日本美術の流れ@東京国立博物館
今年の桜は咲きはじめから満開までが短かったですね。例年だと花冷えになったりして、桜の花見は大抵が修行のような状態になるのに、今年は連日お花見日より。どこもかしこも、ずっとどんちゃん騒ぎです。そんな時期、よせばいいのに上野へ行きました。しかも、よりによって週末です。当然、電車を下りた瞬間からもみくちゃになります。
東京国立博物館も賑わっていました。
博物館でお花見をイベント開催中です。
展示室に咲く名品の桜、庭園に咲く約10種類に及ぶ桜。
屋内でも屋外でも桜をお楽しみいただけます。この時期限定のイベントも盛りだくさん。日本美術の殿堂、トーハクで特別なお花見をお楽しみください。
まずは庭園を一回り。
オオシマザクラが満開でした。
このまま庭園で過ごしたくなるくらい、気持ちのよい日でした。しかし、花はよいけど、こう暖かくなると、鼻がね。
しょうがないので、本館展示室に移動します。
今の時期、桜をモチーフにした作品には、桜のマークがつけられていました。桜スタンプを押しながら、本館展示室を回りました。
いつものように、気になったものについて以下にメモを残します(◉は国宝、◎は重要文化財、◯は重要美術品)。
- 本館 2室 国宝 花下遊楽図屏風
- 本館 3室 仏教の美術―平安~室町
- 本館 3室 宮廷の美術―平安~室町
- 本館 3室 禅と水墨画―鎌倉~室町
- 本館 4室 茶の美術
- 本館 7室 屏風と襖絵―安土桃山~江戸
- 本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸
- 本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)
- 本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(衣装)
本館 2室 国宝 花下遊楽図屏風
《◉花下遊楽図屏風 6曲1双 狩野長信筆 江戸時代・17世紀》
一年ぶり。右隻に満開の桜の下の酒宴を、左隻に八角堂の前で繰り広げられる風流踊りを描いている。きらびやかな衣装を纏って楽しげに踊る人々に、自然に目が行きます。
本館 3室 仏教の美術―平安~室町
いわゆる三尺阿弥陀であるが、その中では小柄な部類に属する像である。全身を金泥塗りとし、衣には金箔を細く切った切金で文様をこまかく表す。足裏も表現して、朱で仏足文を描く。両手の掌にも朱で輪宝文を描くが、剥落が著しいのが惜しまれる。
やや前傾。両掌の輪宝文は単眼鏡を使って、かろうじて見える。
鎌倉時代には、阿弥陀仏が多くの菩薩を従えて臨終の場に迎えに来る図が多く制作された。この図でも、楽を奏でる菩薩たちに囲まれて来迎する阿弥陀仏を描いている。画面右下の家屋には、南無阿弥陀仏と唱えつつその来迎を祈る臨終の人物も描かれている。
阿弥陀如来の頭光の一筋が伸びて家屋内の人物にまで届いている。こういうのは、まさに如来ビームと呼びたいところ。
春日大社は武甕槌命が常陸国鹿島から鹿に乗り、春日の地に降り立ったことから始まる。本図は雲上の鹿の鞍に据えられた榊や日輪で神々の姿を象徴的に表わしたもの。霞を隔てた画面上部には瑞雲がたなびき、月の出る春日山、桜咲く御蓋山、若草山などを描く。
室町時代の作ですが、鹿曼荼羅の中でも本地垂迹の色がほとんどない極めて基本形のもので、しかも桜の御蓋山が描かれている。色合いも穏やか。
仏教僧徒の驕慢ぶりを天狗にたとえた絵巻。当館所蔵の二巻は、延暦寺および東寺・醍醐寺・高野山の縁起的な場面で、風刺的場面は含まれていない。絵は鎌倉時代後期の正統なやまと絵で描かれた優れた作品である。
Colbase:紙本著色天狗草紙(東寺・醍醐寺巻/延暦寺巻)
天狗草紙は、諸寺諸山の僧徒が驕慢我執の外道に陥った様子を、天狗の七類にたとえて批判した絵巻。展示場面は、醍醐寺の清瀧会(桜会)。満開の桜のもとで踊る稚児たちと、それを眉をしかめながらも熱心に見物する僧俗が描かれている。それにしても、よくもこんな内容のものが残ったなと思う。一体誰が保管していたものなんでしょう。
本館 3室 宮廷の美術―平安~室町
