大徳寺什宝展 曝涼@大徳寺
国宝展目当てに京都に行くタイミングで大徳寺の曝涼があると知りました。
この週末に国宝展に来られる方は、大徳寺の曝涼も見に行かれるのが良いと思います。(毎年10月の第二日曜日に開催されます。雨天中止ですが、今年は大丈夫そう)
— みう (@hibitantan) 2017年10月5日
こんなチャンスは滅多にないので、もちろん出かけます。
去年東博であった禅展の時に買って以来、お気に入りの大徳寺納豆を購入後、総門から入って宗務本所へ。ここから方丈に入ります。
大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山で、寺号を龍寶山という。鎌倉時代正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創し、室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興した。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。国宝や重要文化財指定の建造物や宝物も数多い。
大徳寺の曝涼は10月第2日曜日に行われる虫干しのことで、普段は非公開の本坊で行われ、狩野探幽筆方丈襖絵など約100点が公開されます。
拝観料を払って庫裡に入り、靴を脱いですぐのところで荷物を全て預けます。御朱印が欲しければ引換証と交換で御朱印帳を預けておくこともできます。そして、いよいよ方丈庵へ。国の特別名勝に指定された白洲のお庭と国宝の唐門を横目に、鶯張りの廊下をキコキコと鳴らしながら進みます。どの部屋も、天井から吊るされた掛け軸でいっぱい。もちろんむき出しです。狩野探幽の《◎方丈障壁画》が上半分隠されてしまっています。なんという贅沢な空間。
《◉絹本墨画淡彩観音図・猿鶴図 牧渓 3幅 中国南宋時代》
牧谿の《観音猿鶴図》の三幅対が観られたので、もうそれだけで満足。6月に出光美術館で長谷川等伯の《竹鶴図屏風》を観て、まだその印象の残っている間に、元絵が観られるなんて最近ツイてるなあ。
《◉絹本著色大燈国師像》
《◎絹本著色五百羅漢像 林庭珪・周季常等》
《◎絹本墨画竜虎図 2幅 牧谿》
《◎紙本墨画芙蓉図 伝牧谿》
《◎絹本著色楊柳観音像》
立て続けに二百点ほどの作品を眺めながら、建物やお庭にも目を走らせながらと見ていたら、とうとうバテました。とにかく、この日は10月だというのに夏日になるほどの虫干し日和でしたから。陽の当たる廊下で風にあたりながら、入口で手に取った大徳寺の寺報『紫野』を読んで休みました。小堀遠州の作った東庭を眺めたり、茶室の鹿威しに驚かされたりして、なんとか一周しました。帰りに入口で預けておいた御朱印帳を受け取って退出しました。
この日は方丈以外は全て閉じられてしまっていて、他の塔頭や法堂などの公開はありませんでした。例え開いていても、それを回る体力が残っていたわけではないのですが、せめて法堂の《雲龍図》だけでも観たかったな。
広い大徳寺境内を抜け、今宮神社の東門前であぶり餅。
疲れた体に、きな粉と白味噌のたれが染みました。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません