大尾山
柁鼻神社を離れて西に向かって走り、途中で国道を反れて住宅地を抜けたら宇佐神宮外苑にある野球場に出ました。野球場を右手に南下すると、これまた迫力のある石灯籠に行き当たりました。ここで地図を確認すると、どうやら和気清麻呂に縁ある土地らしいので寄り道します。
表参道
宇佐神宮の東参道から続く、大尾山麓の表参道です。
堂々たる狛犬と、巨石の石灯籠と石積みの石灯籠がそびえます。
一の鳥居
階段の上に朱塗りの根巻つきの台輪鳥居。
額束がなく、雨覆屋根のある笠木が大きく反っています。
鳥居をくぐった後に長い階段が続きます。その先に碑が見えてきました。
あれがゴールに違いない…
和気公之碑
息を上げながら、ようやくたどり着きました。
和気公之碑
和気公之碑 掲示板
神護景雲三(七六九)年の宇佐八幡宮神託事件で、万世一系の皇統を護持し奉った和気清麻呂公を顕彰するため、日露戦争日本海海戦の連合艦隊司令長官であった東郷平八郎元帥が揮毫し、大正四(一九一五)年に建てられた記念碑です。
宇佐神宮
和気公之碑の前に車道があり、坂道が続いていました。
階段で息が切れていたので先があったことに軽くショックを受けましたが、気を取り直して舗装道路を走って登ります。
大尾神社
行き着いた先に朱塗りの台輪鳥居がありました。大尾神社に到着です。
大尾神社の鳥居は、表参道のものと同じく、額束なし雨覆屋根付きの台輪鳥居です。
拝殿を兼ねた玉垣が本殿を囲みます。塗り直されたばかりで、どこもかしこも彩色が鮮やかです。
大尾神社御由緒。
大尾神社(おおおじんじゃ)
御祭神 八幡大神
御創建 天平神護元(七六五)年
八幡大神は奈良の都の大仏開眼式に臨まれ、宇佐へご帰還ののち、天平神護元(七六五)年、この大尾山にしばしの間鎮座するとの御神託を下した。
大尾神社 掲示板
これを受けて山上に本殿が造営され、十五年間お鎮まりになった。
この間、神護景雲三(七六九)年七月十一日、和気清麻呂公は「宇佐使」として当地に参向、八幡大神より皇統を守護する託宣を受けられた。
大神が本宮へ遷御されたのち神勅拝受の聖蹟として八幡大神の御分霊を祀り、大尾神社と称された。
なるほど、和気清麻呂が宇佐使として来た頃は、ここが宇佐大神の御座すところだったわけですか。だから、御神託をここで受けたという話につながるのですね。
格子戸に「ご自由に開けてお入りください」とありますので、遠慮なく玉垣内へ。
申殿は、鋼板拭き入り母屋造りで柱が朱塗りです。
瑞垣越しに本殿を見ます。
本殿は鋼板拭流造り、柱の朱が映えていました。
護皇神社
大尾神社から舗装道路を下ったところに、朱色の玉垣に囲まれた神社が見えてきました。宇佐神宮末社護王神社です。
鳥居は、朱色の根巻つき台輪鳥居。石垣の上に拝殿を備えた雨覆屋根つきの板垣があります。
神猪石です。
道鏡の怒りを買って脚の腱を切られた和気公が宇佐に詣でたところ、銅鏡の刺客から猪が和気公を護ってくれたばかりか、脚が回復する奇跡があったと書かれています。
護王神社御由緒。
護王神社
御祭神 和気清麻呂朝臣命(わけのきよまろあそんのみこと)
御創建 明治三(一八七〇)年
神護景雲三年(七六九)年七月十一日、和気清麻呂公は宇佐使として当地に参向し「我国は開闢以来 君臣の分定まれり、臣を持って君と為すこと未だあらざるなり 天津日嗣は必ず皇儲をたてよ 無道の者は宜しく早く掃除(そうじょ)すべし」という八幡大神の御託宣を受け、道鏡の野望はくじかれ、皇統が守護されたのである。
護王神社 掲示板
大尾山の大尾神社付近はこの御神託を受けた旧蹟である。
大尾山参道
大尾山を下りました。御食川を渡った先は宇佐神宮への参道です。
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