日本美術の流れ@東京国立博物館 本館

2022年4月19日

渡辺省亭の絵が展示されていると聞いて、一ヶ月半ぶりに東京国立博物館に行きました。以下に気になったものをメモとして残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。

3室 仏教の美術―平安~室町

《◎北野天神縁起絵巻(甲巻) 1巻 鎌倉時代・13世紀》
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讒言によって大宰府に左遷されて死んだ菅原道真の霊を天神として祀る北野天満宮の草創の由来と、その霊験譚を集めたもの。社寺縁起絵巻の中で最も流布し、遺品も多い。この作品は「弘安本」と呼ばれるもの。北野天満宮所蔵の三巻から流出した絵が、現在、東博、大東急記念文庫、米国・シアトル美術館などに分蔵されている。

3室 宮廷の美術―平安~室町

《八幡大菩薩縁起 1巻 南北朝時代・14世紀》
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八幡神(八幡大菩薩)の霊験と、人々の崇敬を描いた絵巻の断簡。すぐ手前に見える第一段は、修験道の祖、役行者が中国への渡航を八幡神に祈ったという話。異時同図法で、拝殿の中と庭先の二ヶ所に、鬼をつれた役行者が描かれている。役行者は鬼神を使役できるほどの法力を持っていたといわれ、よく夫婦の鬼をつれて描かれる。夫の前鬼は陽を表す赤鬼、妻の後鬼は陰を表す青鬼。この絵では、赤鬼が斧と鯉幟のようなものを、青鬼は払子のようなものを手にしている。

3室 禅と水墨画―鎌倉~室町

《○囲棋観瀑図屏風 6曲1双 伝狩野元信筆 室町時代・16世紀》
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元信は正信の跡を継ぎ、大規模な製作をこなす画家集団としての狩野派を作画システムを作り上げ、狩野派発展の基礎を確立した。狩野派は周文や雪舟といった画僧に代わり、15世紀末には水墨画製作の担い手として台頭した。
右隻に碁を打つ人、左隻に滝とそれを眺める人を描いている。画面のつながりに関連性がないことから、それぞれ別に製作されたものが、いつしか一対になって伝わった可能性。右隻には、荷物を背負って橋を渡る人、お供をつれた客人、右隻中央に碁を打つ人、それを観戦する人が描かれている。その左にお茶の準備もある。左隻は雪が降り積もる山中。画面右に高い崖から流れ落ちる滝が描かれている。滝の下は水煙でけぶっている。左に家の中から滝を眺める人たち。下には雪支度の人が歩いている。

5室 武士の装い―平安~江戸

《模造 赤糸威鎧 1領 小野田光彦 昭和12年(1937)、原品:平安時代・12世紀》
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東京青梅の武蔵御嶽神社の赤糸威鎧(国宝)の模造。現品は畠山重忠奉納と伝えられ、平安後期の完備した大鎧の形式である。札の黒漆、威の赤糸、金物の鍍金など当初の美しい姿が復元的に理解できる。胴の部分、獅子の模様がかわいらしい。

《肩脱二枚胴具足 1領 安土桃山~江戸時代・16~17世紀》
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板札(いたざね)を金箔押しとし、紫、紅、萌黄、紺、白糸で威した色々糸威の具足。胴は肩肌脱ぎで乳房、肋骨、背骨を表している。兜は鉢に熊毛と植え、正面に眉や皺がある。わざと筋骨隆々な体にしないところが、面白い。

7室 屏風と襖絵―安土桃山~江戸

《山水人物図襖 4面 呉春筆 江戸時代・18世紀》
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4枚の襖に渓流のそばで寛ぐ文人たちが描かれている。衣服をはだけて団扇をあおいでいるところから、季節は夏だろう。そばでお付の子供がお茶の準備をしている。はじめ与謝蕪村に師事した呉春の晩年の作。衣服の柔らかさ、ごつごつした木の幹、ボリューム感のある岩、の応挙の人物山水画の影響が顕著。

《山水人物図襖 4面 呉春筆 江戸時代・18世紀》
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金地の背景に銀の月が浮かび、ゆったりとした流水が緑青の地面と接している。鋭い枝ぶりの紅白の梅に中睦まじく顔を向き合わせた二組の鳥。右隻には江戸時代にしばしば例が見られるように、左右の屏風を入れ替えても、構図がまとまり鑑賞に適う作品。

8室 暮らしの調度―安土桃山・江戸

《椿蒔絵硯箱 1合 江戸時代・19世紀》
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表面は黒漆塗として、銀・青金の高蒔絵で椿の幹や葉を、螺鈿で椿の花弁を表す。大柄の格子模様に椿を配す、そのモダンな意匠が目を惹く。

《梅樹据文三味線 1挺 石村直作 江戸時代・寛政10年(1798)》
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鉄刀木(たがやさん)というタイやミャンマーなどの熱帯原産の固い木でできた胴に紫檀の棹をつけた、希少な外来銘木を用いた三味線。胴部には、金銀や象牙でできた梅花が嵌め込まれて、大変豪華である。

8室 書画の展開―安土桃山~江戸

《桜に春草図 1幅 尾形乾山筆 江戸時代・18世紀》
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桜の木の下、土筆や蒲公英、蕨などの草花が暖かく賑やかな雰囲気をかもし出す。画中に書かれているのは三条西実隆の「雪玉集」にある和歌で、室町時代の第九代将軍、足利義尚の催した歌合せにおいて「盛花」の題で詠われたもの。「みるたびの けふにまさしと思ひこし 花は幾世のさかりなるらん」と咲き誇る桜を将軍の権力に例えた祝いの歌である。

《蝦蟇仙人図 1幅 長沢芦雪筆 江戸時代・18世紀》
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蝦蟇の前脚を肩越しに回した両手でつかみ、三本足の巨大な蝦蟇を背負う蝦蟇仙人。仙人の中でも人気でよく描かれるが、後姿は他に例がない。少ない筆数とにじみを効かせた水墨面にうならされる。

《漁村富士図 1幅 東東洋筆 江戸時代・天保5年(1834)》
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三本の松の先にあるのは、魚籠や釣竿が見えるので漁師の家らしい。遠く富士が白くそびえ、まさに霊山の趣。東北生まれの東洋は、江戸、京をはじめ各地を遊歴し、晩年は仙台藩御用絵師となった。

《乗興舟 1巻 伊藤若冲筆 江戸・明和4年(1767)》
伊藤若冲が相国寺の大典和尚と淀川下りをした折りの感興を絵画化した絵巻。ふつうの版画とは異なり、拓本をとるようにして作った。ぼかしが美しい。
乾山の絵を見て振り返ったら、視界にすごい迫力で飛び込んできて驚きました。キャプションを見て若冲とわかって、変に納得。そうよね、こんな奇抜なのを描くのは若冲くらいよ。

《周茂叔林和靖図屏風 狩野探幽筆 江戸時代・17世紀》
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中国の西湖に隠棲した詩人たちの理想的な田園生活を描いたもの。前景は右隻中央に周茂叔(しゅうもしゅく)の愛蓮、左隻右方に 蘇東坡(そとうば 蘇軾)の騎驢、右方に林和靖(りんなせい 林逋)の愛梅で、それぞれ北宋の故事になぞらえている。遠景は、右隻に陶淵明(とうえんめい)の帰郷、左隻に王義之(おうぎし)の観鵞で東晋の故事。近い時代を前景に、古い時代を遠景に配し、中国の有名な文人をオムニバスに描いた。

愛蓮は「蓮は泥(でい)より出でて、泥(でい)に染まらず」と詠んだ。東坂騎驢は古来より多く描かれている。林和靖は、梅を愛し、鶴を放して愛でていたという故事にちなんで梅と鶴とを組み合わせた図像で描かれることが多い。陶淵明は帰去来辞を詠んで官位を捨てて故郷に戻った。王義之は書の芸術性を確固たらしめて書聖と称される。鵞鳥が幼い頃から大好きだったという。

9室 能と歌舞伎 能「春日龍神」の面・装束

《能狂言絵巻(上巻)の内「春日龍神」 1巻 筆者不詳 江戸時代・18世紀》
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能「春日龍神」は、釈迦を慕う明恵上人が天竺の仏跡を訪ねようと春日明神にいとまごいを詣でたところ、春日明神が「釈迦がこの世を去った今では、春日山こそ釈迦説法の霊鷲山に等しい」と神託を下し、天竺行きを断念したという逸話を題材としている。春日大社に奉仕した金春座中興の祖、禅竹創作と伝えられる。この絵では、能の後場、春日にいる明恵の目前に八大龍王が集まり、釈迦の説法を聴く場面を描いている。まさに、神仏習合の現れである春日明神の意義を示した物語である。

10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)

《縁先美人図 1幅 筆者不詳 江戸時代・17世紀》
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浮世絵版画発生以前の寛文美人図の代表作。金箔が用いられた豪華な着物の美人は、縁側に立ち遠くの方を見ている。実は、夜中に山を越して別の女のもとに通う夫を送り出し、その身を案じて和歌を詠む伊勢物語の「河内越」段の女を描いた見立絵と考えられている。「風吹けば沖つ白浪たつた山夜半にや君がひとりこゆらむ」から、女の胸元の風車模様、裾の金色の波模様が表されている。

《雛祭り 2枚 喜多川歌麿筆 江戸時代・文化2年(1805)》
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歌麿は浮世絵の黄金期、寛政期を代表する絵師。市井の美人から吉原の遊女までさまざまな美人を描いた。この絵では三段の豪華な雛壇を前にご馳走やお酒を楽しんでいる。

《桃林に牛 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
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十二支を題材にして作画されたシリーズのひとつ。でっぷり太った牛の迫力が目に残る。画題は、周の武王が殷を滅ぼしたときに、戦争に使用した馬を崋山の南側に帰し、武器などを運搬させた牛を桃林に放って、二度と戦争はしないことを人民に示した故事による。

《文鳥 辛夷花 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》
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詩や俳句が画中に添えられた中判花鳥画10枚揃の一枚。辛夷花とはコブシのことだが、画中では木蓮のように花弁の裏が赤い。文鳥は体をそり返し、頬の白がこれもまん丸に誇張されて描かれている。

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《桜下婦女図 1幅 川又常行筆 江戸時代・18世紀》
常行は江戸時代中期の浮世絵師で川又派の祖。肉筆画だけが残されている。枝垂れ桜の下に赤い振袖の女。女の視線は地面に落ちる桜の花びらに注がれている。

《摘み草図 1幅 北尾重政筆 江戸時代・18世紀》
川辺で春の草を摘む5人の女たち。振袖だったり前帯だったり帯締めとして兵児帯を腰に巻いたり、様々な着こなしが見える。摘み草は、初春、山野に出て食用となる野草や山菜を採集することで、蔬菜栽培が本格化するまでは、ごく一般的な行為であった。北尾重政は版元須原屋三郎の長男。家業を弟に譲り、画業に専念して北尾派の祖となった。文学関係のと関わりの深い弟子が多い。

《木曽海道六拾九次之内・大井 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
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46番目の宿場である大井は、起伏に富んだ山間のわびしい宿場だった。広重は、背景の山々でその起伏の激しさを表し、しんしんと降り積もる雪に宿場のわびしさを描いた。

 《◎風俗図巻 1巻 宮川長春筆 江戸時代・18世紀》
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宮川長春(1682-1752)は、版画を描かず肉筆画に専念した絵師。本図は長春の盛期の作風を伝える優品で、武家屋敷で芸を披露する女舞の一行を描いたもので、大名屋敷へ向う女舞の一行、その屋敷内で上演される傘踊りと、臨時の楽屋で身繕いをしている様子を描いている。屋敷の中には狩野派風の屏風があったりと、見所が多い。

10室 浮世絵と衣装―江戸(衣装)

《打掛 綸子地橘に几帳模様 1領 江戸時代・19世紀》
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江戸時代後期に、地色を紅、白、黒の三色で同じ模様であつらえた三つ揃と呼ばれる婚礼衣装が裕福な町方女性に流行した。橘は変わらぬ若さの象徴、几帳は雅やかな王朝の文物として、ともに吉祥文様。

14室 おひなさまと日本の人形

《享保雛 江戸時代・18世紀》
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享保年間に町方で流行したもので、実際の公家装束から離れた豪華な衣装を纏う。江戸では大きな雛飾りを競い合う流行があり、享保6年(1721年)にはて8寸(約24センチ)以上の雛人形が幕府によって禁止された。

《台付機巧輪舞人形(部分) 茗荷屋半右衛門・川合谷五郎正真作 江戸時代・正徳3年(1713)》
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花見の場で踊り遊ぶ様子が表されている。台座の棒を回すと、若衆をはじめとした人形が三味線の音にあわせて回転するからくり。

《初参人形 明治時代・19世紀》
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裃を着て正座する少年の人形。皇族の乳児が初めて天皇に拝謁する御初参内で拝領したもの。手前の赤い着物の人形は、明宮嘉仁親王(後の大正天皇)のもの。