右左隻を連続した一画面として六頭の繋馬(つなぎうま)を描く。屋外には右隻に松、藤、鷺、亀、左隻に桜、柳、鶴、鴛鴦。厩舎前に囲碁、将棋、双六に興じる人々、犬や猿を配す。駿馬を主題としつつも、花鳥画と風俗画の要素を取り込み、吉祥性を込めた画面となっている。
実際の厩が板張りな訳はないでしょうから、あくまで絵画的なモチーフだとは思います。馬図、花鳥図、風俗画と随分とモチーフを盛り込んでいる。
本館 3室 禅と水墨画―鎌倉~室町
《墨蘭図 1幅 玉畹梵芳筆 南北朝時代・14世紀 個人蔵》
本図のように水墨で描いた蘭を墨蘭といい、墨竹や墨梅とともに中国・北宋末の文人が始めたものという。梵芳は建仁寺や南禅寺の住持を務めた名僧。文人風の生活を好み、墨蘭を得意とした。
《◎四季山水図屏風 6曲1双 伝周文筆 室町時代・15世紀》
周文は室町時代の水墨画を代表する画家で、京都の相国寺を拠点に、15世紀中葉に活躍した。周文の確実な真跡はこれまで確認されておらず、この屏風も周文の弟子の世代の作品とみられる。舶載された山水画の諸図様を組み合わせて大画面が構成されている。
山市、帆船、月、雁、漁村、雪景を含むが、右隻第一扇など構成に不自然な部分がある。
本館 4室 茶の美術
《魚屋茶碗 銘 さわらび 1口 朝鮮 朝鮮時代・16~17世紀》
魚屋は斗々屋とも書き、高麗茶碗の一種です。釉にムラがあり、灰色を帯びた地に枇杷色の斑模様が浮き上がっているようにみえます。さわらびの銘は源実朝の歌にちなみ、近江小室藩主小堀政峯(1689~1761)がつけたもの。
内側にも模様があり、外側の枇杷色と反対色である淡い青緑が入っています。源実朝の歌というのは「さわらびの萌え出づる春になりぬれば野辺の霞もたなびきにけり」です。
《◎山吹文真形釜 1口 芦屋 室町時代・15世紀 (公財)美術工芸振興佐藤基金蔵》
羽のある、ふっくらとした形の典型的な真形とよばれる姿形で、全面に山吹の花を薄い肉取りで表している。この文様は平安から鎌倉時代の鏡によく見られる。芦屋釜には、こうした典雅な文様を表すことが多く、それが京の都でも賞用されたのであろう。
濃い茶褐色を帯びた胎で、低めの高台から丸みを帯びて浅くひらいて立つ碗。口は大きく歪んでいます。伏せてみると分かるように、高台から腰折れ部分にかけて大きく削られており、そこから「柿の蔕」の名がついたと考えられています。
先日、サントリー美術館であった寛永の雅展で《赤楽茶碗 銘 熟柿》を見たので、柿繋がりな気がしましたが、こちらは実ではなくヘタでした。ひっくり返して底から観ると、高台がヘタに見えるようです。であれば、ぜひ底を見たかった。
伊賀焼の古窯址は三重県阿山郡阿山町ある。焼き締め茶陶を代表する焼物で,激しい歪みを加えた成形や自然釉の景色を生かした豪放自在な造形に特色がある。この耳付花入は胡銅の柑子口・双耳の花入をふまえているが,伊賀焼独特の自由なデフォルメが加えられ,その表現は伊賀焼のなかでもことに強調がはげしい。
まるで土偶のような存在感がありました。
本館 7室 屏風と襖絵―安土桃山~江戸
「世の中に絶えて桜のなかりせば~」の和歌で知られる『伊勢物語』第八十二段「渚の院」の一場面。別荘で桜を讃える和歌を詠む惟喬親王と「右馬頭なりける人」在原業平の一行を描く。具慶は住吉絵所を再興した住吉如慶の長男で、徳川幕府の奥絵師を務めた。
惟喬親王は白い狩衣で間違いないでしょうが、馬頭は一番左で山を眺めている人物のように思います。「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 」と「飽かなくにまだきも月の隠るるか山の端逃げて入れずもあらなむ 」を描いたものか。
《◎歌舞伎遊楽図屏風 6曲1双 筆者不詳 江戸時代・17世紀 文化庁蔵》
季節は春。右隻では、満開の桜で華やぐ舞台上、歌舞伎草創期の役者たちが総踊りをし、老若男女・僧侶・武士等が見物している。左隻は、カルタやすごろくで遊ぶ女性たちの遊楽図。季節も遊びも浮き浮き気分のようだ。装飾的な雲が施された上方一紙と下方一紙分は後補。
《桜に杉図屏風 6曲1双 伝藤原光信筆 江戸時代・17世紀 東京・大倉集古館蔵》
