岩崎神社
ゴールデンウィークの別府旅行で宇佐市に足を伸ばしました。
宇佐駅から国道10号を西に進んだところ、向野川沿いに立派な鳥居が見えました。急ぐ旅ではないので立ち寄ります。
一の鳥居
川沿いに建つ一の鳥居は、石造りの台輪鳥居。扁額に若八幡宮とある。柱に迫力のある文字が並ぶのが禍々しくもあり、この辺は真言宗の影響が強そうだと直感した。
鳥居の脇に説明があった。
岩崎神社の鳥居
神徳之盛億兆所仰 寶祚之隆天壌無窮(神徳の盛億兆仰ぐ所、宝祚の隆天壌窮まりなし:あらひと神の徳たかく多くの民仰ぎみる、その心皇位はつづき隆盛にあめつちともにいつまでも)
岩崎神社の鳥居 説明板
①成立年月日 明治三十年六月(一八九六年)
②鳥居の種類 稲荷鳥居
③額束 和歌八幡宮(正四位勲三等巖谷修拝書)
※鳥居は神社をあらわし、尊厳で威光のある境を表象する神門です。
※鳥居の両柱に刻まれた銘は成立時に村人たちがムラの目指す総意をこめた言葉です。
北馬城地区まちづくり協議会
鳥居建立の碑
表参道
道路から一段下って二の鳥居がある。
まるで東京・向島の三囲神社のようではありませんか。
その脇に水堀を巡らした総石造りの見事な境内社があった。
ただし、石橋が怖いので立ち寄らず。
参道に降りて石灯籠を撮る。
国東半島は石材の宝庫というだけあって、とにかく石物が立派。
当然、手水舎も石造り。
境内
神門をくぐり、境内に入る。
神楽殿
狛犬
拝殿
今までに見たことがないタイプの拝殿です。瓦葺き入母屋造りで向拝付きの平入り。横長の建物で壁が赤く塗られています。
この後、横長拝殿を立て続けに見ることになる。
本殿
拝殿の横を通り玉垣越しに本殿を見る。本殿は朱塗りの銅板葺流造。
両脇に流造の境内社を備えている。
北馬城地区まちづくり協議会のサイト、北馬城の文化財に石前神社の由来がありましたので引用します。
養老3年大隅・日向の隼人の反乱を鎮めるため、朝廷は宇佐神宮にその鎮定を祈念した。そこで御神霊を神輿に奉安して凶徒を悉く平定され、同7年その途路岩崎に荒霊を止められ、この地に鎮座された。その後、倉稲魂命・太田命・大宮毘売神、境内神社、は大字岩崎字国宗に鎮座していたものを明治44年3月15日、本社に合祀した。
北馬城の文化財
なんと、隼人の反乱や神輿の発祥に絡む神社でした。
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