太宰府跡

太宰府駅からバスに乗って太宰府政庁跡に行きました。四王寺山の南麓に当たります。

万葉歌碑

やすみしし我が大君の食す国は大和もここも同じとぞ思ふ 大伴旅人

太宰府政庁跡

大宰府は7世紀後半から12世紀後半にかけて九州を統括する行政機関として機能し、西の都としての役割も果たしました。地理的に日本の外交と防衛の最前線であり、アジア大陸の窓口としても機能したことから、重要な政治の中核として大宰府の中心地に政庁が建設されました

南門跡

中門・西東脇殿跡

正殿跡

旅行前にはノーマークだったにもかかわらず、最終的に福岡旅行でここが一番印象に残りました。律令制時代の街をこれほど体感できるところは他にありません。よくここまで整備したと思います。京都の羅生門跡とか比べ物にならないもの。

月山東地区官衙

バス停のすぐ近く。

大宰府正門礎石

朱雀大通りが御笠川を渡るところに大宰府正門礎石(朱雀門礎石)がある。太宰府から博多に戻る途中のバスの車内から眺めた。

坂本八幡宮

大宰府政庁跡から北西に歩いてすぐ。元号「令和」の起源となった「梅花の宴」が行われた大伴旅人邸跡の候補地のひとつとされているため、令和の石碑がある。