飛鳥山と王子神社、王子稲荷
午後から雨予報だったはずの土曜日、築地まで走ったところでどうやら天気が回復傾向。
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築地の美味しいコーヒー屋さんでダラダラすごしていたら、晴れ間が出始め、午後も保ちそうな雰囲気になってきたので、急遽、王子駅周辺の散策することにしました。
太田記念美術館で開催中の「江戸の凸凹 ―高低差を歩く」展が面白そうだったので、先に馴染みのない北区を歩きたかったのです。
飛鳥の小径
まずは、王子駅の線路沿い、電車から見えた紫陽花に惹かれて遊歩道を歩きました。
飛鳥山公園東側にあたります。
飛鳥山公園
遊歩道の南端から坂道を上って、飛鳥山の南西側から公園に入りました(下の案内図は、飛鳥山北端で撮ったもの)。
興味をそそる庭園があったので、ちょっと寄り道。渋沢栄一記念館敷地内の重要文化財、青淵文庫(旧渋沢家飛鳥山邸)です。
渋沢栄一の喜寿と、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて門下生団体竜門社より寄贈された鉄筋コンクリートの建物です。
外壁は月出石、色付けした陶板、窓には家紋の「違い柏」「寿」「竜」をデザインしたステンドグラスがはめ込まれています。
こちらは晩香廬(ばんこうろ)。渋沢栄一の喜寿を祝って現在の清水建設(株)が贈った洋風茶室。こちらも重要文化財です。
次いで、北区飛鳥山博物館へ。
飛鳥山は武蔵野台地の際なので、貝塚や古墳や土器が出土します。
名所もたくさん。
「日光山道中図絵」の王子村周辺部分。
この辺りは種屋も多かったそうです。
地方へのお土産には小さくて軽いものが喜ばれたそうで、名所絵と共に種が流行ったと聞いたことがあります。中山道の端っこで、最後のお土産購入ポイントなんでしょうね。
さて、下調べは十分。ようやく散策開始でし。
まずは、浮世絵で馴染みのある飛鳥山の碑を探します。
児童公園から大きな碑が見えたので、近くに寄ってみたら、戦没者記念碑でした。これじゃない。
下は、以前トーハクで撮影したものです。
《飛鳥山花見 3枚 勝川春潮筆 江戸時代・18世紀》
人の背丈サイズの碑なのに、なかなか見当たらず、公園を半周してしまいました。
最終的に戦没者記念碑のすぐ近くで発見。まさか屋根囲いされているとはね。
石碑には徳川吉宗が公共園地として整備したことを記念して、幕府の成島道筑が作った。飛鳥山の由来が書かれているが、あまりに難解な漢文であるため「飛鳥山何と読んだか拝むなり」と川柳に詠まれるほど難解で読めない碑として有名だった。
こちらも以前トーハクで撮影したもの。
《東都名所・飛鳥山花見 1枚 歌川広重筆 江戸時代・19世紀》
飛鳥山碑を背に富士山の方向を向いてみましたが、木立に邪魔されて見えません。
飛鳥山からの下りは「あすかパークレール」を使いました。
無料です。
JR王子駅のホームからも見えます。
王子駅に戻って明治通りを渡り、石神井川(しゃくじいがわ)沿いに出ました。
音無親水公園
石神井川の王子神社付近は親水公園として整備されています。
音無橋を下から。
江戸時代、飛鳥山と王子の台地にはさまれた渓谷は、両岸の断崖から幾筋もの滝が落ちていたとか。今は河岸が埋められているので、滝の気配は一切なく、音無親水公園に滝を模した水流が作られているのみです。
音無親水公園を抜けて、石神井川をさかのぼります。
音無さくら緑地の近くで「まつばし」を横断。
松橋弁財天洞窟跡
案内板に『江戸名所図会』の「松橋弁財天窟 石神井川」の絵がありました。
絵の中央に描かれているのが松橋。その右にある洞穴に、弘法大師作と伝えられる弁財天像が祀られていたとか。現在は一切見る影もありません。
王子駅方向にもと来た道を戻る途中、ラーメン構造の物珍しい建物が目に入りました。北区役所庁舎のすぐ隣です。
後で調べてみたら、舟橋設計事務所設計の清音閣という賃貸住宅だとか。
歩きすぎてバテました。音無親水公園に戻り、豊洲市場の福茂さんで買ったすあまで休憩。
あー、生き返る。
王子神社
親水公園から王子神社に至る階段を上ります。途中、樹齢600年といわれるイチョウの巨木がありました。
東京都指定文化財(天然記念物)だそうです。
王子神社の南側から上がってきたのですが、境内を一旦出て大鳥居。
古くは王子権現と呼ばれていました。こちらの御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱(王子大神と総称)。土地の領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神を迎え、熊野にならって景観を整えたといわれている。江戸時代には徳川将軍家祈願所となり、中でも、八代吉宗は紀州徳川家の出だったことから、紀州ゆかりの王子神社を喜び、飛鳥山を寄進した。
社殿は戦火で焼け、現社殿は昭和39年、昭和57年の二回の造営を経て再建されたもの。金箔黒塗りで向拝が唐破風の権現造り。
王子稲荷
王子神社から北へ進み、王子大坂(日光御成道)を反れて王子稲荷神社です。坂の途中から入れます。白い鳥居です。
この鳥居をくぐってすぐに、やたらニッコリ笑顔のお狐さんがいました。垂れ目の狛狐です。後で調べたら、三囲神社のコンコンさんと同じ石工が作った可能性があるとか。写真撮っとけばよかった。
落語「王子の狐」の舞台であり、郷土玩具暫狐も有名です(写真は江戸東京たてもの園のビジターセンターで撮ったもの)。
手水舎は屋根がない代わりに、落ち葉などが入らないように蓋がしてありました。珍しい。
現社殿は文政5年(1822)十一代将軍家斉により寄進された瓦葺きの権現造り。屋根の反りが見事で、極彩色で彫刻も美しく壮観なものです。写真に見える拝殿は創建当時のものであるが、その奥にある本殿は空襲で焼けて再建されている。
梁や桁の上にある彫刻(蟇股)にはウサギやトラ、ネコ?はたまたヤギのように見えるものなど、様々な動物が彫られていた。単眼鏡を持っていかなかったのが悔やまれる。
境内の奥に「願掛けの石」がありました。願い事を念じて持ち上げ、想像よりも重く感じるか軽く感じるかで願い事の成就を占うものです。私にはとても持ち上げられる重さではありませんでした。
そして、社殿の前に狛犬がいました。稲荷神社なのに狛犬ってことにも驚きましたが、それよりなにより、やたら格好いいわけです。
欠損なく大変綺麗なので新しいものかと思って台石を見たら、文化九年(1812)の文字が読めました。なんと、社殿寄進の時代より前ですか。
イケメンの狛犬をもっとよい角度で撮りたかったのですが、すぐ横に保育園があるため、安全上の理由で仕切られて回り込むことができないのが残念でした。
脇から出て一鳥居まで行ってみましたが、やっぱり通れない。
神門は薬医門形式です。
平日は保育園があるため、こちらから入ることはできません。
扇屋
王子駅に戻る途中、落語「王子の狐」の料亭「扇屋」がある。地図を片手に行ったり来たりして探したら、まるで宝くじ売り場のようなサイズで玉子焼を売っていました。
本日の持ち帰り。有楽町駅前広場の催しで買った宮崎の米ぬかビスコッティ、扇屋の卵焼き、王子駅の九州南国物産展でぼんたん漬とげたんは。
今日もよく歩きました。
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