ)の最高神を祀ったお伊勢さんを巡ったならば、次は国神(くにつかみ)の最高神をお祀りする出雲に行かなくてはなりません。というわけで、早朝の羽田からひとっ飛び。
出雲縁結び空港到着。
さっそく、神話のお出迎え。
この旅はレンタカーで回ります。
お伊勢詣で禊の浜に行ってから外宮そして内宮と回ったように、出雲大社に行く前にも寄らなければならない場所があります。まずは、松江市へ。
出雲国造家が延暦17年(798年)太政官符で出雲国造の意宇郡大領兼務を禁止され、出雲郡に居を移す以前に居を構えていたのが、出雲国意宇郡(現松江市)である。それまでの国造家は、大和朝廷の律令制下でも出雲国意宇郡の大領として統治権を持っていた。そういう時代、733年に編纂された『出雲風土記』に杵築大社(現出雲大社)と並んで大社としての記録が残るのが熊野大社であり、出雲国造家の本拠であったことを示している。
出雲空港から車で40分、熊野大社に到着。駐車場のすぐ横に石製の明神鳥居と社号標がありました。
標準的な明神鳥居に見えます。笠木の反りに加え反り増しがあって鼻先がツンと上を向いている。笠木の下には島木があり、こちらの鼻には反りがなく襷落としになっているのみ。二本の柱は転び(軽く斜めに立つ)、貫が貫く。貫の中央に額束。
石製の鳥居をくぐった所に出雲構え獅子。
なんて凄い。大きい上に傷みも少ないし、お顔もきれい。来待石(きまちいし)の肌がよい感じに赤化しています。こんなに見事な狛犬に出会ったのは、狛犬を注意して見るようになって初めて。初っ端からこんなに立派なのに会えるなんて、先行き良いな。
熊野大社の案内板
出雲國一之宮 熊野大社
神祖熊野大神櫛御気野命(カブロギクマノノオオカミクシミケヌノミコト)を主祭神として境内中央正面の御本尊にお祀りしており、この御神名は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の御尊称です。他、境内には右手に御后神の奇稲田姫をお祀りしている稲田神社、左手に御母神の伊弉冉尊をお祀りしている伊射奈美神社、また荒神社や稲荷神社があります。他にも随神門、鑽火殿、舞殿、環翠亭(休憩所)等様々な社殿、建物があります。
特に鑽火殿は当社独特の社殿であります。茅葺きの屋根に四方の壁は檜の皮で覆われ、竹でできた縁がめぐらされており発火の神器である鑽臼(ひきりうす)、鑽杵(ひきりきね)が奉安されています。毎年の鑽火祭や出雲大社宮司(出雲國造)の襲職時の火継式斎行の大切な斎場となる社殿であります。
一之鳥居
こちらも石製の明神鳥居に自然石の社号標。白い鳥居に朱塗りの八雲橋が山の緑に映えます。
熊野大社御由緒
出雲國一之宮 延喜式明神大社 熊野大社
御祭神 神祖熊野大神櫛御気野命
御祭名は素戔嗚尊の御尊称で、神祖とは出雲大社の大国主神を始め神々の親なる神、御気野とは御食を主として人びとの衣食住に広く、尊い御神威をみちびかれて日ごとに蘇生の縁を結ばれるムスビノ大神との意です。御由緒
日本書紀(七二〇)は六五九年に出雲国造が斉明天皇の勅で厳神の宮を造営したと記し出雲国風土記(七三三)は国内の一八六社で大社の称号を有する神社として熊野大社と杵築大社(出雲大社)を掲げ「出雲國一之宮」の崇敬を表しています。特にご祭神が初めて鑚火されたので、日本火出初社とも称します。
古来、出雲国造(出雲大社宮司)の襲職は神聖な鑽火器拝戴の儀式を参向して仕える伝統があり今も変わることなく行われています。
熊野大社「上の宮」跡のご案内
熊野大社「上の宮」跡のご案内
この意宇川の川上五百メートル 御笠山の麓に熊野大社の「上の宮」跡があります。
熊野大社は古代、意宇川の源流である熊野山(現在の天狗山)にありましたが、中世より里に下り「上の宮」「下の宮」(現在の当社)として近世末まで二社祭祀の形態をとりました。
「上の宮」には紀伊国の熊野信仰の影響をうけ伊弉冉尊・事解男神・速玉男神等を祀る神社が、また「下の宮」には天照大御神・須戔嗚尊等を祀る神社が造営されておりました。
明治時代に至り「上の宮」の神社は、政府による神社制度の改正を機に「下の宮」であった現在の熊野大社へ奉遷合祀されました。
「上の宮」跡背後の御笠山の頂上付近からは、熊野大社の元宮があった熊野山が拝され、遥拝所が設けられています。
また登山道途中には、洗眼すると眼病に効き、あるいは産婦がこの水を服すと母乳が満ち足りるという御神水「明見水」が巨岩から滴り落ちています。
熊野大社
境内図
八雲橋から意宇川の流れを見る。
二之鳥居
こちらは木製。
柱に根巻きがあるし、笠木や島木に反り増しがある。やたら重厚だなと思いながら横に回ったら、
あっ!屋根がついてる!
