両子寺

2023年6月7日

山岳修行の根本道場で六郷満山総持寺(大本山)の両子寺にやってきました。

無明橋

両子寺の参道の入り口に無明橋があります。不信心者もこの橋を渡れば信仰心が湧き、牛馬が渡れば落橋するそうな。

無明とは真理に暗いという意味。ここを渡って真理に向かって進みます。

両子寺仁王

参道に構える仁王像は国東半島最大級の大変立派なものです。

町指定有形文化財(昭和五十六年三月二十五日指定)
両子寺仁王
     所   在  地 大分県国東郡安岐町大字両子
     所有者又は管理者 両子寺
     時      代 江戸時代後期

 石造仁王は全国に分布しているものの、その数は大分県が圧倒的に多く、中でも国東半島には、一三〇を越える仁王が確認されている。
寺域や仏像、神社の守護を目的として造られた仁王は、鎌倉時代から造られ始め、安土桃山時代に最盛期を迎える。しかし、江戸時代の後半になると仁王は村全体、個人の信仰の対象として造立、奉納されることが多くなる。
 両子寺の仁王は大型で容相もいかめしく、天衣や裳の表現にもすぐれている。阿形像左手に持つ金剛杵は肩上に構え、右手は腰の位置で拳にする。吽形像右手は肩下掌を前に開き、左手は腰の位置で拳にする。両像とも腹をやや突出し、胸骨や筋肉の表現には力強さが感じられ、国東半島を代表する仁王像である。
 銘はなく、寺の伝えによると、文化十一年(一八一四年)の作といわれ、総高二四五cm(阿形・吽形)、像高二三〇cm(阿形・吽形)石材は角閃安山岩である。
平成十年三月 安岐町教育委員会

両子寺仁王 案内板

山門

山門(総合門)は切妻屋根瓦葺の四脚門。

山号「足曳山」のの扁額が掲げられている。

美しい石畳の参道が続きます。両脇にはたくさんの紅葉。秋にはさぞかし見事な紅葉が見られるのでしょう。

護摩堂の石垣にある階段を上がった所に受付があり、拝観料300円を払います。

護摩堂

四方宝形の屋根を持つ護摩堂に上がります。こちらの本尊である鎌倉時代作の不動明王像をはじめ観音菩薩、阿弥陀如来、毘沙門天、歓喜天が祀られていました。

大講堂

境内のせせらぎを渡す鬼橋を通り、稲荷堂、大黒天堂の先に大講堂があります。明治維新の廃仏毀釈で焼失したものを平成3年に再建したものです。

釈迦三尊を中心に四天王が置かれ、本尊の後ろには阿弥陀聖衆来迎図が描かれていました。鬼橋の近くに戻り、国東半島でも屈指の古さと言われる仁王像が守る石段を進みます。

両子山登山道、奥の院の入り口に、両所大権現の扁額がついた石造りの明神鳥居があります。

国東塔

奥の院本殿

奥の院の別名を護国殿という。弘化3年(1846年)旧藩主松平親良候の発願により再建された。木造懸造り。本尊は十一面千手観音、両子大菩薩、仁聞菩薩、宇佐八幡菩薩を祀る。子授け申子祈願の霊場です。

奥の院の左側に洞窟の入り口があります。奥の院岩屋洞窟です。洞窟の奥に小さな千手観音菩薩像が祀られていて、不老長寿になると云われる霊水が湧いています。