他の季節なら杉林の中に埋もれているだろう桜の木が満開に咲き乱れ、杉の木立を押しのけるように描かれている。杉の葉の細やかなところが見事で、花粉症に苦しめられているこの季節でなければ、もっと心揺さぶられただろうにと思いました。現実の季節に即して、花粉が描かれてなかったのが幸いです。
本館 8室 書画の展開―安土桃山~江戸
《桜花図 1幅 円山応挙筆 江戸時代・安永5年(1776)》
枝に鶯が一羽とまる山桜。画中の年記署名から、安永5年(1776)11月に描かれたことが分かる。桜の花のない季節だからこそ、花を愛でたのだろうか。応挙44歳、雨竹風竹図屏風、藤花図屏風など名だたる秀作を描いた、脂の乗り切った年の作である。
本格的な寒さの季節に、次の春を思って描いたのでしょうか。
《勿来関図 1幅 板谷慶舟〈広当〉筆 江戸時代・寛政6年(1794)》
『千載和歌集』に掲載される源義家の歌詠みの情景を描いたもの。勿来関は常陸国と陸奥国の境にあたる関で、義家はここを通るとき桜が散るのを見て「吹く風を なこそのせきと 思えども 道もせにちる 山桜かな」と読んだという。板谷慶舟広当66歳の作品。
勿来関は「来るなかれ」の意味を持つ。源氏武将として誉高い義家が、武具を着けて名馬にまたがりつつも、桜を見て心緩ませる姿が描かれている。地面に散った山桜の花びらの柔らかなこと。
《山水図・宮女奏楽図 2幅 鈴木其一筆 江戸時代・天保2年(1831) 東京・大倉集古館蔵》
ニ幅とも扇面画。山水図は細やかな筆捌きで、荒々しい岩肌から流れ落ちる滝を描く。漫画の劇画にも似た線の多い黒い画面です。一方、宮女奏楽図は極彩色の華やかなもの。室内で宮女が琴など楽器を楽しんでいる姿が描かれている。どちらも線の細さが群を抜き、確かな描写が素晴らしい。
《瀟湘八景図 1幅 狩野探幽筆 江戸時代・寛文5年(1665) 東京・大倉集古館蔵》
横長の画面に余白を多く取り、溌墨による少ない筆数で一気に書き上げたもの。
《源氏物語図屏風(絵合・胡蝶) 6曲1双 狩野〈晴川院〉養信筆 江戸時代・19世紀》
『源氏物語』の名場面から。右隻は女御たちが冷泉帝の御前で絵を批評しあう「絵合」、左隻は秋好中宮が春の仏事を行なう「胡蝶」。鮮やかな色彩、桜花の輝く白が華やかな画面を生んでいる。作者が法眼位にあった文政2年から天保5年(1819~1834)の作。
狩野養信は、研究熱心な人物で漢画と大和絵の融合を完成させた人物として知られるが、本作は古典的な手法に止めたもので、そのダイナミックな筆捌きは見られない。
応挙は、自然観察を重視し、平明で親しみやすい写生的な表現によって京都を中心に人気を博した。当時、博物学的関心の高まりとともに写生図が流行し、応挙も多くの写生図を制作している。これらは、図中の干支などから、1770年代頃に描かれたとみられる。
《青山白雲図巻 1巻 田能村竹田筆 江戸時代・文政10年(1827)》
竹田は、豊後(大分県)竹田の岡藩藩校、由学館の儒員であり、江戸後期に文人画家としてゆるぎない地位を築いた。優品と知られるものの多くが、文政年間(1818~30)に描かれたが、緑青で彩られた本図の山々の色彩表現は、独特の清涼感を湛えている。
短い線を重ねて描かれた景色が、風を感じさせる。
本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(浮世絵)
《役者花見図 1幅 宮川一笑筆 江戸時代・18世紀》
川の畔に咲く桜の下、毛氈の上で酒や音楽を楽しみながら花見をしている男女。紫帽子が女形であることを示している。
《木馬遊びの子供と傘さし美人 1枚 鈴木春信筆 江戸時代・18世紀》
子供の脚が不思議なことになっています。どうやら子供が抱えた馬人形に鞍に脚をを掛けた絵がついているようですね。子供が小脇に抱えられるくらいだから、木馬といっても板なのかと思って調べてみたら、どうやら腰付け馬と呼ばれる張子のようです。唐人の格好した飴売りが、腰に張子で作った馬頭を付け、ラッパを鳴らして見世物をしていた記述を見つけました *1。美人の持つ傘もまるで洋傘のように骨がたわんでいます。唐草紋がレースのようにも見えてお洒落です。
