富貴寺

修正鬼会ですっかりテンション上がったビタワンと次に目指したのは富貴寺です。道路から伸びる階段がいかにも山寺な雰囲気。国東半島は安山岩と凝灰岩が豊富に取れる土地なだけあって、石垣、石段、石憧、石造の社号標、至るところ石だらけです。

富貴寺仁王門

参道の階段途中に仁王門(山門)があります。三間一戸の八脚門かと思ったけど、正面の柱が足りないような?千社札が至るところに貼られています。大堂の別称「安養閣」の扁額が掛けられていました。石造りの仁王像は江戸中期の作。
それにしても正面中央に掲げられた絵馬の派手なこと派手なこと。さすが天台宗。

仁王門をくぐったところで拝観料500円を払います。

富貴寺案内板

天台宗 蓮華山 富貴寺 宇佐六郷山霊場四番札所

養老二年(718) 仁聞菩薩開基
平安時代、宇佐神宮宮司の祈願所であった
蕗浦阿弥陀寺(現富貴寺大堂)の別当として、宇佐宮司家の保護のもと九つの坊を持ち、平安末、鎌倉初期までは権勢を誇っていたが、武士の台頭や、戦国時代の混乱などで衰退した。
江戸に入ってから徐々に復興し、除災招福、五穀豊穣を祈願する祈願所として本日まで法灯を護持している。

富貴寺本堂
本尊 阿弥陀如来(県指定無有形文化財)、不動明王
富貴寺大堂(国宝 不弥陀堂) 本尊 阿弥陀如来(国指定無有形文化財)

阿弥陀如来
無量の寿命を持つことから無量寿如来とも言います。限りない光(智彗)と限りない命をもって人々を救い続ける西方極楽浄土の仏さまです。四十八願の誓いを立てて、有名なものでは「南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くというものです。極楽往生、現世安穏の御利益から広く民衆から信仰されてきました。

不動明王
「お不動さま」の名前で親しまれており、憤怒の顔はどんな悪人も仏道に導く心の決意とされています。仏法の障害となるものには怒りをもって屈服させますが、仏道に入ったものには常に守護をして見守る仏さまです。また背中に背負った火炎で我々の悪い心を退治してくれるといわれています。除災招福、厄除開運の御利益で古くより信仰されています。

毎月縁日
毎月十五日 阿弥陀如来縁日
 午前十一時 阿弥陀護摩供 富貴寺本堂にて
 午後十五時 先祖回向 阿弥陀堂にて
毎月二十八日 不動明王縁日
 午前十一時 不動護摩供 富貴寺本堂にて

富貴寺 案内板

富貴寺大堂

西国唯一の阿弥陀堂《◉富貴寺大堂》です。

富貴寺大堂

富貴寺大堂は、明治四十年に特別保護建造物に指定され、昭和二十七年以降は国宝として保護されています。阿弥陀如来坐像は、大正七年に国宝に、昭和二十五年に重要文化財に指定されています。 平安後期、浄土思想阿弥陀信仰全盛期の建立で、総素木(榧)造りです。 三間四間(柱の間が三つと四つ)の建物で、周囲に廻縁があります。 大面取りの方柱に舟肘木をのせ、その上に単層宝形造りの屋根をのせ、行基瓦葺二重繁垂木になっています。簡素な形、優美な屋根の線、それらがどっしりとした安定感を与えています。

内部は板敷で、四天柱で内陣が区切られ、弥陀如来坐像が安置されています。須弥壇の格狭間の線はふっくらと優しい形をしており、小組格天井は端正です。

大堂はこれまでに四回の大修理が加えられました。文和二年(一三五三)の墨書のある棟木の一部が残存しています。現在のものは昭和二十三年から二十五年に大修理されたもので、昭和四十年には行基葺に改修されています。

富貴寺 パンフレット

裏から中に入ることができます。

内部は撮影禁止でした。大分県立歴史博物館で再現されたきらびやかなものとは違い、年を経てうっすらと残る壁画を拝見。現在、本堂の改修に伴い阿弥陀三尊像が置かれていましたが、こちらが大堂の本来の姿だそうです。

富貴寺国東塔

国東半島特有の形式の石塔。

富貴寺本堂

大堂を出て、裏から本堂に向かいます。

下からも覆いが見えたのでわかってたけど、ここも改修中でした。

こちらで御本尊の阿弥陀如来坐像を拝顔できました。