五角形の笠木の上に雨覆いの屋根がつき鳥衾が伸びて、まるで宇佐鳥居のように反りが強調されていました。またも独特な鳥居を見つけてしまった。
手水舎
銅板葺切妻造四面吹放ち。
丁字の柱で四方転びになっているのが変わっている。
階段を上がったところに一対の狛犬。
こちらも出雲構え獅子。阿型のプレイバウ姿なんて、いかにも遊んでほしそうな顔していて最高です。出雲は私好みのよいお顔をした狛犬が多いなあ。来待石ならではの丸みが良いのかもしれない。砂岩だから脆いんだけど。
随神門
銅板葺切妻造りの三間一戸八脚門で両脇の戸口の左右は閉じられていた。大きな注連縄が目を引く。綯い始めが左なのは出雲地方に多いそうだ。
広々とした境内。
右手前が舞殿、中央奥が社殿、その左にお守処、左端の新しい屋根が目立つ建物が鑽火殿。
拝殿
広々と開け放たれた拝殿に迎えられた。
昭和53年(1978)建造、昭和59年に拡張。大注連縄が飾られた迫力のある拝殿で銅板葺切妻造りの平入りで切妻屋根の向拝がつく。屋根の鬼板や破風の拝飾に社紋の一重亀甲に大の字紋が入る。大注連縄に目が行ってその場では気が付きませんでしたが、後で写真を見返したら紙垂も太く変わった形をしていました。賽銭箱には十六菊紋。
本殿
大社造の本殿。拝殿とは霧除けの屋根で繋がっている。
銅板葺切妻造りの妻入。屋根には外削ぎの置き千木と三本の鰹木がついている。大社造は、高床式倉庫が原型とされる社殿で、内部は田の字構造。中心の心柱と平行に外に飛び出しているのが宇豆柱。
あくまでも直線的な神明造りや住吉造りと異なり、屋根に緩やかな反りがみられる。また、入り口が右側にあるのも特徴。
稲田神社
拝殿から右に板垣が伸びて稲田神社の拝所に繋がる。銅版葺切妻屋根の棟門が注連縄と紙垂で飾られている。
読みは「いなた」じんじゃ。御祭神は素戔嗚命の妻櫛名田比売命で、他に6社を合わせて祀る。
明治42年(1909)に作られた妻入りのお社。
伊射奈美神社
拝殿から左に板垣が伸びて伊射奈美神社の拝所に繋がる。門柱の前後に控柱を2本ずつ供えた銅版葺切妻屋根の四脚門。紙垂のついた注連縄が飾られています。
御祭神は素戔嗚命の母神である伊邪那美命他、19社を合わせて祀っている。
小さいながら立派なお社。
元々は上の宮の社殿だったのを、明治39年の政府による神社整理「一村一社制」により現在の地に移された。
荒神社
伊射奈美神社までを囲う板垣から離れて、稲荷神社と並んで鎮座する。明神型で雨覆い屋根があり社額と根巻がついた鳥居が備わっている。
御祭神は素戔嗚尊で、相殿として高龗(たかおかみ)、闇龗(くらおかみ)、闇罔象(くらみつは)が祀られている。「一村一社制」により旧熊野十一地区の各荒神社はここに合祀された。
玉垣の中には大小の牛の像がありました。
今回初めて知りましたが、瀬戸内海沿岸に荒神信仰というものがあるそうです。大きくは二系統、火や竈の神と地荒神を祀るものがあるとか。火の神と密教等が習合してスサノオの本地とされた牛頭天王(ごずてんのう)の信仰に繋がったと考えられる。こういうのを知ると、つくづく日本古来の神様は祟り神なんだなと思います。
稲荷神社
朱塗りの様々な鳥居が並んでいる。
一対の狛狐と小さなお社。切妻の平入り。
御祭神は倉稲魂神です。
鑽火殿
茅葺き切妻造で四方の壁は檜皮で覆われた平入りの建物。
軒にも竹簀巻きの棟にも反りがずいぶんと入っていて、独特の雰囲気がある。
ここで、出雲大社の新嘗祭の火を鑽り出す神事鑚火祭が執り行われる。
鑚火殿
御祭神スサノオノ大神は「檜の臼・卯木の杵」で火を鑽り出す法を教えられたので、熊野大社を「日本火出初社(ひのもとひでぞめのやしろ)」とも讃えます。
出雲國造(出雲大社宮司)は、古来しきたりにより襲職には必ず大神の霊幸い給う神器の燧臼・燧杵を拝戴し鑚火して「火継=霊継」の式を仕え、大神より霊威を戴き神性國造となります。
この鑚火殿はその古伝由緒を伝える建物であり、神器が奉安してあります。
毎年十月十五日の鑚火祭は出雲國造が出雲大社で用いられる神器を拝戴するために参向し斎行される祭りで、特殊な亀田夫神事として奉仕され、また神歌・琴板のもと神慮一体の祈念の百番の榊舞を納めます。
縁は竹で敷かれている。
舞殿
銅板葺入母屋造の妻入り。
元々拝殿だったものを昭和53年(1973年)に移築した。
板蔀が全て開け放たれていた。
折り上げ格子天井。
奉納されている合戦絵には、上り藤の家紋や福嶋と書かれた旗が描かれていました。
環翠亭
休憩処として使われている。
壁には大きな出雲神話の絵。
鴨居の上に祭事の絵が掛けられている。御櫛祭。
熊野大社例大祭
鑚火祭
熊野大社御狩祭
出雲旅行の最初のご飯は、熊野大社の駐車場のすぐ横にある旬菜レストラン 知足亭で。
本日の田舎めし(500円)のご飯を松茸ご飯(+100円)に変えてもらって、皿蕎麦(200円)を追加で。お店の人が早松茸だけどと言っていたので、おそらくバカマツタケのことでしょう。地のものを使って大変丁寧に作られたご飯でした。幸先よいなあ。
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