《御殿山の花見 1枚 鳥文斎栄之筆 江戸時代・18世紀》
御殿山は、品川宿を見下ろす高台に鷹狩のための休憩所としての屋敷があったことから名付けられた。海に臨み、月待ちや桜の名所として知られていたが、ペリー来航を阻止するため、砲台建設の埋め立て地の土砂を取る目的で切り崩された。
《真勇竸・きよ姫 1枚 歌川国芳筆 江戸時代・安政3年(1856)》
安珍清姫伝説の有名なシーン。怨念に狂う清姫の帯が蛇腹になって釣り鐘に巻き付き、中に隠れる安珍を執念の炎で焼き尽くそうとしている。桜の花びらが舞う中に描かれています。
《弥生双六遊び 1枚 葛飾北斎筆 江戸時代・19世紀》
桜や山吹が咲く中、女性たちが双六に興じるさまが描かれる。歌舞伎「恋女房染分手綱」の「重の井子別れ」の段、馬子の三吉に重ね井が褒美の菓子を持ってくる場面である。左下に「鱗彌製」とあることから、鱗彌の商品を販売するための摺物だと考えられている。
幼い調姫が関東の入間家に養女に行く道中にむずがって、乳母の重の井を困らせたのを、三吉が絵双六を見せて機嫌を取るのに成功する。三吉は、実は重の井の不義の子で、双方がそれを知りつつも立場があって言えず、視線も合わせずにいる情愛の描写。三吉の大人びた振る舞いと重の井の憂いのある表情に引き込まれる。
満開の桜の下、絞りの衣装を着せられた幼猿は宙を睨むような表情をしている。「人煙一穏秋村僻 猿叫三聲暁峡深」は『和漢朗詠集』にある紀長谷雄の作で、「秋山閑望」とある。幼猿が、人に拐われる前の、過ぎ去った秋の山を思っているようで物悲しい。
《五節句之内・三月 花見 1枚 歌川貞秀筆 江戸時代・19世紀》
花見の余興に呼ばれたのか、出番を待つ法師は春の陽気に眠りを誘われて居眠り。そこに、女がいたずらして髭を描いています。春の長閑さと暖かさが感じられる団扇絵。
《花街植桜樹 1枚 長谷川雪堤筆 江戸時代・安政2年(1855)》
江戸の花街・吉原では、毎年桜の花の季節になると廓内のメインストリート仲の町通りに花の開いた桜を植え、華やかに花魁道中を行った。この図は吉原内に桜を植える場面を描いたものと考えられる珍しい作例である。
《江都名所・隅田川はな盛 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
浅草本龍院待乳山聖天のある高台を描いている。その前がやや浅瀬になっていて、現在はそこを埋め立てて隅田公園となっている。右奥に斜面を上る人が見える。竹屋の渡し、さらにその先に今戸橋があった。
《東都名所・上野東叡山ノ図 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
東叡山は、徳川家により新たに建立された寺院で、京の都の鬼門(北東)を守る比叡山に対して、「東の比叡山」という意味で山号を「東叡山」とした。
今は人の頭を観るような状態になっている上野公園のメインストリートを描いています。左に不忍池、右の斜面にあるのが舞台造り清水観音堂。《江戸城内并芝上野山内其他御成絵図》で確認すると、画の中央の二階建てが文殊楼、その左が大仏殿。
TOKYO数寄フェス2017で、噴水広場に文殊楼をイメージしたインスタレーションがあったのを思い出しました。
《東都名所・飛鳥山花見 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
現在の王子山駅前にある飛鳥山は、寛永寺に花見の時期に人が押し寄せたため、他に花見のできる場所を求めて、徳川吉宗が享保の改革の一環として整備した。愛宕山(25.7メートル)より低く、国土地理院に山として認定されていない。
《江戸名所・金龍山之図 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
金龍山は浅草寺の山号。手前に門前の茶屋と桜並木。その奥に仁王門、三本の大きな木立の奥にあるのが本堂。五重塔は仁王門の右手前にあるため描かれていない。右端に五瓜に本多葵という変わった家紋が掲げられている。
《江戸名所百人美女・御殿山 1枚 歌川国貞(三代豊国)筆 江戸時代・安政5年(1858)》
