大仙厓展@出光美術館
本日は出光美術館へ。
「開館50周年記念 大仙厓展ー禅の心、ここに集うー」初日です。昨年から仙厓展を心待ちにしていたので、ようやくと心躍らせての入場です。
仙厓が住持をつとめた聖福寺や隠居所の虚白院(現・幻住庵)につたわる作品以外で大規模な仙厓コレクションをあげるとするならば、当館初代館長・出光佐三が蒐集したコレクション、さらに仙厓ゆかりの博多にある福岡市美術館と九州大学文学部のコレクションがあります。今回の展覧会では、昭和61年(1986)、仙厓150年遠諱にあわせて福岡市美術館で開催された仙厓展以来、30年ぶりにこれら三大コレクションの名品132点が一堂にそろう大回顧展となります。仙厓を発見する絶好の機会になることでしょう。
展覧会は全6章構成です。
◎第1章 仙厓略伝ー作品でつづる生涯
この章では、美濃で生まれた仙厓が地元の清泰寺(せいたいじ)や武蔵の東輝庵(とうきあん)で臨済宗の僧として修行し、諸行行脚の後に筑後の聖福寺(しょうふくじ)の住持となり、隠居してからは虚白院(しょはくいん)で生涯を終えるまでを辿ります。
仙厓《絶筆碑画賛》天保3年(1832年)
黒染めの袖の湊に筆すてて書きにし愧をさらす白波
壬辰初秋 絶筆
絵が人気になりすぎて、「うらめしや わがかくれ家は雪隠か 来る人ごとに紙おいてゆく」と詠み、とうとう隠居先の虚白院に絶筆の碑を立てる羽目になります。当時の人気がよくわかるエピソードです。
ここは先日仙厓和尚伝を読んだばかりなので、解説もすらすらと理解できました。予習って大切。
第2章 仙厓の画賛ー道釈人物画で画風の変遷をたどる
布袋、寒山・拾得、釈迦、観音を画題とした絵を例に仙厓の画風の変遷を辿ります。
仙厓《黄初平鞭羊為石画賛》文化8年(1811年)
黄初平(こうしょうへい)は中国、晋の時代の仙人。羊飼いだったが、一人の道士に金華山の石室に連れて行かれる。兄の初起が40年後に探し当てたところ、初平は白い石を1万頭の羊に変じる術を見せた。兄もまた妻子を捨てて初平とともに仙道をきわめ、不老不死となったという伝説。
仙厓《蜆子和尚図》文政3年(1820年)
蜆子和尚(けんすおしょう)は唐末の禅僧で、居所を定めず常にぼろをまとい、蝦や蜆を捕り夜は神祠の紙銭中に寝たという。禅宗絵画の画題としてよく描かれるようです。仙厓の絵では修行の図というより、裸の大将的な明るい大らかさを感じます。
第3章 仙厓禅画の代表作ー「指月布袋」「円相」「○△□」ー禅の心、ここに集う
ここでは仙厓の禅に対する考えや思いが表された代表作を紹介しています。
仙厓《狗子仏性画賛》江戸時代
趙州狗子(じょうしゅうくし)として、三人の僧と子供と仔犬が二匹が描かれている。
一人の僧が趙州和尚に「狗子に還って仏性有りや無しや」(大意:犬にも仏性があるでしょうか?)と問うと、趙州和尚は「無」と答えたという禅の公案。
仙厓《南泉斬猫画賛》江戸時代
一斬一切斬 爰唯猫児 両堂首座 及王老師
唐の時代の禅僧、南泉普願の逸話を描いたもの。仙厓は「斬られるべきは猫だけでなく弟子や王老師(南泉普願)も同様である」と賛文で厳しく述べている。
仙厓《蕪画賛》江戸時代
かぶ菜と座禅坊主は すわるをよしとす
仙厓《座禅蛙画賛》江戸時代
座禅して 人が仏になるならば
仙厓《指月布袋画賛》江戸時代
あの月が ほしくばやろふ 取て行け
布袋の指し示す先には何も描かれていない。禅の修行も同じ。指(経典)にとらわれていては、月(悟り)には至らないという教え。
仙厓《指月布袋図》江戸時代
阿の月が落ちたら 誰にやろふかひ
布袋さんも上半身裸だが、二人の子供は丸裸。
仙厓《指月布袋画賛》江戸時代
を月様 幾ツ 十三七ツ
ちなみに、わらべ歌「お月さん幾つ」の歌詞
お月さまいくつ十三七つ、まだ年ゃ若いな
あの子を産んでこの子を産んで、誰に抱かしょ、お万に抱かしょ
お万どこ行った
油買いに茶買いに、油屋の縁で氷が張って、滑って転んで油一升こぼした
その油どうした
太郎どんの犬と次郎どんの犬とみんな舐めてしもた
その犬どうした
太鼓に張って、あっちの方でもどんどんどん、こっちの方でもどんどんどん
仙厓《一円相画賛》江戸時代
これくふて 茶のめ
仙厓《○△□》江戸時代
墨色からして描き順は○△□だろうと思ったが、調べてみると実は□から描いているらしい。わざと薄く描いた□と△の重なった部分の墨のにじみ具合でそうとわかる。仙厓が後に著した「三徳宝図説並序儒教」にも○△□の記号が出てくることから、神道、仏教、道教の三教合一を示したものとの説がある(大道は一つであり、鼎の足が三つあっても本体は一つであるように、神儒仏に別れて跡を留めている)。他に、本山に紫衣を辞退する手紙の中に、修行途中の自分を三角、悟りを開いた姿を丸とした下りがあることから、まだ修行していない人を四角に例えるのかもしれない。
