宮崎神宮:日向三代を巡る旅 その15

2023年3月29日

帰りの飛行機の時間が迫るわずかな時間で宮崎神宮へ向かいました。

宮崎神宮の鎮座地は神武天皇が東征以前に宮を営んだ場所とされる。主祭神を神日本磐余彦尊(神武天皇)をとし、配祀として神鸕鷀草葺不合尊と神玉依姫命の2柱を祀る。

以後神武天皇に対する崇敬から、歴代の領主により深く崇敬された。

宮崎県護国神社側から敷地に入り、宮崎神宮西神苑駐車場に車を止めて境内を歩く。

車祓所

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玉砂利が敷き詰められた清浄な参道が伸びる。
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参道脇に建つ50基の立灯籠は神武天皇の崩御2600年の記念事業の一環として2017年に設置されたもの。
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竿までが石製、中台以上は木製の銅版切妻造り。火袋に十六菊紋がついている。この手は出雲大社でもよく見かけた。

三の鳥居

金属製の神明鳥居が立つ。
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一風変わった石灯籠がある。
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基台から竿部にかけての重厚さが面白い。宮崎市内の平和台公園にある平和の塔(八紘之基柱)にも通じる。こんな変わったのを作るのは、もしかすると。

宮崎神宮略記案内板
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宮崎神宮略記

当神宮は神武天皇神日本磐余彦尊を主祭神とし、 相殿には鵜葺屋葺不合尊(御父君)と玉依姫命(御母君)が奉斉されている。 天皇は四十五歳の御時、天下統治に応しい地を求めて日向国を御出発、 数々の苦難の末に大和地方を平定され、第一代の天皇として即位された。後に皇子神八井耳命の御子(建磐龍命)により、 天皇の御神霊が当地(皇居高千穂宮の霊地)に鎮祭され今日に至っている。
古来より神武天皇宮域は神武天皇廟と称されて歴代領主の尊崇篤く、明治維新に際し神武創業の昔に復えるという事で、特に注目、重視された。明治十八年官幣大社に昇格、社名も同十一年に宮崎神社から宮崎宮と改称され、大正二年に現在の宮崎神宮となった。その間の明治三十一年、神武天皇御降誕大祭会(総裁侯爵二条基弘、会長伯爵島津忠亮、幹事長男爵高木兼寛)が発足し、社殿の造営・境内地拡張等の大工事が進められた。特に明治天皇には御内幣金を下賜あらせられ、これを契機に全国的規模の募金活動が展開された。 同四十年に竣工、遷座奉告祭が斎行され、更に同年十一月、嘉仁親王殿下(大正天皇)の御参拝を給わった。以後皇族方の御参拝が続いた。殊に昭和天皇には皇太子裕仁親王殿下の御時、大正九年を始めとして六度の御参拝を給わった。 又皇太后陛下には大正一二年、久邇宮良子女王陛下として御成婚御奉告を始めとして陛下と共に二度の御参拝を給わっている。

祓所

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手水舎

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参詣者休憩所

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授与所

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儀式殿

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元は社務所として使われていたものだという。

儀式殿前の狛犬
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遠吠えしているような阿形の表情がよい。吽形の頭がやけに平ら。元は角があったのかもしれない。

いよいよ正門を通る。
宮崎神宮社殿群は明治40年(1907)に造営。設計は日本建築史学の創始者、伊東忠太である。国の登録有形文化財として、神殿・幣殿・渡殿・神饌所・透間垣・拝所・正門・玉垣・石柵および徴古館が登録されている。左右対称の配置と復古的で端正な社殿形式に特徴がある。

本殿は方3間の切妻造妻入。前面に桁行4間の両下造の渡殿が接し、正面7間側面4間の幣殿に続く。幣殿の前面には桁行3間の向拝が付き、左右には渡廊を経て御料屋と神饌所が結合されている。御料屋と神饌所はそれぞれ妻を正面に向けた正面3間側面4間の切妻造。

正門

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国指定文化財等データベース

拝所の南方、参道正面に位置する。間口5.5mと規模の大きい四脚門。切妻造銅板葺。本柱・控柱とも円柱で、冠木や貫で固め、控柱上には舟肘木を置く。一軒疎垂木とし、豕叉首組、中備に束を建てる。菊紋の大きな金具を飾る板戸両開をたてる。簡明で重厚な門。

拝所

拝所の先は木製の玉垣で仕切られているためこの先には進めない。一般参拝者はここで詣でる。
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国指定文化財等データベース

幣殿の南方、正門との中程に位置する。桁行三間梁間三間、切妻造銅板葺。礎石上に円柱を建て、内法貫で固め、舟肘木を置き、桁や梁を支持。小壁を板壁とし、一軒疎垂木。四方吹放ちで、石敷、化粧屋根裏とし、各梁間に豕叉首を組む。大規模で、開放的な拝所。

幣殿

正式参拝の申し込みをすると、幣殿に入ることができる。
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国指定文化財等データベース

幣本殿の南に位置する、東西棟の切妻造銅板葺。桁行七間梁間四間、正面に三間向拝を付け、四周に組高欄付榑縁を巡らす。円柱で、舟肘木を置き、一軒繁垂木。中央三間に双折両開板戸、両端二間に蔀を装置。妻は豕叉首で、棟木筋にも豕叉首を組む独特の構法を示す。

神殿

神殿(本殿)がまったく見えなかったので Google Map で確認する。
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国指定文化財等データベース

境内の後方、船塚古墳を背に南面して建つ。切妻造妻入銅板葺で、千木と堅魚木を付ける。桁行三間梁間三間で高く床を張り、周囲に組高欄付の榑縁をまわす。正面中央に幣軸を構え両開戸をたて、他は横板壁。軒の深い緩やかな屋根をもち、安定感のある外観になる。

御料屋

木立に隠されて屋根の一部しか見えない。
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国指定文化財等データベース

幣殿の東方に、桁行五間単廊の渡廊で繋がる。桁行四間梁間三間、南北棟の切妻造銅板葺で、神饌所と同じ規模、形式になる。舟肘木で、妻は豕叉首組とし、軒は一軒疎垂木。平入の幣殿を中心に切妻を正面に見せる二棟を東西に配し、対称性の強い正面をつくる。

神饌所

こちらも、木立に隠されて屋根の一部しか見えない。
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 国指定文化財等データベース

幣殿の西方に位置し、単廊の渡廊で繋がる。桁行四間梁間三間、南北棟の切妻造銅板葺。基壇上に円柱を建て、地覆や貫、内法長押で固め、柱上舟肘木。妻面は板壁で、平側に連子窓や妻戸を装置する。内部は一室で、北面に奥行の浅い神棚などを設ける。神饌所の好例。

大鳥居

宮崎神宮からの帰路、神宮参道と国道10号との合流地点に大鳥居があった。
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レンタカーの返却時間が迫る。日向三代を巡る旅はこれにて終了。時間があれば皇宮神社や都農神社にも足を伸ばしたかった。またいつか機会があれば、行ってみたい。