八重垣神社:出雲詣 その4

2022年4月19日

出雲大社の他にも、出雲国の神話にまつわる神社を数多く回りました。

八重垣神社です。

yaegakijinja.or.jp

松江市の八重垣神社は、素盞嗚尊と櫛稲田姫を主祭神とし、大己貴命、および『出雲国風土記』意宇郡大草郷条で須佐乎命の子として記載される青幡佐久佐日古命(あおはたさくさひこ)を配祀する。

 

出雲の古い民謡で「早く出雲の八重垣様に、縁の結びが願いたい」と歌われるように出雲の縁結びの大神として知られている。境内には伝承を記した場所も多いが、この地が現在の八重垣神社になるまでには二転三転するところがあった。

八重垣神社がある佐草町は、天平5年(733)成立の『出雲国風土記』において意宇郡大草郷に属する。それには「須佐乎命の御子、青幡佐久佐日古命(丁壮命)坐す。故、大草といふ」と記し、同書では意宇郡に「佐久佐社」が、『延喜式』神名帳では意宇郡四八座のうちに「佐久佐神社」と記されている。

八重垣神社はというと、元は大原郡海潮里の須我社(須賀神社)内に創建され、中世に遷座し、かつての佐久佐神社を境内の一社にしたらしい。

明治維新の神社制度改正で本社・末社の関係を修復し、一時的に青幡佐久佐日古命を祭神とする佐久佐神社になったが、大正11年(1911)に八重垣の名を伏せがたいと八重垣神社に復称し、現在に至っている。

 


id="夫婦椿">夫婦椿

駐車場のすぐ脇に椿が生えている。
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連理玉椿案内板
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連理玉椿

「出雲八重垣、祈願をこめて、末は連理の玉椿」
連理玉椿(夫婦椿ともいう)は昔稲田姫命が二本の椿の枝を御立てになられた。それが芽を吹き出し一身同体、愛の象徴として神聖視されるようになり、木が枯れても境内には二股の椿が発生すると伝えられ、現在境内に三本の夫婦椿があります。年により二葉の葉も現れることもあります。東京資生堂の花椿会は此の玉椿の名木を神聖視し、発展されておりここにも美容調整の御神徳があります。

一之鳥居

道路沿いに明神型の鳥居がある。
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熊野大社の鳥居と同じく、五角形の笠木の上に雨覆いの屋根がつき鳥衾が伸びている。柱に根巻き、額束に扁額がつく。

 

鳥居の脇に手水舎がある。銅板葺切妻造で四方転び開け放ち。

八重垣神社由来記 

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八重垣神社由来記

早く出雲の八重垣様に縁の結びが願いたい という歌は出雲において最も古い民謡で御祭神も八岐大蛇を退治し、高天原第一の英雄素盞鳴尊と国の乙女の花とうたわれた稲田姫の御夫婦がおまつりしてあります。
素盞鳴尊が八岐大蛇を御退治になる際斐の川上から七里を離れた佐久佐女の森(奥の院)が安全な場所であるとしてえらび大杉を中心に八重垣を造って姫をお隠しなさいました
そして大蛇を退治して、
「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造るその八重垣を」という喜びの歌をうたい両親の許しを得て
「いざさらばいざさらば連れて帰らむ佐草の郷に」 という出雲神楽歌にもある通りこの佐草の地に宮造りして御夫婦の宮居とされ縁結びの道をひらき掠奪結婚から正式結婚の範を示し出雲の縁結びの大神として、又家庭和合、子孫繁栄、安産災難除、和歌の祖神として古来朝廷国司藩主の崇敬が厚く御神徳高い神国出雲の古社であり名社であります。

境内には夫婦椿、傑作な狛犬、神社界日本最古の壁画、鏡の池、八重垣連山(百穴)等あります。

 

随神門

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三間一戸の八脚門で銅版切妻屋根。中央の一間を参詣者の通路にし、左右の部屋に俗に右大臣・左大臣と呼ばれる武装した守護神像(矢大臣)を置く。神話の濃い地方なので、左右の随神は『古事記』に天石戸別神(御門の神)として登場する櫛石窓神(くしいわまどのかみ)と豊石窓神(とよいわまどのかみ)かもしれない。

本殿に向かって、左が豊石窓神で右が櫛石窓神。
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随神が半跏している台座には虎?が描かれていた。ゆるい。

関東地方で随身門に配されるのは、右像が武内宿禰(左大臣)、左像が藤原鎌足(右大臣)が多く、武内宿禰像は大抵が白髪白髭で肖像化されるので見分けやすい。

随神像の傍らに木彫狛犬。
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共に蹲踞型で、右が阿型獅子、左が吽型狛犬。つい大胸筋に目が行く。顔は能面の飛出に似て平たく、たてがみは肩を覆うケープのように広がっている。

 

随神門脇に一対の狛犬。
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かなり風化して頭部は半分ほどしか残っていない。巻尾のお座り型(出雲蹲踞型)で、右は首周りにたてがみが残るので獅子の可能性。左は顎が大きく損なっていることからも阿形だったのではないだろうか。顎がないのでナウシカの巨神兵を思い出す。

 

随神門のすぐ脇に、傘が自然石でできた織部灯籠があった。
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出雲地方では古くは奈良時代から来待石で石灯籠を造り、江戸時代から盛んになった。来待石とは宍道町来待を中心に産出する凝灰質砂岩のことで、江戸時代には城主松平直政公がその真価を認めて、お止石とされた。色がよく、早くから苔がついて古色を帯びるのが特徴である。

