大嘗宮一般参観@皇居

大嘗宮とは

天皇が即位の後、初めて新穀を天神池神に供え、国家国民のために安寧と五穀豊穣を祈念する「大嘗宮の儀」のために造営された建物群。令和元年11月14日夕方から翌朝15日にかけて儀式が執り行われ、11月21日から18日間一般公開されている。

行き方

東京駅から入場口

やけに雨の多い11月下旬。雨が上がったのを見計らって皇居へ行きました。現在、大嘗宮一般参観が行われています。

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この三日前にも見に行きましたが、大雨で余裕を持って見られなかったので出直したのでした。
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東京駅中央口を出て丸の内駅前広場から行幸通り(皇居前東京停車場線)を歩きます。銀杏並木もすっかり黄色く色づきました。
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セキュリティチェック

行幸通りを突き当たって左折、内堀通りを南下して二重橋前交差点から皇居に入ります。ここからしばらく玉砂利を歩きます。
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働くワンコも見かけます。
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この辺でキャリーケースを持っている人や細いヒールを履いている人を見かけると一瞬気の毒に思うのですが、荷物検査のテントが視界に入り、自分がやらなければならないこと(ボディチェックの前に、腕時計やウォークマンを外してカバンに入れる)に気が回るので、見知らぬ他人のことなんて気にならなくなります。
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最初のテントで荷物検査をします。鞄を開き、飲み物があれば口をつけて見せる。次のテントで、金属探知機によるボディチェックがあります。時計などを見に着けていると反応するので、先に鞄などに入れておくとスムーズに通り抜けできます。

この日は、待機列なしに検査終了。
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坂下門~中之門跡

坂下門、宮内庁前を通ります。

乾通りも紅葉が進みました。11月30日(土)から一般公開が始まり、通り抜けできるようになりました。
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紅葉と石垣のドレープ。
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中之門跡を通ります。
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この辺の石垣はとても見ごたえがあります。石も巨大だし、隙間もない。
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皇居は武蔵野台地の際にあるので、坂が多い。石垣を眺めながらせっせと登ります。
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見て、この反り、石の加工の美しさ。
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本丸跡

坂を登りきりました。江戸城本丸跡地です。遠目に大嘗宮が見えてきました。
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行列の右手に写っている建物が売店とトイレ。なお、売店は東京駅に向かう出口近く、三の丸尚蔵館前にもあります。トイレはここの他に、ルート上に数カ所仮設がありました。

大嘗宮に近づくにつれて亀の歩みです。
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テレビなどで大嘗宮の感想を求められた人が「神聖な気持ちになりました」なんて答えていましたが、この辺から延々と警備員の注意喚起の声が響きわたるので「神聖」も何もありません。インタビューに答えていた人は、注意が耳に入らない人かな?と思いました。
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大嘗宮の側面から裏手にかけてはじっくり建物の観察ができるので、正面で写真が撮れないと嘆く必要はありません。大嘗宮を背景に記念撮影をするのも、背後からならゆっくりできます。焦らずに行動しましょう。

外周垣はよしず垣で、黒松を立てて右掖門としている。
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大嘗宮南面の通路はこんな人垣です。
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最前列で写真を撮りたい人で押し合いへし合い。警備員さんの「通路で立ち止まらないでください」の声が響きます。

令和大嘗宮平面図

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宮地は、延喜式では東西21丈4尺(約65メートル)、南北15丈(約46メートル)と記されているが、今回は平成時よりは小さいものの東西89.7メートル、南北88.15メートルの規模で作られた。

今回、見学ルートを設けるため、テント張りの幌舎(あくしゃ)や外周垣の一部が撤去されました。

 

南東端から見た宮地。
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所々に黒木灯籠が設けられ、神域は柴垣で囲われている。今回、外周垣と共に、柴垣は高さ1メートル程と大変低く作られた。本来であれば今回の倍程の高さを設ける。どうも平成の大嘗祭の際に垣根を高く作ったところ、儀式が見えないために幌舎にいる参列者の私語が絶えず、神聖な雰囲気を保つのが難しかったのだとか。

垣には椎の若枝(志比乃和恵) をさす習わしである。伊勢神宮では榊の若枝で聖域が示されていた。一年を通して青々とした葉を茂らせる常緑樹であることが重要なのだろう。

膳屋の壁に差してあった若枝。既に干からびていました。
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スダジイです。

悠紀殿

正面からは他の建物に遮られてあまり見えない。写真中央、影で変わりづらいが悠紀殿の出入り口と閂が確認できる。f:id:Melonpankuma:20191128200915j:plain
右の建物が小忌幄舎、左手前が風俗歌国栖古風幌、その奥の左端に帳殿がある。