盥に水を張って行水をする女。
《上図、駒絵部分拡大》
桜の咲く御殿山で踊り、賑やかなに花見をする人びとが描かれている。暖かな日、たくさん踊って汗を掻いたのでしょう。
右《婦女観桜図 1幅 川又常正筆 江戸時代・18世紀》
樹上の猿たちが手を伸ばし、桜の下で花見をしていた二人の女から三味線を奪おうとしている。題名に反して花見どころじゃない騒ぎです。
品川の御殿山は、寛文年間(1661~~73)に大和の吉野から桜の苗が移植されて以来、間近に海を望む景観もあり、桜の名所として人々に親しまれた。この図でも、品川沖を遠望する丘の上で、桜の花咲くもと楽しげに春草摘みをする二人の女性を描いている。
左《女観桜図 1幅 歌川豊広筆 江戸時代・18世紀》
縁台に腰掛けた遊女と、それに寄り添う禿が桜を見上げている。
手前には清長が得意とした8頭身の健康的な美人や子供たちを、後方には桜の名所として知られる飛鳥山を描く。華やかな女性のみならず、奥行きのある空間表現も見どころ。左奥には飛鳥山のランドマーク「飛鳥山碑」も小さく描かれている。
桜の名所として知られる飛鳥山は、八代将軍吉宗が桜を植えさせ人々に開放したことに始まる。本図は元文2年(1737)、将軍自ら花見の宴を催した年に建てられた飛鳥山のランドマーク「飛鳥山碑」とともに花見を楽しむ人びとの様子を描いている。
吉原では、大門からのびるメインストリート仲の町に、3月3日にあわせて咲くように桜が毎年植え込まれた。花が雲のように広がる大きな樹の下には山吹を添え、青竹の垣根をめぐらし、花魁たちはそこで妍を競った。桜の樹は花が散ると春の夢のように片付けられた。
《江戸名所之内・隅田堤雨中之桜 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
これが全く場所が分からなくて困りました。隅田堤は三囲神社から木母寺まで隅田川沿いにのびる堤で桜の名所だったそうです。
《東都名所・隅田堤雨中之桜 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
この場所は広重のお気に入りだったようで、同じ構図のもの、もう少し左にずれた位置からのものと、いくつか書かれています。
本館 10室 浮世絵と衣装―江戸(衣装)
《小袖 白綸子地竹垣枝垂桜文字模様 1領 江戸時代・18世紀》
満開の桜に幔幕がかかる景色は、源氏物語『花宴』へとイメージが広がる。散らされた扇は朧月夜の君と光源氏が、つかの間の逢瀬に取り交わした扇を意味するのだろうか。扇面の意匠は、末広がりな吉祥模様であると同時に、王朝文化のシンボルでもあった。
《振袖 染分縮緬地枝垂桜菊短冊模様 1領 江戸時代・18世紀》
腰から上には春、腰から下には秋の模様を友禅染で表し、四季両用を考慮した模様。腰から上下に模様が分かれるスタイルは、江戸時代中期から後期にかけて、帯の幅が次第に広くなり、さまざまな帯結びで女性がファッションを楽しむようになって生まれた。
細い線で白く染め残した(白上がり)模様は、岩の大きさに不釣合いに咲く梅の枝と波を1つの単位模様として小さく散らされている。濃い地色に白上がりによる小紋は『当流模様雛形都の春』『雛形接穂桜』など18世紀半ばに発行された雛形本に見られる流行。
《小袖 鶸色縮緬地枝垂桜蘭模様 1領 江戸時代・19世紀》
縮緬地に枝垂桜と蘭の模様を交互にあらわした小袖。模様は総繍で色取り鮮やかな絹糸のほか金銀糸を用いているが、銀糸は酸化して黒く変色している。おおらかな刺繍の表現や模様の構成は、公家女性好みの意匠である。留袖は既婚後の成人女性の料。
宮中の女性が普段着に着用した上着で「掻取」と称する。紅で染めた華やかな縮緬地に表わされた模様は、雲間に見える桜の立木模様。絹糸の光沢を生かしたゆったりとした刺繍である。立木模様は、江戸時代後期、宮中女性向けに様式化されたデザインである。
無事スタンプを全て集めましたので、本館1階ロビーで桜のバッジをもらいました。
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