日本美術の流れ@東京国立博物館 本館
猛暑を避けて上野です。
東京国立博物館の訪問が丸一ヶ月間が空いて、展示がすっかり入れ替わっていました。一階では「奈良大和四寺のみほとけ」の特別企画展示も行われていて、これは一遍で回るのは無理と早々に諦めました。ということで、今回は本館二階の日本美術の流れだけ。
いつものように、気になったものについてメモを残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。
- 本館2室 国宝
- 本館 3室 宮廷の美術―平安~室町
- 本館 7室 屏風と襖絵―安土桃山~江戸
- 本館 8室 暮らしの調度―安土桃山・江戸
- 本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸
- 本館 10室 浮世絵と衣装―江戸
本館2室 国宝
《◉金光明最勝王経金字宝塔曼荼羅図 第一幀・第四幀》
『金光明最勝王経』十巻(唐・義浄訳)には、この経を広め、読誦して、正法によって国王が政治を行えば国は豊かになり、四天王などの諸天善神たちが国を守護してくれるということが説かれています。
本図はその『金光明最勝王経』の経文を、紺色に染めた紙に金泥で塔の形に書き写し、その左右および下方に経典の内容を表す絵を金銀泥と彩色で描いたもので、経文一巻分を塔最上部の相輪頂上から始まって基壇部で終わるように書写した全10幀のうちの2幀です。
お釈迦様が座す塔を形作っているのは、単眼鏡がなくてはとても見えないほどの細かな字でした。
本館 3室 宮廷の美術―平安~室町
《雀の発心 1巻 室町時代~安土桃山時代・16世紀》
御伽草子を小型絵巻にしたもの。子どもを蛇に食われた小藤太という雀が、多くの鳥たちと和歌を交わした末に出家して念仏三昧の日々を送るという物語。
(部分)
絵巻の最後の場面:踊念仏を始めた小藤太
スズメを擬人化した異類物語で、発心・遁世をテーマにしている。
本館 7室 屏風と襖絵―安土桃山~江戸
干し網を大きく描くことで、静寂が漂う漁村の風情をあらわしています。帰路につく船や魚網といった光景は、特定の場所を描いたものというよりも、貴族社会のなかで流行した隠遁の思想を思い起こさせるものとして描かれ、愛好されました。
中世から文人貴族の中には仏教に帰依して隠遁したいと願う者が多くいたと。都心に暮らすホワイトカラーが Dash村 を観て楽しむのと似ているような。いつの時代も知能労働者は自然に触れる暮らしに憧れを持つものなんですね。
武蔵野とは主に江戸の西部(東京都から埼玉県南部)にまたがる平野部のことです。広大なススキの原には雑木林が点在するという風情ある景色は、「万葉集」にも見えるなど古くから愛され、多くの和歌に詠まれました。本図はそのイメージを絵画化したものと考えられます。
秋草の混ざる一面のススキの原を低い視点で水平に見るように描き、右隻にはススキに沈む月、左隻は金雲に浮かぶ富士山が配されている。
むさしのは月の入るべき峰もなし尾花が末にかかる白雲
藤原通方『続古今和歌集』
このイメージは類型化され、他にも似た作品が数点存在する。
本館 8室 暮らしの調度―安土桃山・江戸
濃く鮮やかな発色の染付で羊歯とユキノシタの葉をあらわした大胆奇抜な構図が目をひきます。松茸などには彩りとともに乾燥を防ぎ日持ちをよくするために羊歯の葉を敷く習慣があり、キノコのような山の幸を盛り付けるために工夫されたデザインと考えられます。
裏面には軽妙に宝珠や七宝などの縁起物が描かれている。
裏白の羊歯は長寿や一家繁栄を願うお目立たいものとされていることから、正月等のおめでたい時に使われる大皿なのだろう。
本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸
《木工権守孝道図(博雅三位図) 1幅 冷泉為恭筆 江戸時代・19世紀》
琵琶の名手である藤原孝道が明恵上人を訪ねるという《明恵上人聴琵琶図 個人蔵》の一部を抜き出したもの。源博雅(博雅三位)を描いた説もある。
源博雅は平安時代の雅楽家で、従三位の官位にちなんで博雅三位と呼ばれる。『十訓抄』の朱雀門の鬼と笛を交換した話が有名。
《秋郊鳴鶉図 1幅 土佐光起・土佐光成筆 江戸時代・17世紀》
親の光起が鶉、子の光成が秋草を描いた。
(部分)
宮廷の絵所預職、土佐光起は土佐家中興の祖と呼ばれる。《鶉図 伝 李安忠 根津美術館》を描き写し、それに猫が飛びついたという伝承が残る。
《◎西行法師行状絵 巻第2 1巻 俵屋宗達筆 江戸時代・17世紀 文化庁蔵》