外周垣の外から悠紀殿の屋根を撮ったもの。
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予算不足で悲しくも板葺きの切妻屋根です。甍覆、内削の置千木、8本の鰹木、垂木、軒下の母屋(もや)、小屋束、小屋貫なども全て黒木(皮付き原木)で出来ています。鞭懸(むちかけ)は左右に4本ずつ。千木の風穴は千木の下半分に細長く作られていました。障泥板も皮付きの材で出来ていて、その押えは青竹です。

北東から悠紀殿の東面と背面を見る。板葺き切妻屋根の黒木造(掘立造)。
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妻入りで建物の南と西側つまり正面から見ると左側に出入り口がある。大社造とは逆。

手前は楽舎。
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11月中旬の夜、四方開け放しの方丈で楽師の方々が演奏する姿を想像すると、過酷だなあとしか。

悠紀殿の壁は畳表が張られ、前方は簾で覆われていました。
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神門

皮付きの丸太で組まれた黒木鳥居です。今回、東西南北の四つの神門にはヤチダモが使われました。北海道や本州北部に生える落葉広葉樹です。
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延喜式には正南には高さ広さともに1 丈2尺(約3.6メートル)の門を設けて、桾(クヌギ)でもって扉とすると書かれていますが、最近は材料が不足しているのだとか。クヌギと言えば、丸いドングリとカブトムシ。私が子供の頃は大木の下でよく遊んだものです。減っていると聞いたら、里山の荒廃を想像せずにはいられません。

雨の日には回りの色が沈むのに、鳥居だけ白い木肌が水を弾くので余計に目立っていました。
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一番人気の撮影スポットになっています。本来肝心なのはここじゃないと心の中で叫びながら、押し合いへし合いして撮りました。

南神門の奥にある建物が殿外小忌幄舎。ここに女子皇族が控える。

主基殿

こちらも、正面からは他の建物に遮られてあまり見えない。
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左手前の建物が小忌幄舎、右手前が風俗歌国栖古風幌。中央右よりに帳殿があり、その奥に主基殿がある。

西側から屋根を撮った。
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悠紀殿と造りは同じ。

こちらは外削ぎの千木です。
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主基殿の出入り口。
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南西から主基殿の西面と背面を見る。板葺き切妻屋根の黒木造(掘立造)。
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西側の壁に扉が見える。悠紀殿と同じく、妻入りで建物の南と西側つまり正面から見ると左側に出入り口がある。

帳殿

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皇后陛下が拝礼する場所。
とにかく小さくて驚く。こんな狭いところに閉じ込めなくてもという気にさせられる。

 

この写真が一番わかりやすいのですが、建材に節が多い。最初見た時には、随分安い材料使ったなあと驚いたのですが、大嘗祭の意味を考えると、若い木を使う習わしなのでしょう。そもそも、延喜式では8月に材木を取る土地を決め、大嘗祭の10日前に運び込んで5日で作って儀式後にすぐ取り壊される建物です。材木の乾燥も十分ではないと思われます。平成の大嘗宮では大部分が焼却処分されましたが、今回は再利用されるとのこと。でも、現実問題として相当使いづらい材であることは明らかです。再利用を想定すると余計コストかかるって話なんじゃないかと。まさか割り箸?

小忌幄舎

悠紀殿側の小忌幄舎(おみあくしゃ)。
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祭祀の間、男性皇族が控える。今回の大嘗祭では常陸宮親王殿下がご高齢ということで、秋篠宮皇嗣殿下がお一人で儀式を見守られた。儀式中は白い布で四方が覆われて中を見ることはできない。

主基殿側の小忌幄舎を西側から撮る。黒木鳥居の西神門に続いて雨儀御廊下があり、その右側が小忌幄舎である。
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雨儀御廊下と一体になった流造りになっている。天井が葺いてある部分が小忌幄舎。

主基殿側小忌幄舎の軒下と承塵(しょうじん)。
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小忌幄舎は貴人席なので、天井に埃止めとして畳表が張られている。

風俗歌国栖古風幌

悠紀・主基両地方及び国栖の歌を奏する建物。妻梁の下に筋交いがある。
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国栖の古風(国栖奏)では、四歌の最後に右手を口元にあてて上体をそらしてから礼拝する。この所作を「笑の古風」という。

軒下の壁には畳表が使われている。
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膳屋

悠紀殿側の膳屋。神饌を調理するための場所で、柴垣の外にある。
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筵で囲んで椎の若木がたくさん飾られている。周囲の雰囲気を壊さないようにしているが、今回の大嘗宮では鉄筋のプレハブが用いられた。

宮地を南西から撮影。
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古来の大嘗宮は五日間で造営するようなものであるが、令和の大嘗宮は清水建設が9億5700万円で一般競争入札で落札受注し、数ヶ月かけて造営した。平成時を踏襲して公費である宮廷費から支出したが、経費削減のため、従来は茅葺きであった大嘗宮の屋根を板葺きにし、「祭祀の本質にかかわらない限りで」という前提のもと、膳屋など一部施設を鉄筋コンクリート造りとした。

