武蔵一宮 氷川神社
10月のよく晴れた日です。この日はさいたま新都心駅東口からスタート。
線路と並行する旧中山道を数百メートルほど北上すると、右に武蔵一宮 氷川神社の一の鳥居が現れます。こちらは笠木に雨覆屋根がある朱塗りの明神鳥居。笠木と根巻と台輪が黒いのに加えて島木と貫の両端にも黒が塗られているのが珍しい。
ここから約2キロ「並木十八丁鉾杉つづき」と歌われた氷川神社の参道が続きます。木立が心地よい日陰を作る参道で、脇には小さな神社の他に区役所や小学校、雰囲気のよいカフェ等が建ち並びます。途中には石畳が敷き詰められた氷川参道平成ひろばがあり、参道が地域の憩いの場として活用されているようです。
交差点を挟んで次に見えてきたのが、前に灯籠と狛犬が配された二の鳥居。こちらは明治神宮から移築されたもので、関東最大級の木造鳥居です。こちらの鳥居も一の鳥居と形式は大体同じですが、台輪がありません。どうやら島木と貫の両端に黒が塗られているのが氷川神社の特徴?
氷川神社(ひかわじんじゃ)
所在地 大宮市高鼻町四ノ一ノ一氷川神社は、社記によると第五代孝昭天皇の三年四月未(ひつじ)の日の創立と伝えられる。
氷川神社参道掲示板
当社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命(えたけひのみこと)が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(七二四~四九)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、ついで称徳天皇の天平神護二年(七六六)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進された。さらに醍醐天皇の延長五年(九二七)の「延喜式神明帳」には、明神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。
このほか、鎌倉時代には、治承四年(一一八〇)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(一六〇四)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄五年(一五九六)と寛文七年(一六六七)には社頭の整備と社殿の造営が行われている。
その後、明治元年(一八六八)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇みずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改造し、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。
祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)・稲田姫命(いなだひめのみこと)・大己貴命。(おおなむちのみこと)
例祭は八月一日。そのほか神事の中で特に勇名なのが十二月十日の大湯祭(だいとうさい)である。
昭和六十年三月
埼玉県
大宮市
二の鳥居から数百メートル進み三の鳥居をくぐると境内に入る。三の鳥居も笠木に雨覆屋根がある朱塗りの明神鳥居。笠木と根巻が黒いのは前の2体と同じですが、笠木の反りはわずかで島木と貫の両端も塗られておらずソリッドな印象です。
境内に入るとすぐに神楽殿、額殿がある。額殿はみるからに古く、どうやら江戸時代後期の作という。老朽化がすすみ崩壊のおそれがあるためか建物内に筋交いがたくさん設けられていた。
そういえば市場に通うようになって千社額をよく見るようになりましたが、あれも元はと言えば奉納額から派生したもの。暮らしと宗教が密接していた時代に作られた風習です。
神池、神橋を通って楼門をくぐって回廊内に入る。
本殿から幣殿、拝殿、舞殿、楼門が、やや東に傾くものの南に向かって一直線に並ぶ配置です。
本殿の右隣に神輿舎があるのが変わっています。
東門から出たところに門客人神社と御嶽神社がある。
門客人神社(写真左)の御祭神は、稲田姫命の御親神である足摩乳命(あしなづちのみこと)と手摩乳命(てなづちのみこと)である。以前回った南九州では門守社として祀られていたように、北関東から東北にかけては客人神(まろうどがみ)が門客人神社となることが多いらしい。
氷川神社の門客人神社は、元は参道にあって荒脛巾社と呼ばれていたのを寛永7年に境内に造営したものだそうです。
門客人神社
男體社の東にあり、祭神は豊磐窓命・櫛磐窓命の二座にて古は荒脛巾神社と號せしを氷川内記神職たりし時、神祇伯吉田家に告して、門客人社と改號し、手摩乳・脚摩乳二座を配祀すと云、按に出雲國杵築の摂社に、門客人社と云もの二宇ありて、東は櫛磐間戸命、西は豊磐間命を祀る由なれば、門客人號は全くこれにもとづきしならん、又脚摩乳・手摩乳の二神は、同所夭前社の祭神なれば、爰へ配祀せしなるべし、これ等に據ても、當所氷川社の簸川上杵築社を移し祀りこと證すべし、
大日本地誌大系. 第12巻 風土記稿8
門客人神社と御嶽神社を通り、さらに東に進むと大宮公園に出る。氷川神社との境には石柱が建てられていて、まるで注連柱のようでした。
大宮公園には入場無料の日本庭園もありました。さすが盆栽の街です。
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