歌人西行の逸話を描いています。たっぷりとしたたらしこみと伸びやかな線画に特徴があります。描き方の類似する別本が伝わり、その奥書から宗達が宮廷所蔵の絵巻を写したことが分かります。宗達は古典絵巻の学習とその活用により、江戸時代初めに清新なやまと絵の画風をひらきました。
(部分)
宗達の描く鹿はとても優しげで、好みです。
《龍田川図 1幅 狩野探信〈守道〉筆 江戸時代・19世紀》
竜田川は在原業平が詠んだ歌でも知られる紅葉の名所。紅葉の葉が散る竜田川を中心に、色鮮やかに秋を描いている。画面中程にある鳥居と社は竜田大社らしい。
《白菊図 1幅 松村景文筆 江戸時代・19世紀》
支柱を立てて真っ直ぐに立てられた白菊。竹の支柱の節、しばり糸、菊の茎と葉など、リアルさが見事です。しかも気品と明るさがあふれています。景文は、四条派の祖=松村月渓こと呉春の歳の離れた弟で、京の都会センスを発揮した絵師としてたいへん人気がありました。
支柱や紐まで描かれていることに目が行くが、花が横から描いているのが既に新しい。新しく都会的なものとして、西洋画風の写実性を既存の美意識に巧みに取り込み、なお上品に感じる。
《和歌巻 1巻 本阿弥光悦筆 安土桃山時代~江戸時代・17世紀》
《百人一首 三十六歌仙和歌 1帖 角倉素庵筆 江戸時代・17世紀》
(左頁)
俊恵法師
夜もすがら もの思ふ頃は 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり西行法師
嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
光悦流の筆致で書いたもの。
《百人一首帖 1帖 烏丸光広筆 江戸時代・17世紀》
(左頁)
俊恵法師
夜もすがら もの思ふ頃は 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり西行法師
嘆けとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな
定家の書法を踏まえて書かれたもの。
《定家卿筆道 1帖 小堀遠州筆 江戸時代・17世紀》
藤原定家は鎌倉初期の歌人。後に「歌聖」と尊崇されると、その癖のある筆致が手本として近衛信尹・烏丸光広・小堀遠州らに学ばれ、様式化しました。これは、その定家風の文字を書くための9つの奥義を記したもので、遠州に私淑した大名茶人・松平不昧の愛蔵品です。
(部分)
本館 10室 浮世絵と衣装―江戸
《坐鋪八景・時計の晩鐘 1枚 鈴木春信筆 江戸時代・18世紀》
坐鋪八景は中国の伝統的な画題「瀟湘八景」に擬えて、女性の暮らしを描いたシリーズ。この絵は「烟寺晩鐘」という夕霧に煙る遠くの寺より届く鐘の音を聞きながら迎える夜という画題からきたもの。
錦絵初期の作品ながら、摺り圧をかけて着物の文様に立体感をもたらしている等、工夫が多い。
《大谷広次 抜刀 1枚 勝川春好筆 江戸時代・18世紀》
勝川春好は勝川春章の門人。歌麿の大首絵や写楽の役者似顔絵の先駆をなす存在。歌舞伎役者のポーズが決まっている。
《當時全盛美人揃・兵庫屋内花妻 1枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・寛政6年(1794)》
黄潰しの背景に当時の美人を描いたシリーズ。黒い紗の着物から夏の装いであることがわかる。片膝をついて軽く体をひねり、強く文を握っている。顔にかかる髪。
《美人東海道・日坂驛 1枚 渓斎英泉筆 江戸時代・19世紀》
「美人東海道」は、歌川広重の代表作保永堂版「東海道五拾三次之内」に美人画を組み合わせたシリーズ。広重の日坂に描かれる画面対角線をUの字に結んだような急峻な坂に見立てて、強い風に傘を横にして背をU字に丸めて進む美人を描いた。
左の袖を中心に菊とみえる大花、対角の右裾を起点に波を配する奇抜なデザイン。綸子の地紋である大振りの源氏車に花の模様も珍しい。野口は京都風という意味で紙札に「御所模様」と記す。男性が着用したものか、夜着として使われたものか、その用途は判然としない。
上野からの帰りに芝商店街の寿堂さんが開いていたので、たい焼きを購入。
幻の天然たい焼きです。というのも、こちらのお店は平日昼間の数時間しか開いていないためで、買うチャンスがほとんどないのです。真夏にたい焼きを買う人は少ないらしく、焼いてしばらく置かれていたようで、皮がすっかり固くなっていました。一匹焼き天然物の悪いところです。氷食べればよかった。
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