大嘗祭が行われるほど平和であり豊かであることには違いないが、平成と比べると経済的に下火なのだなあと思わされました。私語で雰囲気を壊すような参観者は呼ばず、より簡素に古式に則る形式で行えるのが一番よいのかもしれませんが、国費で行う以上はそういう訳にもいかないのでしょう。

廻立殿

天皇皇后が祭祀に先立って沐浴や着替えをする場所。
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板葺き切妻屋根の黒木造(掘立造)で、壁は畳表で葺いてある。平入りで、南北に出入り口が設けてある。

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廻立殿の北面。
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塀籬

北東の門に塀籬(まがき)があった。
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立蔀や透垣と同じく、元々は中を覗きづらくする目的で作られたものなのだろう。伊勢神宮で見た藩塀のルーツはこういうものなのかもしれない。今回は垣根が低く作られたので、ほとんど意味をなしていなかった。 

 

延喜式

國學院大学延喜式検索システム(享保板本)で、大嘗宮の建築に関する部分を抜き出した。

7巻20条 大嘗宮

凡造大嘗宮者。前祭七日。神祇官中臣。忌部二官人依次立。率悠紀國司及雜色人等爲一列。亦中臣。忌部相別。率主基國司以下。准上皆單行。各自朝堂院東西腋門入。至宮地。〈龍尾道南庭。〉分列左右。〈悠紀在東。主基在西。〉鎭祭其地。國別所備幣物。庸布四段。安藝木綿一斤。
凡木綿二斤。麻二斤。鍬八口。米一斗。清酒二斗。濁酒八升。鰒四斤。堅魚十斤。海藻十斤。燭一斗六升。鹽四升。★[※「瓶」の編と旁が逆]十口。坏十口。二國造酒兒各執賢木著木綿。竪於院四角及門處。訖執齋鍬。〈國別四柄。納以布袋結以木綿。〉始掘殿四角柱薜。薜別八鍬。然後諸工一時起手。其宮東西廿一丈四尺。南北十五丈。中分東爲悠紀院。西爲主基院。宮垣正南開一門。内樹屏籬。東開一門。外樹屏籬。〈悠紀國作。〉正北亦開一門。内樹屏籬。西開一門。外樹屏籬。〈主基國作。〉二院中垣二國共作。中垣南端去屏一丈開一小門。〈二國共作。〉將柴爲垣。押桙八重垣末。挿將椎枝。〈古語所謂志比乃和惠。〉諸門高九尺。廣八尺。〈小門准減。〉編蠏爲扉。悠紀院所造正殿一宇。〈長四丈。廣一丈六尺。棟當南北。以北三間爲室。以南二間爲堂。南開一戸。蔀蓆爲扉。甍置堅魚木八枚。著高博風。〉構以黒木。葺以青草。以檜竿爲天井。席爲承塵。壁蔀以草。表裏以席。地敷束草。〈所謂阿都加。〉上加竹簀。其室簀上加席。席上敷白端御帖。帖上施坂枕。〈帖枕並掃部寮所設。其製在彼寮式。〉戸懸布幌。〈内藏寮所設。〉其堂東南西三面。並表葦簾。裏席障子。但西面二間巻簾。見障。此院東北角造膳屋一宇。〈長廣與正殿同。〉端當東西。東端二間蔀以椎柴。東壁下作棚閣。西端三間爲盛膳所。膳屋以北造臼屋一宇。〈長一丈四尺。廣八尺。〉蔀以椎柴。西端開戸。二屋南西並皆樹籬。別爲一院。正殿東南造御廁一宇。〈長一丈。廣八尺。〉其壁同正殿。西面開戸。主基院殿與上相對。五日之内造畢。即中臣。忌部率御巫等。祭殿及門。其幣物。五色薄絮各三尺。絲二兩。安藝木綿一斤。筥二合。案二脚。米二升。酒二升。★[※「瓶」の編と旁が逆]二口。坏二口。並申官請受。〈後鎭料亦准此。〉

7巻21条 廻立殿

凡木工寮。大嘗院以北。造廻立宮正殿一宇。〈長四丈。廣一丈六尺。棟當東西。其西三間以席。蔀之東南開戸。〉構以黒木。以苫葺之。席爲承塵。〈供御雜物。並所司依例供之。〉

一般参観の注意事項

大嘗宮見学ルートは東京駅を出発して東京駅に戻るルートで約4.5キロあります。途中、玉砂利でキャリーバッグなどは転がすこともできないし、靴のヒールも傷みます。アップダウンも激しく、健康な人でも足首に疲れが出ます。さらに荷物検査などで混雑するので、くれぐれも大きな荷物は皇居に入る前に東京駅周辺の荷物預かり所を利用しましょう。