15室 歴史の記録 博物図譜

中国の本草学をもとにはじまる日本の博物学は、享保年間(1716~35)頃から幕府が実施した全国産物調査を契機に、その体系が整い、さらに西洋の博物学の影響をうけ、幕末から明治期にかけて科学的研究が展開しました。江戸の博物学者らによって描かれた動物、植物、魚類など、さまざまなジャンルにわたる博物図譜をご覧いただきます。

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《本草図説 60 蟹類 1冊 岩崎灌園著 江戸時代・19世紀》
江戸時代を代表する植物図鑑「本草図譜」の著書で知られる幕臣、岩崎灌園の自筆稿本。灌園の居宅名「又玄堂」の用箋に描いてある。

《奇獣図譜 1巻 江戸時代・18世紀》
天狗の骸骨をはじめ、ドシドシ歩く動物、三つの頭を持つ蛇など、奇妙なもの12種を収録。江戸時代中期の国学者、屋代弘賢の旧蔵書。

《博物館図譜 百鳥図・異獣類 1冊 博物局編 江戸~明治時代・19世紀》
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前半は100羽ほどの鳥類。後半は異獣類として、バク、モモンガ、ユニコーン、水牛、麒麟、かわうそなどが描かれている。要は、伝聞を元に想像で描いたものということか。

《物館写生図(琉球狆) 1枚(134枚の内) 関根雲停、中島仰山他筆 江戸~明治時代・19世紀》
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キャプションに「この狆は当時の琉球狆の姿を伝えている」とあった。当時の小型愛玩犬は全て狆と呼ばれていたのだろう。足が長く短毛なことから、今でいうミニチュアピンシャーに近い犬種かもしれない。ミニチュアピンシャーは起源が17世紀あたりに始まるし、断尾断耳しなければ、よく似たフォルムになるばず。

18室 近代の美術

《龍頭観音像 1幅 河鍋暁斎筆 明治時代・19世紀》
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暁斎はたびたび龍頭観音を描いた。右上に如空暁斎洞郁謹画と署名がある。
(同上 部分拡大)
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足のあたりをよくみると、あたりらしき線がある。洞郁は狩野派としての画号。大きすぎて下の方は伸ばせていない。この作品は席画と、「反骨の画家 河鍋暁斎」にあった。
bunnkamura ザ・ミュージアムの暁斎展に行ったばかりなので、一目見てすぐに暁斎だとわかった。トーハクでこんな大作を拝めるとは、なんという僥倖。しかし、18室で暁斎か。確かに近代の画家なんだけど、どこか違和感。

《花下躍鯉 1幅 飯島光峨筆 明治7年(1874)》
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桜の枝越しに見る月は低い視点から、飛び跳ねる鯉は高い視点から描いてある。桜も鯉も跳ねる飛沫も非常に細やかに描かれている。飯島光峨は、江戸末期から明治を生き、暁斎と人気を二分したと言われる狩野派の絵師。

《雪中群鶏 1幅 渡辺省亭筆 明治26年(1893)》
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今年は4月2日に100年忌を迎えることから、渡辺省亭の作品が多く見られそうでうれしい。雪の積もる大八車の上下に群がる鶏の図。集中しているところを見ると、ここだけ陽だまりなのかもしれない。この作品は、明治26年(1893年)のシカゴ万博博覧会に出品されたもの。

《赤坂離宮花鳥図画帖 渡辺省亭筆 明治39年(1906)頃》
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明治42年(1909)に東宮御所(後に赤坂離宮)として建設された迎賓館の花鳥の間(大食堂)の壁面に飾られた七宝焼の下絵。百舌や行々子の胸元のやわらかそうな羽毛。淡紅鸚哥の鮮やかな色。赤山茶花の欠落感とか憎くさえ感じるほど。どれも素敵で見惚れます。

 

今年3回目のトーハク常設展でした。しばらく来ていないと、ずらっと展示替えしてあってあれもこれもとなって大変です。どうせ全ては観られないのだから飛ばして見るしかないのですが、素通りしようと思っていても、展示物がこっちを引き止める。時間がない時に限って、普段なら通り過ぎるところに、変なものが置いてあるから油断できない。トーハクってホント恐ろしいところですね。

 

お昼ご飯は東洋館のゆりの木で五目つゆそばとBセット。

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上野公園では、寒緋桜が咲いていました。f:id:Melonpankuma:20170311173041j:plain

次は博物館でお花見をに合わせて行きます。

www.tnm.jp