社殿

拝殿は銅板葺入母屋造で切妻屋根の向拝がつく。
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御祭神は素盞嗚尊、稲田姫命、大己貴命(大国主命)、青幡佐久佐日古命(佐草宮司先祖神)である。

社紋は出雲大社と同じく二重亀甲剣花菱。大注連縄は右に撚始め。

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梅鉢懸魚の左右に鰭がついている。珍しい。

拝殿を左に回り込む。
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拝殿の造りが見やすい。拝殿の反りの大きな屋根に呼応するように、鬼瓦から鳥衾が極端に伸びている。

拝殿を右に回り込んで本殿を見る。
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本殿は檜皮葺大社造り。内削ぎの置千木に三本の鰹木がある。社殿が東向きに建てられていることから御神座は南向き。

 

境内社御祭神

本殿に向かって右の境内社。ともに銅板葺切妻造り、置千木で鰹木が三本。
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右が伊勢宮、御祭神は天照大御神で日本の総氏神様。左が脚摩乳神社で、御祭神は稲田姫命の父神脚摩乳命。合わせて佐草字客山に鎮座していた八幡宮の譽田別命をお祀りしている。

本殿に向かって左の境内社。ともに銅板葺切妻造り。
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右は手摩乳神社で、御祭神は稲田姫命の母神の手摩乳命である。お社は切妻造りの妻入りで、銅板葺切妻屋根には鬼瓦がつき鳥衾が長く伸びている。左は貴布禰神社で、御祭神は水に関わる神の高龗神(たかおかみのかみ:龍神)。合わせて佐草字客ノ尾に鎮座していた稲荷神社の倉稲魂命を祀っている。銅板葺切妻造り、内削ぎの置千木で鰹木が三本が乗る。

 

山神神社には縄鳥居が設けてあった。丸太の先端を尖らせた二本の柱を建て、横木のように掛けた竹に注連縄を添わせている。
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お社は切妻造りの妻入りで、銅板葺切妻屋根には鬼瓦がつき鳥衾が長く伸びている。神紋入りの拝殿幕で飾られていた。お社の周りや縁下に男性器を象った像が置かれている。境内末社の中で別格にされているのが見て取れる。
山神神社の御祭神は大山祇命と石長姫命。「山の神さん」と親しまれ、以前は佐草の里西側の山中、金起の旧街道沿いに祀られてあったものを明治頃に八重垣神社の境内に遷した。

 

社日社は境内南端にこじんまりと鎮座する。
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社日とは春分及び秋分に最も近い戊(つちのえ)の日のことで、御祭神は天照大神、倉稲魂命、埴安姫命、少彦名命、大己貴命の5柱。来待石の屋根が角材で支えるその間に御祭神の名が刻まれた5角柱が供えられている。
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柱の脇に小さな狛犬が備わっているのが見逃せない。
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なんて愛らしいチビ狛犬。まるで応挙犬のようじゃありません?

 

佐久佐女の森

境内を西に進むと結婚式場があり、その先に佐久佐女の森がある。入り口に縄鳥居が建てられ森を神籬としてるようだ。
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境内奥地の佐久佐女の森は、素盞嗚尊が八岐大蛇を御退治になる際、稲田姫を難からお救いになった場所です。森の大杉の周囲に「八重垣」を造り、稲田姫をお隠しになりました。「八重垣」とは、稲田姫命をお守りした八つの垣根で、大垣、中垣、万垣、西垣、万定垣、北垣、袖垣、秘弥垣と呼ばれ、今も一部地名などに残っています。この森を、かの文豪・小泉八雲は「神秘の森」と称しました。身隠神事が執り行なわれる「夫婦杉」、縁結び占いの「鏡の池」も、この森の中にあります

大杉の跡
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奥の院の中心。八岐の大蛇神話で、素戔嗚命が大杉の周りに八重垣を築いて稲田姫神を隠したとされる場所。

 

鏡の池

縁結び占いの池として知られる。
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鏡の池(縁結び占いの池)

出雲八重垣 鏡の池に 写す二人の晴姿

この池は稲田姫命が八岐大蛇の難をさけるため、森の大杉を中心に八重垣を造って御避難中、日々の飲料水とし、又御姿を写され美容調整された池で神秘的な神秘的な池で鏡の池(姿見の池)といいます。
こんこんと湧き出る清水は昔ながらの面影をしのばせ、稲田姫命の御霊魂が底深く滲透しているところから縁結びの占の池として信仰されております。
占い用紙に百円か十円硬貨をのせ浮かべてお祈りします。
用紙が早く沈む(十五分いない)と良縁早く
遅く沈む(三十分以上)と縁が遅いといわれ又近くで沈むと身近な人と、遠くで沈むと遠方の人と結ばれるといわれております。
御神徳の広大な出雲の縁結びの大祖神であります八重垣大神さまの御加護により、良縁を得られ、二人の晴れ姿を、この神秘の森、鏡の池に写され、末永く御繁栄されますよう念願いたします。

又池やその周辺は古代文化埋蔵地帯として国より指定されております。

池の奥に天鏡神社がある。
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御祭神は稲田姫命。銅板葺切妻造りで屋根に内削ぎの置千木と三本の鰹木が乗る。神紋入りの拝殿幕で飾られ、池の手前からでもよく目立っていた。