鬼会の里 天念寺

2023年5月26日

歴史資料館「鬼会の里」に着きました。

朝から何も食べていなかったので、まずは腹ごしらえです。豊後高田そば認定店の食堂で「鬼の目そば」を頂きます。天念寺の修正鬼会で縁起物とされる餅(鬼の目)が入っている、無病息災を祈る縁起蕎麦です。

お腹が満たされたので、資料館を拝見します。

普段あまり人が来ないのか、我々が入ると食堂のスタッフが展示室の照明や動画を動かしてくれました。《◎修正鬼会(しゅじょうおにえ)》の迫力ある映像があり、密教の神秘主義的というか怪しげなところ全部盛りで振り切ってるところがとても刺激的でした。エキゾチシズムを掻き立てられますが決して異国の話ではなく、今の我々の文化と地続きなのが面白い。

ビタワンも度肝抜かれた様子。
その後、VRで無明橋を渡ったりして、すっかり六郷満山文化を気に入ってました。

資料館に天念寺本尊《◎木造阿弥陀如来立像》がありました。

後頭部から背中にかけて大きく内刳 (うちぐ)りを施され、大粒の螺髪 (らほつ)、 張りの強い両頬の肉付け、大腿部のY字状の衣文などに平安時代前期の名残を見せながらも、全体的に国東地方の平安仏の特色を示し、12世紀の早い頃の造像であると考えられています。

この仏像は、かつては小両子岩屋に所在していたとされ、その後天念寺本坊の国宝堂と呼ばれた建物に安置されていましたが、 大正8年、当時の帝室博物館に飾置のため貸与されました。 それから、天念寺を襲った昭和16年の大洪水により流された本堂などを再建するため、当時国宝(旧国宝) であったこの仏像は昭和36年に埼玉の鳥居観音に売却されました。その後、地元住民などの悲願により、平成9年に市が県の補助を受け買戻し、大分県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館(現大分県立歴史博物館) に預けられ、平成15年本施設の設置により、実に42年ぶり (天念寺を離れてからは84年ぶり)のご帰還となりました。

歴史資料館 鬼会の里 パンフレット

乱暴な話ではありますが、情を取るか物を取るかってこと。いろいろ身につまされます。

無明橋

駐車場から天念寺耶馬の無明橋が見えました。

資料館に無明橋のレプリカがあって、橋幅1メートルくらいのアーチ橋でした。

天念寺本堂

鬼会の里のすぐ側、道路際に建っているので見過ごしそう。仏教道場の山寺形式を色濃く残しています。二重屋根の入り母屋瓦葺平入り。向拝がなかったら寺院だと気が付かなかったかも。

そういえば、宇佐市の神社も入り母屋瓦葺向拝付平入りの形式が多かったっけ。

天念寺は養老2年 (718年) 仁聞 (にんもん) 菩薩の開基と される六郷満山(ろくごうまんざん)寺院の中山(なかやま) 本寺で あり、長岩屋(ながいわや) 川流域の東西3キロほどの細長い 谷筋を寺域としていました。後ろには国指定名勝に指定 されている天念寺耶馬と呼ばれる岩峰群がそびえ立ち、 修験と祈願の寺院として繁栄しました。

歴史資料館 鬼会の里 パンフレット

天念寺の山号は長岩屋山、国東六郷満山霊場第九番札所。無住寺院で、祭りの際は長安寺住職が兼務しています。

本堂入り口に賽銭箱があり、スピーカーから案内が流れていました。自由に入ってよいと書かれていたので、遠慮なく。

修行中の山伏たちが休息を取るための部屋がありました。

川中不動

豊後高田市では熊野磨崖仏に次いで大きな磨崖仏です。

川中不動は、 長岩屋川の中にある磨崖仏は4m強、岩は 水面から約6mあるそうです。 不動明王と制多迦(せいたか) 童子、 矜羯羅(こんがら) 童子が刻まれたものを指します。 長岩屋川の水害防除のために彫られたものです。

歴史資料館 鬼会の里 パンフレット

天念寺講堂と身濯神社

こちらが修正鬼会の舞台です。

切り立った崖にめり込むように、いや、実際めり込んで建っています。隣の隣の身濯神社と一体化しています。

石造りの立派な輪付き明神鳥居が正面に建っています。

身濯神社の拝殿。鬼面とおたふく面が飾られていました。

裏の岩肌には石仏が並んでいます。