柁鼻神社

2022年5月20日

岩崎神社を離れ、再び国道10号を西に走っていたら、またもや迫力のある石灯籠に遭遇。思わず足を止めました。

宇佐市和気にある柁鼻神社(かじばなじんじゃ)です。

表参道

高く石積みした上に火袋を設けた石灯籠です。一の鳥居は石造りの根巻つき台輪鳥居。笠木の端先の反りに特徴があります。

表参道を進むと、石階段の先に二の鳥居と狛犬が見えてきました。

二の鳥居も石造りの台輪鳥居。扁額の模様が優美です。

片方の貫が欠損していました。

西参道

西参道にある鳥居も石造りの台輪鳥居です。

柱に元禄十七年寅申天 二月吉祥が読めました。

狛犬

表参道の二の鳥居脇にある狛犬が、大変お顔が格好良く印象に残りました。

特に吽形がよい。

こちらは東側にある鳥居の脇の狛犬。

まだ苔もない新しいものでした。

由緒

柁鼻神社由緒

御祭神
 鵜草葺不尊(うがやふきあえず) 彦五瀬尊(ひこいつせ) 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこ 神武天皇)

合祀社
 伊弉諾 伊弉冊尊(いざなぎ いざなみのみこと)市杵島姫尊(いちきしまひめのみこと) 柁神命(かじのかみのみこと)気長足姫命(おきながたらしひめのみこと 神功皇后) 和気清麿(わけのきよまろ) 大物主神(おうものぬしのかみ) 顕仁尊(あきひとのみこと) 火彦霊神(ほむすびのかみ) 菅原神(すがわらのかみ) 高龗尊(たかおかみのみこと)

御由緒
 八幡総本社である宇佐神宮一帯は、神武天皇東遷の聖蹟とされ、椎根津彦命(しいねつひこのみこと 椎宮の御祭神)に先導された神武天皇一行はこの柁鼻の地に上陸された言われている。
 「日本書記」によれば、宇佐の豪族 菟狹津彦(うさつひこ)菟狹津媛(うさつひめ)の御兄妹が天皇御一行に一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を建てて大御饗(おおみあえ 食事)を奉りお迎えしたと伝えられるのが此の宇佐の地である。
また、この時、神武天皇の勅諚(ちょくじょう)により天種子命(あめのたねこのみこと 後 藤原氏)が菟狹津媛を妻としたことによって大和朝廷と宇佐との関係がより深くなる。よって、この柁鼻の地に三柱の神を祀り、お社を建てたのが柁鼻神社の始まりである。
 八幡宮御祭神の神宮皇后は三韓出兵に際し、和間の浜において軍船を築造し、ここにて柁神を祀ると言われている。また、勅使・和気清麿公上陸の地とされ、東側に船繋石(ふなつなぎいし)の遺跡がある。

柁鼻神社御由緒 説明板

この地に神武天皇御一行が上陸したということは、昔はこの辺も海だったのでしょう。

社殿

表参道から境内を眺めます。右は神楽殿、その奥が拝殿。拝殿は瓦葺きの切妻屋根平入で向拝がついています。しめ縄の飾りがなければ、拝殿と気付けないままでした。

実際、この時はまだ国東地方に多い横長拝殿を見慣れず、最初拝殿と気が付かないまま奥に進みました。例えば、南九州だと拝殿の前に勅使殿があったりするので、地方の神社を見るほどに神社構造が把握できなくなってしまうのです。

そんな感じなので、拝殿の奥に進んでこれを見たら、もうどれが何なのか理解不能。もしや、鶴岡八幡宮みたいに舞殿が拝殿の前にあるのか?とか、南九州と同じく九州の古い神社形式には勅使殿があるのか?とか想像して混乱する一方でした。

正しくは、写真右の開放的な建物が申殿(もうしでん)、左の横長の建物が本殿です。

申殿は瓦葺入母屋造りで、本殿と拝殿側は縁だけを設けて開け放ち、側面は下側だけを壁にした開放的な造りです。

本殿は瓦葺きの横長な入母屋造りで、千鳥屋根の向拝がついています。瓦葺き入母屋の構造からして、ここは神仏習合の影響が大きいのかもしれません。

本殿の格子窓から覗くと、中にお社が並んでいました。つまり本殿が覆屋的な構造です。

写真左の檜皮葺き朱塗りの社は、実際の配置では建物の中央にある一番大きなものです。扁額に彦瀬波武鵜草葺不合尊、彦五瀬尊、神日本磐余彦尊とありました。脇に並べられた社が合祀社と思われます。

https://isshokuta.kuruxkuma.com/post-6334/