左隅に扶桑最初禅窟とあるのは聖福寺のこと。扶桑は日本、中国に渡り学んだ栄西禅師(ようさいぜんじ)が鎌倉時代に最初に臨済宗の禅寺として開き、鳥羽天皇より「扶桑最初禅窟」の扁額を賜っている。
仙厓《達磨画賛》文政10年(1827年)
直指人心 見性成仏 更問如何 南無阿弥陀仏
達磨忌や 志りの根ふとか 痛と御座る
真面目なことを書いた直後に尻が痛いとふざけるあたり、人柄が出ます。
第4章 「厓画無法」の世界ーこの代の森羅万象を描く
仙厓の描いた水墨作品には禅のテーマの他に、動植物、神仏、庶民の日常風景など、多様な題材が取り上げられました。竹、蘭、犬、猫、中国の説話や伝説に登場する鍾馗(しょうき)・神農(しんのう)と、森羅万象、生きとし生けるものすべてを描いた画題の幅広さに驚かされます。
仙厓《犬図》江戸時代
きゃふんきゃふん
私が仙厓さんに興味を抱いたきっかけとなる絵。イノシシと言われた方がまだ納得するし、きゃふんって鳴き声に脱力させられる。
仙厓《狗子画賛》江戸時代
きゃんきゃん
これも犬図と同じく、繋がれた仔犬の絵。杭は横倒しになって意味をなさない状態なのだが、逃げようとしていない。現世のとるに足らないことに捕らわれ、いつでも現状から逃れられるにも関らず、行き場所を見つけられない人の姿を表しているとか。
仙厓《虎画賛》江戸時代
猫に似たもの
どこからどう見ても猫が描いてあります。
仙厓《天狗図》江戸時代
そっと上げて下へ水やるはぎの花
天狗の鼻を持ち上げている。萩の花に水遣りをする時に、垂れ下がる花を持ち上げて根元に水をさすことから。
仙厓《子孫繁昌図 しそんはんじょうず》江戸時代
ちゃんちゃんの子がちゃんとなるからに
ちゃんと其子もちゃんちゃちゃんちゃん
ちゃんちゃんは父親のこと。やんちゃな子供に手を焼いて、顔が四角になっている困り顔の父親。引っ張られている犬も脚をふんばって迷惑そう。
第5章 筑前名所めぐりー友と訪ねた至福の旅をたどる
仙厓《言触画賛》江戸時代
毎歳孟春天原降神振鐸徇路 懼言遒人厓戯墨「言触」人
言触はことぶれと読み、新年を表す。物事をふれ回って歩き、広く世間に知らせること、または人の意味。見てすぐに、NHKのLIFE ! で星野源扮する梅雨入り坊やを思い出した。
仙厓《花見画賛》江戸時代
楽志みハ花の下より鼻乃下
ヲドル ベッコウハク おかよい おやぢ寒がる ヨロコブ 子供 ミテイル 呑む 呑みたかる 書キシコナイ 上もん謳う たいこ
ヒヨコにしか見えない子供、描き損ない、オヤジ寒がる。こんなもの見せられたら笑わずにいられようか。
第6章 愛しき人々にむけたメッセージー仙厓の残した人生訓を味わう
仙厓《切縄画賛》江戸時代
切れ縄に 口はなけれど 朧月
蛇と間違えて縄に驚く人、それを笑う人。
仙厓《頭骨画賛》江戸時代
よしあしは 目口鼻から 出るものか
骸骨から葦が飛び出している絵。
仙厓《蘆画賛》江戸時代
よしあしの 中を流れて 清水哉
世の中には善悪あるけれど、どんな状況であれ清水のようにありなさいと。
仙厓《堪忍柳画賛》江戸時代
氣にいらぬ 風もあろふに 柳かな
柳のように風に身をゆだねるが善し。
仙厓《牡丹画賛》天保8年(1837年)
うへを見よ 花のそたたぬ里はなし 心からこそ 身は畢しけれ
仙厓《双鶴画賛》江戸時代
鶴は千年 亀は万年 我れは天年
ダジャレに思わず吹き出す。
仙厓《老人六歌仙画賛》江戸時代
志わかよる ほ黒か出ける 腰曲る
頭まかはける ひけ白くなる
手は振ふ 足はよろつく 歯は抜る
耳はきこへす 目はとうくなる
身に添は 頭巾 襟巻 杖 目鏡
たんほおん志やふ 志ゆひん孫子手
聞たかる死とむなかる淋しかる心は
曲る欲深ふになる
くとくなる 気短になる 愚ちになる
出志やはりたかる 世話やきたかる
又しても 同じ咄しに子を誉る達者
自まんに 人はいやかる
古人の哥
初日ということで会場内は大して混んでいません。ゆっくりと心行くまま観賞できました。大満足。
帰りにはまの屋パーラーでスペシャル・サンドゥイッチ。
安定のおいしさ。ラムレーズンパンケーキにも心引かれるんだけど、いつもサンドイッチを頼んでしまいます。そろそろ冒険心が失われてきました。
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